『皆殺し』読了

皆殺し (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

皆殺し (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

Everybody Dies (Matthew Scudder Mysteries Book 14) (English Edition)

Everybody Dies (Matthew Scudder Mysteries Book 14) (English Edition)

アル中探偵マット須賀田さんシリーズ 読んだのは単行本

原題がエビバディダイズなので、「みんな死ぬ」とでも訳したほうが、
よかったのではないかと少し思います。
アル中は、酒をやめても飲酒時にボロボロになったカラダがもとで、
訃報に至ることが、ままあります。
かといって酒をやめなかったら、それこそ本人が死ぬだけでは終わらない。
周囲が精神面や金銭面で負のスパイラルに巻き込まれた上で、そういう結果になる。
これまでの須賀田さん作品でも、死ぬアル中は何人も出てきましたし、
特にエイズ発症を抑えられなかった時代(本作も1998年発表)ですので、
それは須賀田さん時代のNYの、心象風景の素描のひとつだったかもしれません。
ここからネタバレを含みます。
須賀田さんの断酒自助グループの助言者スポンサー、ジム・フェイバーが死にます。
須賀田さんと間違って撃ち殺されます。
この作品は、ラスト以外、ほぼこれに尽きると思います。
ハードボイルド小説だから、人が死ぬわけで、
アマゾンレビューにあるように、本作でのそれは主要登場人物なわけですが、
それだけではない。
スポンサーの不慮の死について、こう訥々と語られた小説がほかにあったかどうか。
(そもそも自助グループで断酒してる主人公のエンタメ小説自体、ほか知らないですが)
スポンサーとスポンシーについて何がしかの思い(というか知識?)があるかないかで、
この小説の読み込み方はまったく違ったものになるのではないかと思います。

頁35
「どうしてそんなことをしなきゃならない?」
「知らんよ。犯人はキャリー・ネーション(一八四六〜一九一一。斧で酒場を破壊してまわったことで知られる、アメリカの女性禁酒運動家)と酒場反対同盟というなら話は別だが」

http://whiskydictionary.usukeba.com/xoew4mc3jzkcve.html

頁59
 酒を断ってAAにかよいはじめた頃には、素面でいる方法に関して、さまざまな人たちにさまざまなことを言われたものだが、その結果、私が学んだのは、素面でいる方法にはルールなど何もないということ――その点は人生そのものによく似ている――そして、どこまでつきあうにしろ、自分が選んだ方法に従うということだった。

頁59
 要するに、私は昔からの知恵に従いもすれば、背きもしているということなのだろう。禁酒の心得を説いた“十二の段階ステップ”にまったく注意を払っていないわけではないが、といって、そのことを常に意識しているとも言いがたい。また、祈りや瞑想について言うと、私にはそういうことがうまくできたためしがない。
 それでも、これまで一度も迷ったことのない行動がふたつある。一日一日こつこつと禁酒を続け、その日最初の一杯を飲まないことと、これほどの歳月を経てもまだ集会に参加していることだ。
 さすがに昔ほど頻繁には行かなくなったが。禁酒を始めた頃は、集会場に住んでいたと言ってもいいほど足繁くかよっていて、自分は特権を濫用しているのではないかと思ったこともあった。あまりに頻繁に集会に出ると、集会を必要としているほかの人たちの席まで占めることになってしまうのではないかと。で、ジム・フェイバー――まだ彼が私の助言者スポンサーになるまえのことだが――にそのことを尋ねたことがある。すると彼は、そんな心配は要らないと言下に答えた。
 今も一度も行かないという週はまれで、だいたい週に二、三度は足を運んでいる。そんな中で、ほぼ規則的に出ているのが――週末エレインとニューヨークを離れたりする以外はだいたい毎週出ている――私のホーム・グループが主催している金曜日の“段階集会”で、その集会は、私の住まいがある九番街六十丁目から三ブロック先の使徒セント・ポール教会で開かれる。まだ飲んでいた頃には、よくその教会に行ってろうそくを灯し、心ばかりの金を献金箱に入れたりしていた。今は、その地下室で折りたたみ椅子に坐り、“聖餐”のコーヒーを発泡スチロールの“聖杯”で飲み、寄付金集めのバスケットに一ドルばかり放り込んでいる。
 初めの頃、私は集会で聞かされる話をほとんど信じていなかった。話それ自体どれもが尋常ならざるものなのだが、それより信じられなかったのは、人々が赤の他人のまえで、プライヴェートきわまりない話を来る日も来る日もしたがるその心理だった。が、さらに驚いたのは、そんな数ヵ月が経つうち、気づくと、私自身がその手の話をしていたことだ。以来、人々のどのような率直さも自然のものと思えるようになったが、それでもふと考えてみると、やはり驚くべきことなのではないかと今でも思う。そして、そう思いながら、仲間の話を聞くことを愉しんでいる。

