装幀 成原亜美 装画 Nicholas Roerich 絵地図・挿画 蔵西
著者じしんの人が、チベット 関連の東外大の冊子かそのウェブで、これまでチベット人 創作物の邦訳プロジェクトに於いて英語作品がノーマーク爆牌党 であった反省から(米国人研究者から指摘されたそうです)英語作品を探して、この作品を見つけ、面白かったと書肆侃侃房の田島安江という人に話したらいろいろ流転があって二年かけて邦訳出版したとか。その件は巻末の訳者解説にも書いてます。
邦訳の表紙はドイツ系ロシア人の画家だか探検家だかの人が1933年に描いた"Tibet Himarayas"という作品で、この人はチベット にも行ったことがあり、孔子 やら役小角 やらも作品にしていて、日本語版ウィキペディア は、英語版ともロシア語版ともちがう、作風解説の論文になっていて、しかしこの作品はそこのギャラリーに収められてません。学刈也。
ja.wikipedia.org
vanishingice.org
画像検索すると、三つほどのサイトでこの絵が見れまして、そのうち日本語でないのを貼っておきます。日本語のは、なんか販売してる気瓦斯ので。
個人的には、この小説は、カムが舞台なので、雪山のモナストリーはそぐわない気がします。作中に登場する二つの寺院はニンマ派 で、私はニンマ派 寺院の特徴を知りませんので、この絵の寺院がそうかどうか分かりませんが、この絵の僧院はサキャ派 ですよと言われても素直に信じてしまいそうです。
英語版の表紙は仏画 に鶴で、私は仏さまの区別にも疎いので(流石に阿修羅とか馬頭観音 とか中国の布袋彌勒くらいは分かりますが)これがターラー菩薩さまですよと言われたら、信じます。都留、否鶴なのはそういうタイトルだからですが、海内の王ダライ・ラマ 六世ツァンヤン・ギャツォという人(破滅タイプの遊び人)の有名な詩からとったことばだとか。
བྱ་དེ་ཁྲུང་ཁྲུང་དཀར་པོ།། གཤོག་རྩལ་ང་ལ་གཡོར་དང༌། ། ཐག་རིང་རྒྱང་ལ་མི་འགྲོ། ། ལི་ཐང་བསྐོར་ནས་སླེབ་ཡོང༌། །
中表紙 ダライ・ラマ 六世の、その詩のチベット語 表記。六世のチベット語 版ウィキペディア にこの文があったので、コピりました。
ཚངས་དབྱངས་རྒྱ་མཚོའི་མགུར་གླུ། - Wikipedia
上のチベット語 版ウィキペディア は、日本語版から行けるページと違っていて、詩のみ書いてあるページなのかな。どういうくくりなのかよく分かりません。日本語版のリンジン・ツァンヤン・ギャツォさんのページは下記。
ダライ・ラマ6世 - Wikipedia
個人的には、ギャツォというチベット語 の発音が、イタリア語のガッツォ(ちんこ)に似ているので、すぐ連想してしまい、困っています。
六世の詩集は原語対照の邦訳が出てるそうで。
VIDEO www.youtube.com
原書の出版社は本の動画を作ってあげていて、韓国書もそういうことしてたなと思いました。この動画の映像もなんか、ウー、ツァンの風景と服装な気がして、カムを知っているわけではないのですが、なんしか物足りないという言い方でここでケチをつけます。男が長髪を結って赤い房つけてトルコ石 バリバリの首飾りで、濃密な森林地帯を疾駆して卓袱台と思いました。
邦訳者のしとは、何故か自分で、チベット かいわいのロンドンのブロガーが縁者だろうとアタリをつけて電脳連絡して、そっから故人の娘さんにドンピシャでつながって、本書の翻訳権を得ています。書肆侃侃房の人は、自分でたきつけておいて、その辺のエージェント業務せなんだのか。タトルナントカエージェンシーも絡まず。有能なマルチリンガル は有能なエージェント足りうるという実例。
ツェワン・イシェ・ペンバ著 星泉 訳 書肆侃侃房 秘められた谷で若き戦士たちは愛するもの、愛する谷を守るため剣を取った。谷の人々は時代に翻弄されつつ、もぎとられても切り裂かれても信じる道を進み、誇りと愛を失わなかった。その先が地獄とわかっていても。 生きて、誓いを守るために……。 蔵西『月と金のシャングリラ』漫画家
帯 そして、出た!という感じの耽美な主人公ふたり。以前、映画から三浦しおんのまほろ シリーズに入り、後から小説を読んだら、映画やドラマで松田龍平 が演じた仰天が小説イラストではすっかり八頭身のお耽美イケメンでしたので、とても面食らったことがあります。それ以外、ある種の女性のフィルターに関しては、「考えるな、感じるんだ」で行くしかないと考えています(考えてる)高校のマン研みたいですが、トータルに世界はそういうものだということで。(哔哩哔哩(゜-゜)つロ干杯~-bilibili)ー(I・餓男 アイウエオボーイ*1 )=BL.
