『酒場の時代―1920年代のアメリカ風俗』 (文春文庫)読了

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画像はこちらからお借りしました。
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酒場の時代―1920年代のアメリカ風俗 (文春文庫)

酒場の時代―1920年代のアメリカ風俗 (文春文庫)

著者 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3

つくし野につい先年までご存命だった方なのですね。知りませんでした。
この本も禁酒法時代を題材にした本ですが、ネタは下記とかぶってません。

小田基『禁酒法アメリカ―アル・カポネを英雄にしたアメリカン・ドリームとはなにか』
PHP
読書感想:http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140517/1400330922

岡本勝『禁酒法―「酒のない社会」の実験』
講談社現代新書
読書感想:http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140102/1388648443

岡本勝『アメリカ禁酒運動の軌跡―植民地時代から全国禁酒法まで』
(MINERVA西洋史ライブラリー)
読書感想:http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20131119/1384850197

『オンリー・イエスタデイ』*1や『アスピリン・エイジ』*2は作者も意識していて、
あえて違うネタで勝負、と努力したみたいです。
あちらの本を原書で渉猟出来る方ならではと思いました。

しかし、面白いのはどちらかというと、本人の飲酒遍歴との絡みの部分。

頁12
 明日から酒が飲めなくなるというとき、酒飲みはどんな心境になるのだろう。上品な、静かな酒場にはいると、かえって大声でわめきちらす私などは、もうこれで後悔しなくてすむとほっとするかもしれない。ああ、明日からあんな、人間の本性があらわれる“水”を飲まなくたっていいんだ、と一瞬思うだろう。
 禁酒法などという途方もないしろものができたのは、酒飲みに罪悪感があったからだという説がある。酒飲みほど明日からの、いや今日からの禁酒を誓う罪人はいない。ドライ派はそんな、守れない誓約などしなくていい。彼等には酒のない健全な楽園をつくるという錦の御旗があったのである。正義はドライ派にあって、ウェット派は後悔しかなかった。禁酒派は団結力、組織力、行動力にすぐれていたが、酒飲みたちは、酒がはいると、気焔をあげるくせに、素面のときは、からきしだらしがなかった。禁酒法の世の中になるのもいたしかたないと諦めていたふしもある。

頁24
 なぜ小説に出てくるお酒に興味を持つようになったかといえば、理由はまことに簡単で、私も少しは酒を飲むからであり、たいていのスコッチやバーボンなら手にはいるご時勢なので、飲んでみることができるからである。たとえば、グレンリベットが出てくる小説を訳す場合、このスコッチの味を知らずに訳すのと、一口味わってから訳してみるのとでは、翻訳に微妙な差が出てくる、と私は翻訳者の端くれとして考えている。
 しかし、その結果、飲みすぎて、翌朝は昨夜の醜態を後悔するようになる。先日も、個人タクシーの運転手から、酒癖が悪いと文句を言われた。おとなしい個人タクシーの老運転手にそう言われたのだから、これはもう本当に酒癖が悪いのである。その翌る朝は、何もかも自分が悪いのだと慚愧の念にたえませんでした。前夜は何もかも世の中が悪いんだと荒れ狂ったくせに。

 酒が恐しいと思うことがある。そんなに飲めないのに飲むから、そう思うのであるが、しかし、もしかすると、かつてのアメリカ人も私と同じように考えたのではないかという気がする。酒さえなければ、私のように酒癖の悪い奴もアル中もいなくなって、この世に清潔な楽園が生れる。

【後報】

頁89
 禁酒運動は昔からあった。「はじめに農地ありき、農地は神なりき」というのが、合衆国憲法を書いた人たち、つまりトーマス・ジェファースンやアンドリュー・ジャクスンの信条だった。それは開拓者たちに共通する考え方でもあった。産業革命はまだ先のことである。農業の国、アメリカ合衆国が、彼等の考える「自由なアメリカ」だった。それは、酒のないアメリカである。