以降ジムの死後です。

頁101
 もし彼にはもう助言者スポンサーでいることをやめてもらっていたら。私はもう何年も飲んでいない。一日一日こつこつと禁酒の日々を築く術をマスターしてすでに久しい。今さら助言者スポンサーがどうして必要なのか。どうして私は彼との関係を引き延ばしたのか。日曜日にふたりで中華料理を食べるなどという、馬鹿げた儀式をどうしてこんなに長く続けたりしてきたのか。
 エレインが言ってくれてもよかったのだ。私はもう妻帯者なのだから、日曜日には妻と夕食をともにすべきではないのか、と。しかし、彼女はそんなことを一度も言ったことがなかった。そんなことを言うのは、そもそも彼女らしくないことだ。それでも、もし彼女が言ってくれさえしていたら。
 もし、最初から彼を助言者スポンサーに選んだりさえしていなかったら。彼はすばらしい助言者スポンサーだった。私がセント・ポール教会の集会に行きはじめた頃、ただひとり私に関心を持ってくれたのが彼だった。その頃、私はまだ飲んだり飲まなかったりということを繰り返していて、そういった場所に自分はほんとうに身を置きたがっているのかどうか、自ら判然としていなかった。そして、自分をアル中と公言することがどうしてもできないでいた。実際のところ、必要最小限のことしか話せないでいた。だから、発言する番がまわってくると、よく言ったものだ。マットと言います、今夜は聞くだけにしておきます、と。だから、誰もそんな私など気にもとめていないだろうと思っていた。ところが、実際には渾名までついていた。それを知ったのは、それから何ヵ月も経ってからのことだが、彼らのあいだで私はしばらく“聞き上手のマット”と呼ばれていたそうだ。
 しかし、ほんとうに私に関心を持ってくれたのは彼だけで、いつも声をかけてくれ、時間つぶしにもつきあってくれた。集会のあと数人でコーヒーを飲みにいくのに誘ってくれたのも彼だった。新参者の私のたわごとにも真摯に耳を傾けてくれた。時々、アドヴァイスもしてくれたが、いかにもおだやかな言い方だったので、私はしばらくそれを自分の意見と思い、あとから彼に言われたことだったと気づくようなこともよくあった。
 そしてある夜、助言者スポンサーを持ったほうがいいとみんなに言われるんだが、と私はたまたま思いついたように彼に言ったのだった。ほんとうは二日も練習していたのだ。あんたはどう思う?
 それは悪くない考えだと思う、と彼は答えた。
 いや、あんたになってほしいんだよ、と私は言った。どうだね?
 もうすでになってるような気もするけど、と彼は言った。でも、正式にそうしたいなら、私のほうはそれでかまわない。
 軍用ジャケットを着た男。それが当時の彼だった。私は、長いこと彼が何をして生計を立てているのかも、集会場以外の場所ではどんな人生を送っているのかも知らなかった。が、彼が話し手になったときに彼の身の上話を聞いてから、お互いを知るようになり、集会のあと何ガロンもコーヒーを飲むようになり、何百夜という日曜日の夜にテーブルをはさんで向かい合うようにもなったのだった。
 もし私がほかの誰かを助言者スポンサーに選んでさえいたら。あるいは、誰も選んでいなかったら。もし私があの地下室を見まわし、ただありがとうと言い、また酒に戻ってさえいたら。

印刷店経営者のジムは、日曜夜の中華料理店で、須賀田さんがトイレに席外しした時、
テーブルで新聞を読んでいて、脇の通路からこめかみと耳に一発ずつ撃ち込まれて、
即死しました。

頁103
 彼はこういうご託を決して認めない男だった。一度ならず彼に言われたものだ――そこまで自分に辛くあたれるとはね、あんたも大変な自負心の持ち主だ。そんな不可能なまでに高いところに基準を設定して、どこで息抜きをするんだね?だいたい自分を何様と思ってるんだ?自分を卑下しながら、世界は自分を中心にまわってるとでも?
 私は言った。私はそういう人間じゃないと言ってくれてるのか?
 あんたはただの男だ、と彼は言った。ただのもうひとりのアル中だ。
 ただそれだけか?
 それでもう充分じゃないか。