あらすじ 1925年、若きアメリ カ人宣教師スティー ブンス夫妻は、幾多の困難を乗り越え、チベット 、ニャロン入りを果たした。現実は厳しく、布教は一向に進まなかったが、夫妻は献身的な医療活動を通じて人びとに受け入れられていく。やがて生まれた息子ポールと領主の息子テンガが深い友情で結ばれる。だが、穏やかな日々も長くは続かない。悲劇が引き起こす怨恨。怨恨が引き起こす復讐劇。そして1950年、新たな支配者の侵攻により、人びとは分断され、緊迫した日々が始まる。ポールもテンガもその荒波の中、人間の尊厳を賭けた戦いに身を投じてゆく。
帯裏 二頭身三頭身のデフォルメが用意されてるのもお約束。これはこういうものだと受け入れなければいけないです。チベット 業界内でへんなマチズモの男根主義 で対立しても、いいことない。
སྡིག་པ་ 本書にはさかんにディクパ・コということばが出て、ちむどんどんにアギジャビヨが出て、漢語小説に玉田が出るようなものらしいのですが(説明は頁70)絶対チベット フリークの女子会では、「ディクパ・コvsオフパ・コ」みたいなダジャレが乱れ飛んでると思います。こわいこわい。「ディクパ」だけチベット語 が探し出せたので上に貼りましたが、「コ」は分かりません。
この作品はフィクションである。作品中に登場する名前、人物造型、出来事は著者の想像によるものである。実在の人物や出来事、場所などと似ている点があったとしても、完全なる偶然である。
わざわざの注記。私は左手の中指を切り落としてませんので、いっしょに写しました。カムのニャロンという秘境?が舞台で、最初、近年映画の舞台にもなったギャロンと脳内で混同してましたが、別の場所だそうです。
新竜県 - Wikipedia
上海、サンフランシスコ、ダルツェンド(本書でもタルツェンドと書いてあるのですが、〈打箭爐〉なので私はダルツェンドで覚えてしまっています)*2 なども出ますが、なぜかゴロが出ます。若者たちが度胸試しで遠征する。ゴロ娘は美人でさせこ*3 が多いことになってますが、私が会った果洛 女性はふつうに素朴な人でした。『回教から見た中国』(中公新書 )の記述を裏付けるように、回族 やサラール族の商人が、夏河 臨夏などから運んで来る服飾品などを買っていて、夏河 臨夏などでは自分たちが買うのの半額で買えると言ってたのを覚えてます。ようは倍額で買わされている。
www.google.com
ふと思いましたが、後述と関連して、臨夏と寧夏 は、ナとラを混同してるだけで、同じ語源ということはないでしょうか。何をいまさらですが、知らないので。それが、ペルシャ語 起源とかだったら、ほんとうにおもしろいのになあ。
亡命チベット人 医師が 遺したチベット 愛と苦難の 長編歴史小説 。 書肆侃侃房
帯背
Tsewang Yishey Pemba - Wikipedia
著者のツェワン・イシェ・ペンバという人は、祖父がカムのマルカム生まれ(どうでもいいですが、私は勝手にカムのマルカムを〈芒康〉アムドのマルカムを〈马尔康〉と覚えていて、しかしほかにもマルカムになってしまう別漢字の地名があった気がして仕方なく、でも地図帳などでの確認を怠っています。グーグルマップはよう分からん)で祖母がヤードン(本書ではチベット 名のトモと記載)生まれで父はインドのダージリン 生まれ、本人はギャンツェ生まれのブータン 国境育ちで、ロンドン留学後そのまま中国共産党 治下の故郷へは戻らず、医師としてダージリン やティンブーで、亡命チベタン のアテンドもしつつ生きたそうです。ほかにも英語作品はあるそうですが、それらはウー、ツァンが舞台なのかな、本作がカムを舞台にしてるのは、祖父へのオマージュな気がします。同時に、本作は、2011年の逝去後六年経ってから2017年遺族の手で出版であるとともに、2007年、中国から許可が下りて念願のチベット 訪問をしたものの、ショックで数ヶ月ふさぎこんで、そののちに執筆を開始した作品だそうです。肝臓がんを患いながらの執筆作業だったとのことで、「~ねばならぬ」で書いたのでしょうと。
