『場末の酒場、ひとり飲み』 (ちくま新書)読了

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)

読んだとばかり思っていましたが、検索で出てこないので、未読だったのでしょう。
ただ、はてなダイアリーのタイトル検索は、うまく出てこない気がします。
なので、一覧頁ひとつひとつにctrl+Fキーで検索しました。

よく、居酒屋本の書評に、世に氾濫する居酒屋本とこの本は○○が違う、
みたいなことが書かれていますが、正直よく分かりません。
今だと、モラスキーさんの新刊が出ているので、その書評にそう書いてあったりするかな。

その居酒屋本が自分に合う合わない、それだけでいいんじゃない、と思います。
で、この本は、まず「場末」であり(紹介されているのは東京近郊)、
かつ、飲みの姿勢として、川本三郎云うところの「清独」でなければならないので、
人を選びます。

頁101 第三章 工場街の飲み屋
 しかし我々は居酒屋で美味しいもつ煮やもつ焼きを食べるとき、その円熟した味わいの背景に、重く複雑な歴史的背景があることを思い返さなければならない。
 場末で飲むということは、安易に美食探訪し陋巷趣味を満たすことではなく、それぞれの庶民史と地域文化のなかに我が身を投じることだと肝に命じて
(ママ)おかねばならない。

頁108 第六章 場末酒場の流儀
 酒場は一種の修行の場であると考えるべきだ。不快感に耐え、自らの感情をコントロールする技術を磨く。そこに酒を飲むことの重要な意義がある。

うっとおしい、めんどくせえ、やってらんねぇ〜。酒は楽しく飲めればそれでいいじゃない。
という人はそれでいいと思うので、この本はどうでもいいということになるでしょう。
でも、楽しく飲みたいのに楽しく飲めない、他人と打ち解けられない、
という人は、虚心坦懐に少し考えてもいいんじゃないかと思います。
それで家飲み独酌ばかりになって、酒が入らないと外で人と会えないようになったら、
依存症ですから。
やめるのも一つの手ですけど、くだらない飲み方しかしないくせに、
酒なくして何の人生か、みたいな感じになってる人もいて、
ああ、こじらせてるな、と思います。

頁204 第六章 場末酒場の流儀
 人生が楽しいことばかりでないように、酒場もけっして楽しいことばかりではない。
 そして人はいつか酒を飲めなくなる。老いて体が衰弱するか、生計が破綻して一杯の水割りすら口にできなくなる時が必ず来る。誰にもきっと来る。
 だが、そんな時でも酒場の思い出だけは死ぬまで消えることはない不滅の財産だ。豪奢で華美な酒場の思い出は、自分の老いとともに挫折や自己喪失感へと結びつく。
 しかし場末酒場の記憶は無力感へ変わることがない。そこにいる人々が常に孤独や貧しさや愚かさを共有し、それらを克服して逞しく、享楽的に生きているからだ。それを分け与えてもらうことが、場末へと向かう心境の核心部分ではなかろうか。

ちょっと美化しすぎかも。道に迷っている人はどこでも道に迷っている。
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http://itot.jp/13111/172
六郷土手は何度も通りましたが、場末地帯があるとは知りませんでした。
時既にお寿司、残念閔子騫
南町田には場末は今はもうないと思いますが、
かつては卸センター向けの人足の寄せ場だったそうなので、
まだ残ってる店が、町田街道などにあるかもしれないですね。
東京はいつでもコンストラクション、大改造の天路歴程なので、
場末もまた一過性のもので、ガイドなどは適していないとこの本でも認めており、
まあそうなんだろうな、と思います。
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http://itot.ne.jp/suzukakedai/28
居酒屋本がたくさんあるという認識はあまりないですが、
やっぱり対象はこの世代ですかね。お気をつけて。

人生、お楽しみはこれからだ (ベスト新書)

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野球で話が弾むのにサッカーだと弾まないのは、
おっさんの性向とかそういう話だけでもなく、
Jリーグのホームタウンでもそうだったりするので、
要は「ニワカ」の「知ったか」が気恥ずかしい、アレだと思います。
サッカーって、そうなんだよなあ。