『にごりえ・たけくらべ』 (岩波文庫)読了 杉本亜未「闇の瞬き 〜樋口一葉、奇跡の14ヵ月間〜」に寄せて


岩波文庫より。読めまへん。
どこをどうしたら、「に」と読めるのか。
さういへば、「にごりへ」でなく「にごりえ」なのはなぜか、
まったく疑問に思ってませんでしたが、
「にごり江」だからにごりえなんですね。
よく分かりました。

にごり‐え【濁り江】ツイートする Facebook にシェア
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/166715/m0u/

水の濁っている入り江。
「―の澄まむことこそ難(かた)からめ いかでほのかに影を見せまし」〈新古今・恋一〉

今週のモーニングに樋口可南子一葉を題材にしたマンガが載っており、
読んでゆくうちに、言葉を失いました。
http://natalie.mu/media/comic/1311/extra/news_thumb_yaminomatataki.jpg
杉本亜未樋口一葉描く、ファンタジウムはDで連載再開
http://natalie.mu/comic/news/108886


人並みとはなんなのか。健常なのか。国民の三大義務である、
勤労・納税・教育を果たしている、遂行しているという意味なのか。

この小説の書かれた明治二十六年ごろは、福祉もクソもなかったろうから、
セーフティーネットだの社会慈善だの霞のようなもので、
マンガの斎藤緑雨が“泣きて後の冷笑”と評した、
悲憤慷慨枯れはてて、それでも生きてゆく奇態のおかしさ、自嘲。
モーニングを開いたまま少し絶句して、そのあと書店で新潮文庫をぱらぱらめくり、
ブッコフには岩波文庫しかなかったので、買いました。
この五千円札作家も、読まぬまま大人になってしまったので、読もうと思って。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

新潮は活字は大きいが、往時の全文ルビは再現してません。
注釈は岩波より多いですが、もっそう飯など、文脈で分かるものまで註しているのが不思議。
作者享年は、数えである旨明記したほうがよかったと思います。
にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

岩波は全文ルビ。発表時のルビだと思います。買ったのは、1993年の第90刷でした。

青空文庫 にごりえ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/387_15293.html

http://ecx.images-amazon.com/images/I/41fXKH5JVYL._SL500_AA300_.jpg
にごりえは、五千円札の代表作ではないとのことですが、
おそらくもっとも鮮烈な印象を読者に残しているからこそ、
どのセレクトでも開頭を任されているのでしょう。

酌婦お力が、太客の結城と飲酒について交わす会話。

(三)
第一湯呑みで呑むは毒でござりましよと告口(つげぐち)するに、
結城は眞面目になりてお力(りき)酒だけは少しひかへろとの嚴命、
あゝ貴君(あなた)のやうにもないお力(りき)が
無理にも商賣して居られるは此(この)力と思し召さぬか、
私に酒氣が離れたら坐敷は三昧堂(さんまいだう)のやうに成りませう、
ちつと察して下されといふに
成程ゝとて結城は二言といはざりき。

お力に入れあげて身上潰した蒲団屋の源七と女房の会話。

(七)
お前さん夫(そ)れではならぬぞへと
諫(いさ)め立てる女房の詞も耳うるさく、
エヽ何も言ふな默つて居ろとて横になるを、
默つて居ては此日が過されませぬ、
身體がわるくば藥も呑むがよし、
御醫者にかゝるも仕方がなけれど、
お前の病ひは夫れではなしに氣さへ持直せば何處に惡い處があろう、
少しは正氣になつて勉強をして下されといふ、
いつでも同じ事は耳にたこが出來て氣の藥にはならぬ、
酒でも買て來てくれ氣まぎれに呑んで見やうと言ふ、
お前さん其お酒が買へるほどなら
嫌やとお言ひなさるを無理に仕事に出て下されとは頼みませぬ、
私が内職とて朝から夜にかけて十五錢が關の山、
親子三人口おも湯も滿足には呑まれぬ中で酒を買へとは
能く能くお前無茶助(むちやすけ)になりなさんした、
お盆だといふに昨日らも小僧には白玉一つこしらへても喰べさせず、
お精靈さまのお店かざりも拵(こしら)へくれねば
御燈明一つで御先祖樣へお詫びを申て居るも
誰れが仕業だとお思ひなさる、
お前が阿房(あはう)を盡(つく)してお力(りき)づらめに釣られたから起つた事、
いふては惡るけれどお前は親不孝子不孝、
少しは彼(あ)の子の行末をも思ふて眞人間になつて下され、
御酒(ごしゅ)を呑で氣を晴らすは一時、
眞から改心して下さらねば心元なく思はれますとて女房打なげくに、
返事はなくて吐息折々に太く身動きもせず仰向ふしたる心根の愁(つら)さ、

お力が結城に落籍されていたなら、『婦系図』のようになっていたかもしれない。

婦系図 (新潮文庫)

婦系図 (新潮文庫)

でもこの小説では、お力は源七に惨殺されて終わります。
逃げるところを後ろから切られて。
源七は蒲団屋なのにこの後立派に切腹しますが、
これは、一葉樋口夏子の父親が、
百姓出身でありながら幕末の動乱時にカネの力でサムライの称号をゲット、
それが御一新以降のパラダイムシフトでまた水泡に帰した大ガッカリ事件と、
何か関連があるのでしょうか。

私は、お前は出世を望むなの「な」を、
否定の終助詞にとりました。
ただし、
何うしたなら人の聲も聞えない物の音もしない、
靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして
物思ひのない處へ行かれるであらう

の「なら」は、しばらく広島方言と思って読んでました。

たけくらべは、普通にジュヴナイルのH2Oの歌みたいな名作なので、
特に言うことはありません。マンガのタイトルと、ナウシカのあのセリフ
ヨハネによる福音書のパクリみたいな「命は闇の中の瞬く光だ」って奴)
は無関係と思います。うん。