『せんせいけらいになれ』 (1977年) (理論社名作の愛蔵版)読了

せんせいけらいになれ (角川文庫)

せんせいけらいになれ (角川文庫)

せんせいけらいになれ (フォア文庫)

せんせいけらいになれ (フォア文庫)

『アジアを歩く』*1を読んだとき、灰谷文学未読の人にこれを勧めてた人がいたので、
読んでみました。私は灰谷文学は、兎の眼と、ガリバーしか知らない。ガリバーは、船出して遭難漂流する迄、実に詳細で感心しながら読んだのですが、
リリパットの国に漂着するとこで唐突に終わってしまい、
なんじゃこりゃあ、と松田優作が降りてきたのを覚えています。
勧めてた人は、教師をやめた事情についてあいまいに気になる書き方してましたが、
Wikipedia見たら分かりました。検索は便利。よい時代になったものです。
『せんせいけらいになれ』は教師をやめた理由と関係ないんですね。

この本は、大人にむけて書いているのか子どもに向けているのか分からず、
またどういったたぐいの本なのか最初に書いてほしかったと思います。
おそらくは教え子の小学生の詩を、悪い例以外実名で並べて、あれこれゆうという本。
私はいま、大人なので読みましたが、子どもの時読めた自信がない。
『アジアを歩く』の関西弁は演技的な関西弁でしたが、
この本の詩は、地に足の着いた子どもの神戸弁です。

かなりおならの詩を多く取り上げていて、その評価は肯定的なのですが、
中島らもが明るい悩み相談室連載終了時、おならを書けば面白いと思うなよ、
と、おなら投稿ばかりだった実情を痛烈に批判していたのを思い出しました。

同じ関西人でも、立場が変れば思想も変わる。どっとはらい