まったくどうでもいいですが、邦訳者の方は、セーラー服と機関銃 の主人公と同姓同名なので、新刊が出てないかチェックすると、必ずセーラー服と機関銃 も出ます。なにかもうひとひねりして、セーラー服と機関銃 とチベット を絡めることは出来ないものでしょうか。それはそれとして、「ディクパ・コ!! オフパ・コ!!」(クトゥルー ちゃんの「テケリ・リ! テケリ・リ!」口調で言って見るとキチ、否吉)関連でいうと、主人公ふたりの名前が、テンガとポールという、どうしようもなくエロパロにしか出来ないコンビ名で、チベット でもっとも苛烈に抵抗運動が続いた地方を舞台にした小説なのにどうして「TENGA &POLE」なんだろうなあ、いやテンガが"TENGA "という綴りか分かりませんし、ポールも"POLE"でなく"PAUL"なのでダイジョウブなのですが、しかし。BL。テンガ&ポール。ディクパ・コ!! オフパ・コ!!
じっさい、本作は、「チベット人 はムッツリシケベの漢族とちごて、性に開放的なのよっ!」を存分にプロパガンダ した作品で、これでもかと、性に放埓なチベタン ライフを縦横無尽に描いています。最初私は本作を、侵攻までは牧歌的、侵攻後は凄惨な共産党 の悪行をこれでもカーと列記、なのかと舐めてましたが、侵攻までは存分にカムの「人殺しつつ、経唱えつつ」を描き、かつヰタ・セクロス アリス満開でした。侵攻後は、トンドゥプジャのチベット語 小説でもそうでしたが、チベット人 の中に、「旧社会の農奴 が搾取階級を糾弾」の形でえげつないことをする場面も書いたりしてます。また、進んで辺境におもむき共産党 に奉仕する知識分子漢人 も登場し、それが、各地の村々で性病検査する医師たちで、なんと、その性病検査が例の強制不妊 と誤解され噂がうわさを呼んで、という展開があります。頁357。そう来るのかという。
で、イェシ、否イシェさんは、絶対、阿来の《尘埃落定》を、漢語ではないにせよ、翻訳で読んでるのではないかと思いました。ムリクリ張り合った気もします。ぼ~く~は、ジュオマ~が好きっ、侍女に筆おろしをしてもらう領主の息子の話。舞台も同じカムだし、時代も同じ、共産党 侵攻前後だし(ただし『塵埃落定』は最後、ゴンチャンダン総攻撃落城崩壊、田宮虎彦 の小説のように終わる)
塵埃落定 : 土司制度の終焉 (近代文芸社): 2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
《尘埃落定》の邦訳も、ホント特異点 な出来事でした。さいかちって人たち、誰だったんでしょう。星泉 のひとは訳者解説で、新井、否阿来サンもニャロンを舞台にした《瞻对 终于融化的铁疙瘩 一个两百年的康巴传奇》『ニャロン 最後には融和した鬼腫物 ある二百年に渡るカムパの伝説』を2014年に四川文藝から出してると書いてますが、一歩進めて、「そちらも現在、盟友大川謙作氏が鋭意翻訳作業中である。刮目して待たれよ」とは書いてません。阿来はツェンアイヌ オディンは面白かったのですが、勉誠出版 が訳した『空山』は観念的で面白くないかったので、このニャロンの小説もおかたくて面白くないのかもしれません。ので、訳されない。
本書は冒頭に、シェリ ー・ボイルというチベット ブンガク研究者の「この本について」があり、それも訳されています。「外国に身をおいて英語で書く後進のチベット人 小説家たちは、借りてきた言語を操り、植民地独立後の他者に間借りした土地で、脱領域化した民族を描いているのだ」と書いていて、最後が理解出来ませんでした。クルド人 小説家ならそうもいえなくもないでしょうが、チベット って、脱領域化状態なんでしょうか。ラージャ・ラオという人と、チヌア・アチュベを比較対象として挙げていますが、前者は邦訳ないのかな。
