『立ち飲み屋』 (ちくま文庫)読了

立ち飲み屋 (ちくま文庫)

立ち飲み屋 (ちくま文庫)

立ち飲み屋

立ち飲み屋

頁13に、文庫化にあたって全く改訂しなかったことを高らかに記しているのが素晴らしいです。
情報には勿論鮮度や旬がありますが、時代を閉じ込めた本を開き、
その香気をかぐわしく味わうひとときもまた至福だと思うからです。

今週のお題「日記・手帳」に関連することですが、
はてなダイアリーはおそらく炎上対策で、その日の日記を後日編集出来ます。
しかし、いつ加筆訂正したかが、明記されません。更新履歴が分からないのです。
これでは、本当にその日その日書き留めた内容かあとで分からなくなるので、
私は後日の加筆にはなるべく【後報】の二文字と加筆年月日を記載するようにしています。
以前、東大生産研の喜連川先生主催の、
国会図書館と全米図書館協会とNPOのフォーラムを聴講した時、
中南米のどこかの国で、法律をすべてWebでしか公開しないことにして、
改訂時は直接htmlに上書きして過去の法文を消してしまい、
アップデートの日付も記載していなかった事例を聞いて(NPOの監視団体が発見告発したとか)、
自分も気をつけようと思っているからですが、
でもこまかい修正は、いちいちその旨明記してないです…
本当は、はてなさんに、更新日時出るようにしてもらえないかなあと思います。

マイク・モラスキーの一昨年の本*1では、

呑めば、都―居酒屋の東京

呑めば、都―居酒屋の東京

酒を注文しないと立ち吞みには入れないような感じでしたが、
前世紀に書かれたこの本では、頁119池尻大橋では小学生が焼き鳥を食べているし、
頁129荻窪では主婦がコーラで焼き鳥を齧っている。どこも持ち帰り客が多い。
酒のほそ道の32巻*2か33巻*3の解説で玉袋筋太郎が、
小学生時代銭湯ついでに子ども同士でやきとんに通っていた話を書いてますが、
子供や主婦ならともかく、飲まない大人が立ち飲みに行くのは雰囲気的によくないんですかね。
それとも、情報過多、情報過剰で、薄利多売の人情店に、
一見の長っちりが大挙して押し寄せて、いろいろややこしくなってるのか。

頁191
週刊誌等に掲載されてからしばらくは、決まって早い時間でもいいネタがなくなっているようだ。長居していいネタを食い尽くすなんて言語道断。ましてや大勢で行って、バッタの大群みたいにみんなきれいさっぱりありませんなんてのも勘弁してほしい。ここへは一人で行って純粋に焼き鳥の味と立ち飲みの風情を楽しもう。さっと飲んで、さっと帰るという立ち飲みのセオリーだけは守っていただきたい。

まあ、この本には、上筋でない、絡み酒とか説教親父とか、
他の店で相手にされないから安い立ち飲み徘徊する人もちゃんと出てきます。
正直でいいですね。
頁168で、内田吐夢監督の『血槍富士』を紹介していたので、見てみたいと思いました。

血槍富士 [DVD]

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血槍富士とは - 映画情報 Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E8%A1%80%E6%A7%8D%E5%AF%8C%E5%A3%AB

頁168
 酒を飲めば、誰だって多少なりとも人は変わるが、人格がヒョウヘンするとはまた、大ゲサなとおかしくなった。が、待てよ、確かそんな話があったゾ……。
 モウモウと上がる焼き場の煙を眺めながら、ふと思い当ったのが内田吐夢監督の傑作時代劇『血槍富士』で、この映画に出てくる若侍が、確か酒を飲むと“人格がヒョウヘンする”人物だった。話は、こうだ。槍持ちとお供の男を連れ、江戸へ向かっていた若侍が大井川で足止めを食い、気を紛らすために嫌がる供の男を連れだして居酒屋へ。若侍は酒を飲むと人が変わるので槍持ちも供の男も、国もとを出るときから、十分に気をつけるよう言われていたのだ。案の定、酒が入った若侍は供の男にからみ始め、来合わせた酔っぱらいの侍たちと喧嘩になり、二人とも惨殺される。それを知った槍持ちが、主人のため仇を討つ……。
 酒樽が転がり、酒びたしの中を夢中で槍を振るう片岡千恵蔵も凄かったが、酒で人が変ってしまう主人の島田照夫(のちの片岡栄二郎)も、一世一代の名演だったよなあ、などと「白鶴 辛口」をなめながらひとりオダをあげる。

頁11に、執筆者の素描、活写内容に落差と言ってますが、
吉田類が前世紀から既に吉田類で、全然他の執筆者と「ふいんき」が違うのに笑いました。
さすがザデイナー