吉行淳之介編『また酒中日記』読了

また酒中日記

また酒中日記

また酒中日記 (中公文庫)

また酒中日記 (中公文庫)

とにかく暑くて、本を開いてもすぐまぶたが閉じてしまう。
読み終えるのに、ものすごく時間がかかりました。
前作がそんな面白くなかったのもある。
人の悪口言うのが仕事の人が、お互い存命中なので萎縮しあうさまがつまらなかった。
で、この続編は、前と違って、執筆者ひとりひとりに肩書を付けて、
読む人に配慮しています。人類第四の発明「検索」がなかった前世紀、
記憶力と知識だけでその人がなにものか判別させるなんて無茶ですよ。
やっぱ肩書付けてあげないと。
で、この続編は、文筆業以外の人のエッセーが印象的でした。だから読めた。
長新太とか、手塚治虫とか、滝田ゆうとか、フランキー堺とか、すまけいとか、沢野ひとしとか。
いや、長新太はほかの画家の文章に出てくるだけだった。
で、中山千夏が五月蠅い文章書いてますが、肩書女優でした。
以下、っころに残った部分のメモ。

頁59
立原正秋「日々の酒」(昭和42年8月号)
 試写をみおわってから松竹のレストランで吉田夫妻とウイスキー。帰路<葡萄屋>に立ち寄り、ブランデー。肴にとなりに掛けた女の子の乳首を服の上からつまむ。帰宅してから家人いわく。
「あんなことをなさってはいけませんわ」

さすが、独立後の祖国の変容なぞ意にも介さず、強く李朝朝鮮の美意識を持ち続けたお方。
そのまんま春香伝のエピソードかと思った。

頁68
五味康祐祇園で」(昭和43年10月号)
S君はエスキモー人を女房に持つ男とて英語はペラペラの筈なり。

これ、西木正明かなあ。H社のS君とあるけれども。
西木正明名は後半ほかの人のエッセーに二回くらい出てくるが、本人の随筆はなし。

頁106
永田力「ゴルバが飲む店」(昭和45年8月号)
「パンツ、パンツ」「ほら、パンツに手をいれた!」と大声をはりあげるのはおばあちゃん。プロレスがはじまると客なんてどうでもいい。今夜はアントニオ猪木だ。あきらめた方がよさそうだ。

むかしの人はほんとに凶器攻撃で流血のプロレスが大好きでしたよね。
それが地上波ゴールデンで見れた。
上田馬の助とか、日本人のくせになぜ外国人の味方をするのか、髪まで金髪に染めて、
と、悲憤慷慨ゴウゴウされてました。
私は、タイガー・ジェット・シンが私生活で猪木を襲ったのを不思議に思わない。
そういう時代ですし、
アテンドする日本側がなにかシーク教徒の琴線に触れることをやらかしたんじゃないかと、
推測してるからです。
猪木が後年イスラム教に改宗したりしたのは、その辺の経験があってこそでしょうね。

頁155
笹沢佐保「日々疲々」(昭和52年11月号)
「いまの日本人を、誰が救うのか」
「日本の将来は、絶望的だ」
 彼もぼくも真剣に3S(スリーエス)政策の成果について論じ合い、日本の現在と将来に関して大いに慨嘆したのである。
 終戦後、ぼくたちには旧制中学か新制高校かの選択権が与えられ、6・3・3という現在の教育制度が導入されたわけだった。そのとき、ぼくたちは今後の日本人の教育に対するアメリカの方針というものを聞かされた。日本民族の能力低下を図るために、アメリカはまず教育制度に6・3・3制を導入し、学問的な優秀さを抑制する。
 次に、日本人の根性、勤勉さを骨抜きにするのを目的に、3S政策を用いることにする。3S政策とは、スポーツ、ソング、スクリーンの頭文字Sを三つ集めたものである。その話を聞かされたときに、ぼくたちは大笑いしたものだった。そんな政策や教育方針によって、日本民族や日本人の本質が変わるはずはないと、ぼくたちは嘲笑したのであった。
 それから三十年、ふと気がついてみて愕然となった。いつの間にか、日本人の生活は3Sと完全に密着していたのだ。スクリーンが映画からテレビに変わっただけで、結果的には同じである。
「テレビの影響というものを、考えてみろ」
「いまや日本人は、スポーツなしでは生きられないくらいだ」
「そしてソング、歌手とそのファンの姿を見て、どう思うか」
「日本人にとってテレビとスポーツと、それに歌しかないのか。どれもこれも、頭を使わなくてすむものばかりだ」
「3S政策はまんまと成功したし、これを転換させることはもう不可能だ」

