『墓場への切符』読了

墓場への切符

墓場への切符

墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

A Ticket to the Boneyard: A Matthew Scudder Mystery (Matthew Scudder Mysteries Book 8) (English Edition)

A Ticket to the Boneyard: A Matthew Scudder Mystery (Matthew Scudder Mysteries Book 8) (English Edition)

須賀田さんシリーズ ハードカバー借りました。
前作で自助グループを細かく書きすぎたせいか、
この巻では自助グループの描写は少ないです。
ただ、飲酒欲求と戦うシーンは相変わらずすさまじく、
酒屋でウイスキーのボトルを買って持ち帰ってしまうシーンは息を吞みました。
ドライドランクというのかな、須賀田さんは軽い暴力癖というか、
売られたケンカは十二分に倍返しで返すのですが、
酒をやめてもそれが出て、本人もそこを自覚するシーンがあります。
また、酒に関しては須賀田さんは、
自助グループの助言者(スポンサー)的人間に電話するのですが、
それ以外のクライム的な告白は、友人のプロの犯罪者とコールガールにします。
これはとても分かるのですが、小説ということを踏まえておきたいです。
『その後の不自由』を読んでいて、不安定な状態や境遇のとき、
安定した人間が信じられない、弱みを見せたくないという不条理な心理が働き、
それで、もっとも相談してはいけない相手に相談してしまう、とか、
そういうのが世の中にある、ということも分かるので。
それでそっちの読書感想をまだ仕上げていないので、でももう時間がない。
こちらもあとは後報。
【後報】

頁8
フラットアイアン・ビルにはAAもオフィスを構えている。私はそこのオフィスに立ち寄り、一時間ばかり電話番をした。そこには始終電話がかかる。AAの集会が開かれる場所を問い合わせてくる旅行者、飲酒が自分に悪影響を与えていることに感づき始めた酔っぱらい、暴飲をやめて解毒治療とリハビリテーションを受けたがっている人々――そういった連中が始終電話をかけてくる。そんな中にはただ話し相手を求めている禁酒中の者もいる。電話を受けるのはみなヴォランティアだ。そのやりとりはドラマティックなものでもなんでもない。警察本部の九一一指令センターのようでもなければ、自殺防止協会の命の電話のようでもない。が、その仕事をしているあいだは、少なくとも飲まずにいられる。酔わずにいられる。

自助グループのハンドブックの、伝統の7や8、
職業化されずアマチュア、サービスセンター、専従、などに関する実際の運用について、
私はうといのですが、自分たちの献金だけで自立しているということばの、
1990年ニューヨークでの実践について、一端を伺うことが出来る箇所です。

頁9
 ニューヨークで開かれるAAの集会には、基本的にふたつのタイプがある。そのひとつ、話し合い集会ではひとりの話し手が二十分ほど話したあと、参加者全員による話し合いが始まる。もうひとつの話し手集会では、二、三人の話し手の話を聞くのに、集会時間の一時間がフルにつかわれる。リッチモンドヒルのグループは毎週火曜日の夜にこの話し手集会をやっており、今夜は私たち三人がそのゲスト・スピーカーというわけだった。このようにニューヨークのAAグループは互いに話し手を送り合って、同じ人間の同じ話を何度も繰り返し聞かされなくてもすむようにしているのである。ただでさえ退屈な集会がさらに退屈なものになるのを防いでいるのである。

前作で紹介されていたタイプの集会は一時間半、
今作のスピーカータイプは一時間。
人間が集中出来る範囲の時間を踏まえてですかね。

頁9
 とは言っても、AAの集会というのは実際にはけっこう面白いものだ。寄席で夜を過ごすより面白いこともたまにある。話し手はみな昔の自分の人生はどんなものだったか、どんなことが起こったか、そして今はどんな状態かということを話すのだが、当然のことながら、そうした話はだいたいが暗い話になる――人生を面白おかしく生きてきたために、禁酒を決意する人間などいやしない。が、それでも悲惨きわまりない身の上話が、他人には面白おかしく聞こえることも時にはある。リッチモンドヒルでもその夜の集会はそんな展開になった。