Raja Rao - Wikipedia
頁69ほか、康定(タルツェンド)の歓楽街には日本人の娼婦もいることになっています。具体的に登場はしませんが。タンザニア のザンジバル までも行ってたわけですから、大和撫子 の娘子軍 からゆきさんが、長江をさかのぼって、成都 からさらに奥地にまで行っていても少しもふしぎではないですが、元資料があるんなら知りたいです。
頁104ほかに、清国軍のチベット 鎮圧時の指揮者、趙爾豐の名前が出てきて、かなり悪しざまに言われるのですが、赵尔丰の日本語版ウィキペディア を見ても、それは書いてません。中文版と英語版には書いてあります。
ja.wikipedia.org
Zhao Erfeng - Wikipedia
earning himself the nickname "the Butcher of Kham"[1] and "Zhao the Butcher"[2] (Chinese: 赵屠户).[3]
赵尔丰 - 维基百科,自由的百科全书
其中均稱趙氏是一個“屠夫”、“劊子手”或“殺人王”。[3][4][5][6]
頁145、西寧の人、という意味のチベット語 は「スィリンガ」だそうです。漢語のナ行はチベット語 のラ行に転訛するんでしょうか。広東語のように(北京語のニーハオが広東語のレイホウになる)
頁193、「くつくつ笑って」を「くっくっと笑って」の誤記だと思ったのですが、検索したら「くつくつ笑う」は、ある表現でした。しかも同人が使ってるっぽい。
くつくつと笑うという表現はやや古風ですか?最近の小説では使われていま... - Yahoo!知恵袋
頁210
高僧は一方の手の人指し指を立て、もう一方の手のひらをカップ のように丸めるチベット 式のジェスチャー をして見せた。
見たような気もしますが、日本では違いますね。
dic.pixiv.net
頁235
「レンイェ・マロカフィ・ヨマお前の母ちゃんとやりやがれ !」リロは自分では北京語だと思っている言葉で悪しざまに罵った。そして木こりの名人ミンマはさらに畳みかけるように言った。「カオ・ルセ・マカロフィ・ヨマお前の母ちゃんとやりやがれ !」
"你妈的"や"草泥马"がそう聞こえるということでしょうか。でしたら、やはりナ行がラ行にという。
頁238、共産党 と書いて「コンデンタン」とルビを振ってます。北京語ならゴンチャンダンです。チベット語 なのか、どうなのか。
国民党のイケメン将校が出ますが、名前がリウ・ドンホワです。ファーじゃない。ホワです。アラク ・ドンホワ。共産党 側は、カムパ有力者同士の争いで敗れた人物が、寝返って出てきます。ジグメみたいなキャラかと思うと、だいぶ違います。延安で思想改造 されてる。あと、名前だけ出るのが、劉伯承りゅうはくしょうサン。
ja.wikipedia.org
頁266、原子爆弾 と書いて「ドゥルテン爆弾」のルビ。そういう単語も、借用語 でない固有名詞があってよかったです。アメリ カよ、レンドリースしておくれ。
レンドリース法 - Wikipedia
頁318、秧歌ヤンコ踊りということばが出て、「漢人 の田植え踊りから発展した踊りの一種」と説明されてますが、踊るのは共産党 の宣伝ナントカ隊ですので、二郎神君がチベット でも信仰されてるのと同類項の話ではないようです。