以下警官との事情聴取。

頁108
「フェイバーはあんたの友達だった」
「私の助言者スポンサーだった」聞きなれないことばに彼は怪訝な顔をした。私は言ってから後悔した。これで、またよけいな説明をしなければならなくなった。といって、説明を拒まなければならない理由もなかったが。AAのメンバーは互いに匿名を守らなければならないという伝統的な規則がある。が、それは生きている人間にかぎられたことだろう。「私のAAの助言者スポンサーだったんだ」
「AAというと、匿名のアルコール依存症患者アルコホリックアノニマスの禁酒会のことか?」
「そうだ」
「あれには誰でもはいれるんだと思ってた。保証人スポンサーが要るとは知らなかったな」
「いや、そんなものは要らない。スポンサーというのは、会の中での相棒というか、アドヴァイザーというか、そんな相手だ。禁酒をするための指導者ラビと言ってもいい」
「つまり禁酒の経験がより豊富なやつということか?うまく操ってくれて、酒を飲まないようにしてくれる人間ってことか?」
「それとはちょっとちがう」と私は言った。「AAには上下関係のようなものはない。われわれの問題はただひとつ、飲酒だ。スポンサーというのは、われわれが気安く話せて、素面を続ける手助けをしてくれる相手だ」
「おれはそういう問題を抱えてないけど」と彼は言った。「あんたの同類はお巡りにもけっこういる。でも、われわれが毎日耐えなきゃならないストレスを考えると、それも無理はないと思う」
 それがどんな仕事であれ、酒が必要になるというのはストレスの多い証拠だ。

上下関係あるじゃないか、と思う人がいるとしても、私は知りません。
須賀田さんに聞いてください。
酒に吞まれた頭のうちは、操られないと習慣的に酒に手を伸ばしてしまう人も、
いるんじゃないかな、とは思います。

頁109
「何年も経つうちというと、実際、彼は何年あんたのスポンサーをやってるんだね?」
「十六年になる」
「嘘だろ?十六年?あんたはその間一滴も飲んでないのか?」
「今のところは」
「それでもまだ集会には?」
「行ってる」

頁121
 私は九番街を歩いて帰った。何軒かの酒場のまえを通った。そのたびに、酒場を眼にするたびに、心がかすかに揺れた。自然な反応だった。私には自分の頭の中で映写されている映画を見るのが耐えがたかった。酒はその映画のサウンドトラックも映像も消してくれる。
 あんたに乾杯、ジム!まずは一杯!いやさかを祈念して!あんたの健康を祝して!
 十六年も素面でいることの手助けをしてくれてありがとう。あんたがいなかったら、とてもここまで来られなかった。そして今、あんたが教えてくれたことをすべて忘れることで、あんたの思い出に敬意を表することにしよう。
 いや、そんなことはしない。

頁121
 飲もうとは思わなかった。が、その欲求がうごめいたことは否めなかった。私の眼は一軒の酒場も見逃さなかった。ただひとつのビールのネオンサインも。口の中に唾が少し湧いていたかもしれない。それでも、私はただひたすら歩きつづけた。

演技というか、自分に酔うというか、アル中はそういうことをする生き物らしいです。
須賀田さんは、小説の主人公だからこうしたドラマチック気分になっているわけではない。
でも、それだけのことが起こったのも確かだと思います。小説の中で。

頁129
「ああ、とても。私は理解しにくい人間だからね。これまで数えきれないほど、“マットと言います。私はアル中です”などと言ってきたから、そのことだけは自分でもようやく信じられるようになったけれど、そこからさきはいささかあいまいになる。

頁130
「生きていくための私の唯一のルールは」と私は言った。「“飲むな、集会に行け”だ。それさえ心掛けていれば、すべてはなるようになる。ジムによくそう言われた」
「そして、あなたはそれを心がけ、すべてはなるようになっている」
「ああ、それは確かにそのとおりだ。彼はよくこうも言っていた。物事は常になるようになるんだとも。神の意思は常に働いているんだとね。そのことから逆に神の意思をはかることができる。そう言っていた。待っていて何が起こるか見ればいいというわけだ」
「その話はあなたからまえにも聞いたことがある」
「ああ、私自身好きな考え方なんだ。だから、今夜ジムが死に、私が生き残ったのも、それが神の意思ということなんだろう。そうでなければそうなるわけがないんだから。だろ?」
「ええ、そのとおりよ」
「それでも、時々」と私は言った。「神はいったい何を考えているのかわからなくなることがある。時々、神はほんとうに注意を払っているんだろうかと訝しまざるをえなくなることがある」

