『下町酒場巡礼 もう一杯』 (ちくま文庫)読了

下町酒場巡礼 もう一杯 (ちくま文庫)

下町酒場巡礼 もう一杯 (ちくま文庫)

正編より先に続編を読んでまいました。正続併せて八十八軒紹介とか。
『立ち飲み屋』*1は文庫化の時点で情報をあえて更新せず、
往時の香りを書中に封じ込めましたが、
この本は最初からそれを狙って執筆されたとのこと。

頁12 はじめに
世紀末の東京で急速に消滅しつつある一つの文化を記録したい、しなければという切羽詰まった思いに駆り立てられたからだ。

そして作者たちはこのような姿に。

頁13 はじめに
 かくして、どうなったか。一人は尿に糖が出て一時通院、一人は腎臓結石の発作を起こした。残る一人も尿酸値が急上昇し、いつ痛風になってもおかしくない状態だ。

しかし、それでも求め続ける。

頁14 はじめに
尺八を吹き日本各地を放浪した末、廃屋のようなアパートの一室で餓死したダダイスト辻潤は次のように記している。
「『酔生夢死』は自分のようなヤクザ者には至極嬉しい言葉である。ところが、実際なかなかそれが出来かねるのである。人生そのものに酔っていられるなら、なにもわざわざ酒や阿片のご厄介にならなくてもすみそうなものだ。夢死が出来れば、死の恐怖に襲われる憂いもあるまい」(『浮浪漫語』)
 阿片はともかく、人生に酔えないのなら、しばし、渋い酒場でひとり酔っていたい。

コンビニや安売りリカーショップで買って自宅や公園で酔っていては、
きりがないからダメなんですね。社会の中で共存して酔わないと。
作者の飲み方は、正しいです。下記など見ると。

頁215 吉田屋食堂 墨田区吾妻橋
吞んべえには二種類いる。飲みだすとひたすら飲むだけでほとんど食べないタイプと、飲むのもしっかりこなしながら、旺盛に肴も胃袋に収めてしまうタイプ。僕は完璧に後者のタイプで、肴もそこそこしっかりしていないと、二度と足を向けない。

前者は、ダメ。

頁242 伊勢周 江戸川区松江
 外の船堀街道をトラックが通る度に店が揺れる。「まるでアメリカのドライブインみたいだな」と連れの酒友が苦笑い。客はなぜかリタイアしている年齢のようなのに、作業服を着ていたり、ジャンパーを羽織った一人客のお年寄りが多く、ぽつねんとサワーやウーロンハイをすすっている。連れの言葉でふと浮かんできたメロディーが、かつて旧西ドイツ映画バグダッド・カフェ』で流れていた『コーリング・ユー』のメロディーだ。この切ない歌は、理由もなくブルーな気分になった時、カナダの女性シンガー、ホリー・コールのハスキーな声で聴きたい。


再生回数をみると、ジェヴェッタ・スティールやセリーヌ・ディオンより少ないですが、
日本語コメントが目につきますので、やはり日本で愛されてる方なのでしょう。
どうでもいいけど、上記の女性より、ジョージ・マイケルジェフ・ベックリーといった、
男性歌手のほうが再生回数が多いのが不思議です。"Colling You"
徳永英明のほうが原曲より再生回数が多いことはないと思うんですが。