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頁324、「最後に勝利を!」という漢語のセリフが出て、ルビは「ツイホウ・サンリー」です。「原注:第二次世界大戦 中の国民党の中国語スローガン」だそうですが、ズイホウ・ションリーをツイホウ・サンリーと書くあたり、南京官話に対するなにがしかの感情が、インドやブータン 、ロンドンで暮らすイシェさんにも伝わってる可能性を感じました。
頁379、共産化前に打箭爐で新疆出身の中国人の靴屋 に作らせた革製のロングブーツという描写があります。ウイグル人 が東チベット まで流れて来たのか、はたまた新疆の漢族なのか。
頁384、共産化前の回想で、日本製のおもちゃが売られる場面があり、「日本の製品は当時一番安くて一番粗悪だった」と書いてあります。ダージリン にいてそう思っていたのか、あるいは別のところで。イシェサンも、インドやブータン に戦中いたなら、インパール作戦 や援蒋ルートの攻防絡みでいろいろ思ってそうです。
頁437ほか、カムパにやられる中国兵(人民解放軍 兵士かな)がよく「達頼喇嘛ダライ・ラマ 」を連呼しながら命乞いをします。私はよく「ダリラマ」という漢語音波を中国で聞いていて、中国語になるとダリラマに訛ると思い込んでいたのですが、〈达赖喇嘛〉はダライラマ da2lai4lamaで、ダリラマとは読みませんので、一時思考停止しました。ダリラマは、大日喇嘛、あるいはあるいは、達日喇嘛みたいな誤記の世界でてきとう言われたのかな。シガツェもそうですが、「~曜日」をさすむかしの言い方、〈日拝〉って、「日」を"ri"と読みませんよね。"li"と読んで、〈礼拝〉とカブってるんだけど、暗黙知 で〈日拝〉で通している。そういえば、ウイスキー を指す中文の〈威士忌〉はピンイン 読みするとウェイシジー 、ズーズー中国語になってもウェイスジー としか読まないはずが、「ウェスキィ」と読む人がいて、聞くと、親がそう読んでいたとのこと。ダリラマ。
頁442、「チベット人 たちが「ダチュ」と呼ぶ中国製の米酒を酌み交わしている」四川に近いので、米酒(mijiu)があるのは分かりましたが、それがチベット語 で「ダチュ」になるロジックは分かりません。
本書もまた、大正時代くらいから五十年代くらいまでの、チベット と中国の変遷を扱った小説ですが、現地に同化した米国人宣教師一家が一方の主人公であるところが、力点だと思います。その教会は解放後ながらく、米国のチベット 侵略の企図の証として残されていたということに作中ではなっていますが、モデルになった建造物があったとして、自由旅行なんかでは行けない場所にあるんだろうなと思います。だから思想的にフラットな人間が見学出来るかというと、どうかなという。治安を理由に、思想的にベッタリな団体組織しか参観を許可されないのだろうなと思います。もし、モデルが実在すればの話ですが。
巻末の参考文献に、カムの人々の戦いの記録、という一項があり、『チベット 女戦士アデ』(総合法令)1999年、『激動チベット の記録 1950~1959』(日本工業新聞社 )1983年、『四つの河六つの山脈 中国支配とチベット の抵抗』(山手書房新社 )1993年、『中国とたたかったチベット人 』(日中出版)1987年と、洋書二冊があげられてますが、邦書は一冊を除き、すべてペマ・ギャルポ サンがかかわってます。たいしたものです。
本書以外にもチベット人 が英語で書いた創作物はあるそうですが、本書は2007年以降の、比較的現代に近い史観からの捉え直しなので、その意味でも読者に沁みると思います。
さいごは、「ボクもうつかれたよ、ママン」で、傷ついた戦士が横たわって、その上に雪が降りしきるのかと思ったのですが、ぜんぜんそうはならず、元気百倍、勇気凛々です。もっとも抵抗が続いた土地への、ファンタジー なのでしょう。それとは対照的に、中国の観光地となったラサも描かれますが、それはそれで。
では、また何かあったら後報で。以上