どこまで本気で書いてるか分かりませんが、
小林よしのりAKB48超時空要塞マクロスなどを予言した会話かもしれません。

226
小泉喜美子「生き永らえていたとて」(昭和58年10月号)
 今夜は『ホテル・ニューオータニ』で雑誌「出会い」落合恵子さん対談シリーズのゲストに呼ばれている。落合さんは私の本をよく読んで下さっていて光栄の至りだが緊張のきわみでもあり、それをほぐすためと称して酎ハイ数杯ひっかけて何くわぬ顔して出かけた。

典型的な言動やな、と思い、検索したら、この方の人生と失敗歴、最後がぱっと読めました。

小泉喜美子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%96%9C%E7%BE%8E%E5%AD%90

昔の文人の話ばかりなので、平成の号に野坂昭如中上健次が出てくると、
この人たち平成まで生きてたんだっけ?と混乱する。平成と21世紀は別なんですよね。
野坂がいちばんこのアンソロジーに名前の出てくる作家だと思いますが、
彼自身のエッセーから引用してしめます。

頁299
野坂昭如「理屈はいらない」(平成2年12月号)
焼酎の尿割りというのはどうかなと思いつつ、そこまではやはり踏み切れなくて、朝から湯で割りつつ、昼までに四合。旧友斉藤保、酒友熊谷幸吉、二人とも朝からの焼酎で、死んだ。かくすればかくなるものとしりつつも、やむにやまれぬ湯割り焼酎。浮世のバカは、ヌーボーで死ぬ。昼からはビール、といっても家じゃ飲めないから、近くの寿司屋。ここには、老人ばかりが、昼間から寄り集っていずれも上機嫌、こういうのをみていると、たしかにフクシ国家だとは思う。一月ほど前だったか、それぞれの歳をたずねたら、われがいちばん上なのだ。七十くらいかとみていた御仁、実は四十六歳、そのこしかたをうかがうと、まことに苦労されている。日本人一般が、若くみられるというのは、つまり苦労が足りないせいじゃないのか、いや、足りないじゃなくて、けっこうな明け暮れのせいじゃないか。何が何だかよく判らないまま、運送屋さんの家に入りこんでいて、飲んだくれた挙句に、東北より直送の野の幸を沢山頂く。家の近くで求めるヴェジタブルに較べ、まったく別物。タバコが悪いの、カルシュームが足りないのと、いったい何なのだ。青森でできたゴボウと、スーパーのそれを較べてみろ、マリファナがどうしたというのだ。ヤイ、厚生省、食いものについて少しは考えてみろ。

 顔はげっそり痩せ、いたるところに肝障害特有の赤斑が浮き出している。

 夜中に目覚め、物置きから酒を運びこむ。客間にいちおうそろっているが、空にするとバレてしまう。以前、飲んだだけ番茶を補っておいたら、妻たちがパーティを開き、えらく叱られた。故に、表向きの瓶には手をふれない。夜中に飲むウイスキーはまた格別。もはや娯楽小説を読む気にもなれない。肝臓に悪いだろうなと思いつつ、グラスに少し注ぎ、いやもう少しくらいいいだろうと注ぎ足し、トイレットの水でうすめ、ボケーッと飲む、たいてい朝までに一本は空いている。アリャサのサッサと一人で書斎で踊りつつ、こういうのは、酒仙でも、酒乱でも、酒豪でもない、酒痴、酒奴であろうか。かつて体重六十五キロあったが、今は六十四キロで、一キロを酒に奪われた勘定。酒を飲むとどうして、息がくさくなるのでしょう、家人と顔を合わすことができず、一人、じっとしている。この三日間、固形物はいっさい口にしていない。

体重減で車いすより先に譫妄かなあ。よく分かりません。
この人、火垂るの墓見るたび涙が止まらなくなると別のエッセーで読んだ。
映画化しなきゃよかったのに。