頁131
「最初は、彼のことをいいやつだとは思ったけれど、放っておいてほしいというのが私の本音だった。どうせ自分の禁酒は長続きしないと思っていたから。いずれ彼も私に失望することになるのだろうと思ってた。それが、いつのまにか、集会に行くたびに彼に会うのが愉しみになった。知るかぎり、彼はミスター・AAだった。“素面の声”だった。彼は私が集会に参加する二年もまえから禁酒プログラムを実践してる男だった。私がまだ最初の禁酒九十日を過ごしていた頃だ、彼が禁酒二周年記念日を迎えたのは。しかし、今にして思えば、たった二年だったわけだ。禁酒して二年というのは、ようやく頭の中のクモの巣が払えるようになったばかりの頃だ。だから、彼自身まだ禁酒のベテランというにはほど遠かった。しかし、その頃の私には、彼は危険可燃物にでもなれそうなくらい素面ドライなやつだった」
「そんな彼が今あなたに言いそうなことは?」
「彼が言いそうなこと?彼はもう何も言ってはこない」
「言うとすれば?」
 私はため息をついた。「“飲むな、集会へ行け”だ」

頁132
「彼はほかにはなんて言いそう?」
「彼の心まで私には読めない」
「ええ、そりゃね。でも、想像はできる。なんて言うと思う?」
 私はむっつりと言った。「“人生とはどこかで折り合いをつけろ”」
「それで?」
「それで、というと?」
「折り合いをつけられる?」
「自分の人生と?まあ、そうするしかないけど、それがそう簡単じゃない」

頁215
 平日の夜は、私のホーム・グループが使徒セント・ポール教会で開いている集会があった。ホーム・グループというのは文字どおりファミリーのようなもので、できればその集会に出たかった。が、ジムとの多くの思い出と、みんなから浴びせられるにちがいない、事件に関する質問に相対するにはまだ早すぎた。これが小さな町なら、それもまた引き受けなければならない面倒ということになるのだろうが、ニューヨークにいるかぎり、選べる集会はいくつもあった。
 コロンバス・サークルから地下鉄のIRT線に乗り、ブロードウェイ九十六丁目で降りた。そこの集会も教会の地下室で開かれていた――たいていの集会がそうだが――数分早く着いて、用意されているコーヒーを飲みながら集会が始まるのを待った。見知った人間はひとりもおらず、ほっとした。集会には出たかったのだが、人と話したい気分ではなかった。
 八時になり、これから集会を始めます、と進行係が言った。彼は、集まった中のひとりにAAのパンフレットの前文を読ませてから、今夜の話し手を紹介した。

頁216
 休憩となり、私はまわってきたバスケットに一ドル入れ、もう一杯コーヒーを飲み、湿気たオートミールのクッキーを食べた。事務連絡が何件かあった――年に一度のディナー・ダンス・パーティが六週間さきに迫っていること、ほかのグループの集会に出向いてスピーチをする話し手のリストに空きがあること、こちらからの電話を歓迎してくれる病院勤務のメンバーがいること。そして、ひとりひとりが話す形式の第二部が始まった。
 第二部がそういった形式になっていることがまえもってわかっていたら、私はほかの集会を選んでいただろう。自分の番が近づくと、自分でも不可解なほど緊張した。何か言わなければならないことはわかっていた。が、何も話したくないこともわかっていた。
「マットといいます」と私は言った。「私はアル中です。いろいろと話を聞かせてくださって感謝しています。どれも心に残る話でした。今夜は聞かせてもらうだけにします」
 私はまた“聞き上手のマット”になった。

頁220
あんたの友人というと?」
「あんたの知りそうもない男だ」
「つまりまともなやつってことか?」
「私のペリエ飲み仲間だ」
「なるほど。そういう関係の友達か。