寄席との比較は、実に的確だと思います。
実際に噺家みたいな語り口の人もいるのではないでしょうか。おや、誰か来たようだふじこ

下記のジムは、須賀田さんのスポンサーではないが棚卸しの相手で、自営業の人です。

頁105
「昨日も今日もあんたに頼みたい仕事があったんだがな」と男は言った。「明日はあてにしていいのかい?」
「なんとも言えないな。いや、たぶん駄目だと思う」
「たぶん駄目、か。どうしたんだ、別な事件でも抱え込んだのか?」
「いや、個人的なことだ」
「個人的なことか。だったら月曜日は?」私がすぐに返答できないでいると、男はたたみかけるように言った。「いいかね、分かってると思うけど、こういう仕事は喜んで引き受けようってやつがいくらでもいるんだよ」
「わかってる」
「あんたは臨時雇いでうちの正社員じゃない。でも、それでも同じことさ。こっちとしちゃ、仕事があるときにきちんと来てくれる人間が必要なんだよ」
「ああ、わかってる」と私は言った。「しかしここしばらくは私はあてにならないと思う」
「ここしばらくか。しばらくというと?」
「わからない。今後の展開次第だ」
 長い間ができた。そののち不意に馬鹿笑いが聞こえた。男は言った。「なんだ、また飲み始めちまったんだ、ええ?だったら初めからそう言やいいのに。だったらまたアルコールが抜けたら電話してくれ。そのときあんたにもできる仕事があったらまわすから」
 怒りが火山のように心の奥底からこみ上げてきた。その怒りに咽喉がつまった。私は男が電話を切るのを聞いて、受話器を架台に叩きつけた。そして、いわれのない非難に対するやり場のない怒りに血をたぎらせ、電話から離れた。男に言いたいことは山ほどあった。まずやりたいことはこれから男のオフィスに行き、そこにある机も椅子も片っ端から窓の外へ放り出すことだった。それから男に向かってこう言うのだ、おれの日当をピンハネして、その汚ないケツの穴に貯め込むような真似はもうやめろ、と。さらに――
 私が実際にしたのは、ジム・フェイバーの職場に電話をすることだった。私の話を聞き終えると、彼はさも可笑しそうに笑いながら諭すように言った。「そもそもあんたがアル中じゃなかったら、あんたは気にもとめなかったろうよ」
「私のことをアル中だなどと思う権利はあいつにはない」
「そいつがどう思おうと、それがあんたにどういう関係があるんだね?」
「あんたは私には怒る権利はないと言うのか?」
「私は怒るようなことじゃないと言ってるのさ。今どれくらい飲みたい気分だね?」
「飲もうなどとは思ってない」
「ああ、そうだろう。でも、そのくそったれと電話で話すまえより今のほうが飲みたい気分じゃないかい?いや、あんたは飲みたくなったのさ。でも、飲むかわりに私に電話したんだ」
 私はしばらく考えてから言った。「そうかもしれない」
「その結果、気持ちもだいぶ落ち着いてきた」
 そのあと私たちはしばらく世間話をした。受話器を置いたときには怒りはだいぶ和らいでいた。そもそも私は誰に対して腹を立てていたのか?リライアブルの男にか?アルコールが抜けたらまた喜んで雇ってやると言ってくれた男にか?そんな男に腹など立てる必要などどこにもなかった。

(2014/3/22)
【後報】

頁182
 そのあと何人かが話し、キャロルという女の番になった。「わたしは、お酒をやめてから二日酔いになったことは一度もありません」と彼女は言った。「でも、さっきマットが言ったことはわたしにもよくわかる気がします。わたしは、お酒をやめたら何もかもよくなるって信じたい。悪いことはもうわたしたちには起こらないと信じたい。でも、それは嘘です。素面でいたからといって人生がよくなることはありません。でも、たとえ人生がひどくなっても素面でいること、それが大切なことです。しかし、それでも辛いことが起こると、心をずたずたにされてしまったような気分になることがあります。(中略)そんなことはあってはならないことなのよ。(中略)あってはならないことが起こったのです。どんなことでも起こりうるのが世の中です。でも、だからといってお酒を飲んでいいことにはならないんです」

最初は全文打ち込みましたが、エイズのくだりが、だいぶ現在と違うので、省略しました。

酒屋の店先で酒壜を眺め、店に入り、買い、帰り、棚に置き、
そして、ジムに電話をかけ、だがそのことを話すことが出来ず、
口をつけずにバスルームに酒壜の中身を全部流し、改めてジムに電話し、
ジムが、におい消しのオススメと須賀田さんの今の気分、
そしてその夜の集会参加予定を尋ねるシーンは、頁257からです。

頁316
「時々、あんたも飲めりゃいいのになって思うよ」
「それは前にも聞いた」
「でも、知ってるかい?もし今あんたがこの容器に手を伸ばしたら、おれはあんたのその腕をへし折るだろうな」

(2014/3/23)