頁89
禁酒法は田園と都市の抗争だったという人もいる。田園は昔のエデンであり、都市は現代のバビロンである。村の牧師対工場プロレタリアート。コーン・ベルト(農村)対コンベア・ベルト(工場)の対立。労働者は禁酒法に反対だった。
 禁酒法はじつに、都会に対する田舎の最後の勝利だったという説がある。そうすると、禁酒運動はふるさと運動みたいな気がしないでもない。禁酒法が廃止になったとき、雑貨店や田舎町といった遠いふるさとの風俗がすたれることになった。新しい文明がアメリカを飲みこんでしまったのである。都市文明というやつである。
 そこで、終りは都市、その都市に神はいなかったということになる。邪悪な酒しかなかった。酒を嫌った人たちは、酒こそ諸悪の根源と信じて疑わなかったけれども、皮肉なことに、悪の根源は禁酒法だったのである。むろん、禁酒法だけがアメリカを変えたわけではなく、自動車や映画なども風俗革命を促進したのだった。

悪法は守らなくてもいい、という大規模モラルハザードが公然とはびこったので、
禁酒法が悪の根源、という理屈です。悪法でない法、道徳まで、恣意的に解釈する隙を許した。

頁200 文庫版のためのあとがき
 昔はたったグラス一杯のビールで顔が真っ赤になり、胸がどきどきし、やがて真蒼になって家に帰ると、便所に駆けこんだり、苦しいなどと弱音を吐いて、服も着たまま、寝床にもぐりこんだりしていた。そのころ、世の中に酒など無用と信じていたし、酔ってきて、顔が脂でテラテラし、声がどんどん大きくなる酒吞みが嫌いだった。後年、本人がその嫌いな人になってしまうとは思ってもみなかった。
 酒の味なんか知らないで、薄皮饅頭や芋羊羹、バームクーヘンやシュークリームを満足そうに食べていたほうが、よかったのではないか、分相応だったのではないかと自問してみることがある。焙じ茶を飲み、草加煎餅をボリボリ食いながら、一九二〇年代のアメリカにあった禁酒法をわかったつもりでいたほうが無事だったのではないかという気がしないでもない。
 しかし、本書の原稿を書いているころには、一端の酒吞みになったつもりでいた。酒が吞めなければ、禁酒法の何たるかを理解できないなどという勝手な口実をもうけて、酒を吞んだ。

だからかどうか分かりませんが、この本の文章は結構脈絡がない。
分かってるつもりで、飛ぶ。

掲載誌及び最初の単行本がサントリーの文化事業だったようなので、
商業誌の編集と丁々発止のやりとりの上に産み出されたわけでないからかも、
しれませんが…韓国では編集がエラい作家の文章に手を入れないので冗長になる、
という話を思い出します。
(それでいうと、柳美里はそうとう小物扱いされたわけで、
 だからあそこまで同族ナントカ骨肉の争いを韓国のベテラン編集者たちと
 繰り広げたのかなっと)
http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20110211/images/title.jpg
http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20110211/
映画沈まぬ太陽で、渡辺謙が夕陽の差し込むJALパキスタンカラチ支店、
街路に面した一階テレックス時代の雑然とした店内で、洋酒を飲むかのような、
そんな文章であります。敬愛する山口瞳の縁でサントリーなのかなあ。

頁203 文庫版のためのあとがき
 あのころ、酒を吞んでいなかったら、この一冊にまとまるようなことを書く機会はなかったかもしれない。事実、酒が吞めるようになって、禁酒法を身近に感じることができた。ウィスキーの銘柄をただ書きしるすのだって、それを吞んでいるのと、吞んでいないのとでは、意気込みがちがってくる。ジャック・ダニエルズが好きな酒だったから、それを買収した男について書く気にもなった。

ほかにも酒の本書いているみたいなので、もう少し読んでみようと思います。常盤新平
ハヤカワで都筑道夫の後任ということですが、
もうひとりの後任生島治郎はまだ本に巡り合わず、読んでないな、と思いました。
生島の別れた女房小泉喜美子のエッセーは酒関係のアンソロジーで読み、
かなりキテる印象があったのを覚えています。
(2014/8/27)