クラブソーダ飲み仲間でも、コーラ飲み仲間でもいいと思います。
コーヒーだと、いちばんよく飲むけど、なんとなくピンと来ない。

頁228
今日なんかなんにもしないまま一日が過ぎた」
「禁酒を始めた頃、助言者スポンサーにこんなことを言われたことがある、グラスを取り上げることなく、一日を過ごすことができたら、それでもう大成功なんだとね」
「だったら、その大成功の一日をおれは過ごしたわけだ。

頁378
「AAの集会では毎回それと似たようなことをやってる」
「ほんとうに?」彼はそう言って立ち止まった。「それは知らなかったな。告解の秘跡があるのか。司祭のところへ行って、魂をさらすのか?」
「それとはちょっとちがうが、結局、同じことをしてるんだと思う。禁酒の段階ステップのひとつに組み入れられてるんだ」
「そういうのが十二段階あるんだっけ?」
「そうだ。誰もがそのことに注意を払ってるわけじゃないが。ことに最初はね。ただ飲まないでいることだけで充分労力を要するから。しかし、長く続けてると、そのステップを忠実に守ったほうが禁酒しやすいことがわかるようになる。だから、遅かれ早かれ、たいていの人がそのプログラムに従うようになる」
「告解がそのひとつになってるのか?」
「第五段階だ。正確なことばで言うと――でも、ミック、ほんとうにこんな話を聞きたいのか?」
「ああ、もちろん」
「われわれがやらなければならないことは、神と、自分自身と、ほかの人間に対して、自分の非行ロングズの特質を認めることだ」
「それは罪シンズでもあるわけだが、何を罪とするか、それはどうやって判断するんだ?」
「それは自分でやる。AAには権威などというものはいっさいない。管理してる人間がいるわけでもない」
「狂人たちがみんなで力を合わせて精神病院を経営してるようなもんだ」
「ほぼそれに近い。ステップに対する解釈も自由だ。私が受けたアドヴァイスの中には、自分がこれまでにやってきたことで、心を苛まれたことはすべて紙に書き出すように、というのがある」
「なんとね。そんなことをしたら、書き終えたときには手が攣ってるんじゃないか?」
「まさにそれが実際起きたことだ。紙をまえに置いて、別な人間に脇にいてもらい、声に出しながら書いたんだが」
「その別の人間というのは司祭か?」
「聖職者とやる人もいる。昔はそれが普通だったようだ。今はたいていの人が助言者スポンサーを相手にやってる」
「あんたもそうだったのか?」
「ああ」
「それじゃ、そのときの相手も仏教徒の彼だったわけか。どうして彼の名前が覚えられないんだろう?」
「ジム・フェイバー」
「あんたはそのジムに何もかも話したわけだ」
「ああ、ずいぶん話した。あとになってから思い出したこともあったけれど、そのときには思いつくかぎり全部話した」
「それで?彼はあんたを赦免してくれるのか?」
「いや、彼はただ聞いてるだけだ」
「ほう」
「ただ、彼は最後にこう言った。“さて、終わったね。今の気分は?”とね。私は別にまえと変わらないと答えた。そうしたら、コーヒーでも飲もうと彼が言い、ふたりで飲んでその日はそれで終わったんだが、あとになって気づいたらなんとなく……」
「肩の荷がおりていた?」
「そんなところだ。そうだ」
 彼はうなずきながら言った。「あんたの仲間がそういうことをしてるとは知らなかったな。それは告解によく似てる。ただ、こっちのほうはもっと堅苦しくて、儀式ばってもいるが。

仏教徒、という形容がされてますが、そんなにニューアカっぽいキャラとして、
描かれてるわけでもなかったです。毎週中華料理を食うのは、よく分かりませんが…
今回は、ウナギをかたどった台湾素食の店に行こうとして、その店が潰れていて、
それで別の店に行って、冒頭の悲劇につながります。

この巻では、かつての須賀田さんのセフレで、幼少時父親に…の人もアレになりますが、
こちらのほうの描写は、須賀田さんのせいでそうなるわけでないのもあって、淡泊です。
その辺アマゾンレビューで、けっこう太いキャラなのに、なぜ整理すると怒る人がいるのも、
分かります。でも、過去の人だから、そうならざるを得ないんじゃないか。
そうも思います。

あと、訳者後書きで、とある脇役の名前が、過去の『倒錯の舞踏』と違ってる、
と作者に指摘すると、否認してたそうです。欧米と日本の文化の差、と訳者は解釈してますが、
作者は飲まないアル中に詳しいので、そっちの理由だったりして、と思ったりしました。以上