頁255 一瞬で消えた銘店
 そんなひとときが過ぎたころ、一瞬にしてこの場が掻き消された。隣に座っていたおじさんが、それぞれが静かに飲んでいるのに気を回して、親父さんに「歌おうか」と声を掛けた。親父さんは黙ってテレビを消して、カラオケマイクをセットした。ほかの客は、というといかにも迷惑そうだ。歌いませんか、というおじさんの声に答えもしない。お節介な、という表情が見え見えだ。
 おじさんは一人で歌い始めた。それまでのしっとりとした店の空気は一気に場末のスナックに汚れていった。「さあ、みんあ歌おうよ」と声を掛けまくるおじさん。無視するほかの客。そんな時間が数十分続いた。ただこのおじさんを憎めなかった。なぜか、嫌味はないのだ。ただ場を盛り上げようという気ばかりで、その場を見ることを失っていたようだ。
 歌声喫茶がはやって、客の音頭を取るリーダーがもてはやされたのは何年前だろうか。突然登場して、大げさな身振り手振りを交え、ロシア民謡や童謡を大きな口を開けて歌い始める。一種の病かもしれないが、日ごろのうさがまったくたまりそうにないそんな人が必ずいた。マイク握ったおじさんを見て、そんな姿を感じた。そして、それは高度経済成長の一兵卒として働き、目には会社しか写らず、その会社から捨てられ、戻る場を失ったサラリーマン。何とかその場に戻ろうと取り繕って、さらに孤立していく会社人間の哀れな姿、そのものだった。
「ああー。せっかくいい店なのに」。このおじさんに愛想笑いもできないまま、この店をあとにした。ふたりとも、かなりのショックだった。

会社人間かどうか知らないが、一種の病でしょう。

頁262 百尺 墨田区押上
 これだけの豊富な肴だが、基本的に作り置きをしない。客が注文してから、調理場でこしらえ、それが店の良心ともいえる。
「でも、最近は、チェーン店ですぐにつまみが出るのに慣れているからなのか、『遅い』と文句を言う若い人もいますよ」と主人。コンビニ、チェーン店文化の弊害がこんなところにも押し寄せているようだ。

別に、作り置きしてもいいのに、と思わないでもありません。
ホテルの中華だって、所謂“基本チャーハン”は朝と夕の仕込みで作り置きしておき、
(勿論二三日寝かせた冷やゴハンで作ります)
注文がある度鍋を振ってその分をパラリと仕上げるものです。

華中華(ハナ・チャイナ) 19 (ビッグ コミックス)

華中華(ハナ・チャイナ) 19 (ビッグ コミックス)

頁279 ふらふらと夕暮れ逍遥
宮前 下町でホッピーに使われる焼酎は「キッコー宮」とか「金宮」とか呼ばれる三重県のメーカーの品が多い。これはホッピー会社の社長の話だけれど、神奈川県の小田原のある店ですごくホッピーが売れていたので、社長が調べに行ったら、そこのおばあちゃんが焼酎の「キッコー宮」を使っていた。いろんな焼酎を試して、割合もいろいろやって、キッコー宮にたどり着いた、ということだった。確かにうまかったので、社長は、この焼酎をホッピーとセットで下町の店にすすめた。これでキッコー宮が広まった、という話だよ。

この社長は、先代かその前の方と思います。小田原の店、知りたいですね。

頁285 ふらふらと夕暮れ逍遥
平岡 店の住所はあえて載せなかった。「店の地図を載せてほしい」という手紙や、四谷ラウンドに「今、近くにいるんだけど場所が見つからない。お願いだから教えて」という電話があった。なぜ、住所を載せなかったか。それは街を歩いてほしいからだ。僕たちが見つけた店はみんな、街と一体になっているんだ。
宮前 探しながら、街のにおいを感じてほしい。紹介した店は街のにおいを集約しているからね。普段歩かない商店街などを歩いて見つける。銭湯に入って、その店でくつろいでほしい。タクシーでポンッといきなり店に乗り付けて、「なんだこの店、愛想が悪いな」じゃね……。
大川 それはないよ
宮前 詳しく場所や電話番号を書いて紹介すると、テレビや週刊誌のお手軽企画に載るようになる。つまりパクりやすくなる。まして二〇〇〇円で飲める名店なんて紹介されたら有象無象が押し寄せる。
大川 そうなると、常連客は絶対に店から押し出されるようになるよな。せっかく築き上げた店の雰囲気は荒廃するし、魅力も消えてしまう。一人静かに身をゆだねて、というのがいいんだよね。というか、そこまでになってほしいよ。訪ね歩いて、たどり着いてくるような。ふらふら町を歩いて欲しいんだよ。

以上