『新・私の歳月』 (講談社文庫)読了

新・私の歳月 (講談社文庫)

新・私の歳月 (講談社文庫)

常盤新平の『グラスの中の街』*1で紹介されてた本なので読みました。
読んだら、なんのことはない、トキワご自身との対談が2つ収録されてました。

池波正太郎というと、真田太平記で不老不死の年増くのいちを描いたり、
蕎麦屋で昼酒飲んでまんぞくまんぞく、みたいなイメージしかなかったのですが、
如何に自分が知識不足か痛感しました。
この人が十代で株屋に勤めて仕手やらなにやら、なんてこと全く知らなかった。
生れた時商人の父親は昼酒を飲んでいて、母親は買い出しの酒屋で産気づいた、
なんて話も知りませんでした。(頁15)

頁269 池波正太郎のスタイル生き方 筒井ウンコガンコ堂*2
 自宅が仕事場ということは、家族にとっては重大かつ厄介なことだったろう。まして、絶対的な力を持ち、気難しく、短気な主人となれば、家族の気遣いは大変なものだったろう、と想像に難くない。池波正太郎自身がしばしば、エッセイで自分が家庭内で絶対的な存在であることを書いて憚らなかった。事実、そうだったようだ。
 家の中では、“縦のものを横にもしない”風だったという。長い旅では、あれほどまめに下着や靴下を自分で洗濯していた人が、である。猫が好きで、結婚以来三十匹になんなんとする猫と付き合ってきた人が、餌は一度も作らなかったという。
 家に居る時の食事は必ず、別部屋で一人で食膳に向かった。その料理にもさまざまな注文がついたことはもちろんである。時には、「何だ、猫の飯を食わせる気か!」と怒鳴ることもあったらしい。「家では一日中、気も狂わんばかりに仕事をしているのだ。食事の愉しみくらいなかったらどうなる」というわけだ。それが終わってからおもむろに豊子夫人とお母様二人が居間で、という型を崩さなかったという。
 池波正太郎という作家は長い間、所謂「夜型」だった。夜食(これも豊子夫人の重要な仕事だった)を摂って明け方までが正念場である。そして人々が起きるころ寝床に就く。ある時、お母様が雨戸を繰っていると突然、二階から「うるせえ。静かに本でも読んでろッ」と怒鳴り声が落ちてきたという。

自らが悪役になることで姑と嫁の結束、連帯感醸造を狙った、とか、
小説書く前は芝居の演出してただけあって、プロデュース業が得意、とか、
夫婦間に子どもがなかったこともあって、これで小説量産が可能になった、とか、
(しかし頁忘れましたが、税金で七割もってかれるとか)
そういうことみたいですが、知らなかった。お子さんがいないことも知らなかった。

頁32
 だから、ぼくは、ヘンな話だけど、女の数ってものは知りませんよ。せん子という吉原の女と、洲崎のもう一人の女と、その二人ぐらいのものです。あとはそんなに知りませんよ。ぼくは沈んできた女が好きなんだね。それはせん子の影響ですよ。素人の娘なんて、その当時は、みんな、手も触れなかったものね。
 鬼平の女房は、奥方になる前に一度犯されてるんですが、そんなことは、ぼくは全く平気だね。それはもう、せん子のおかげだと思いますけど。うちの家内だって、再婚だからね。だから、ぼくは処女ってどんなんだか知らないんだよな。ま、知ろうとも思わないけどね。

十代で相場張ってただけあって、女性は上記、花札は本職が仕切る賭場、
ティーンエイジャーだったようです。

この本の表紙もイラストも全部自分で描いており、
画才がすごいことも、初めて知りました。つまり、今まで知りませんでした。
また、映画、というか洋画にこんなに詳しいとも知りませんでした。
映画から、戦後フランスの亡命者難民問題を洞察するなんて、凄まじい。
インドへの道、コーラス・ライン、ミツバチのささやき
下は、当時話題になって現在あまり知られなくなっている映画で、
この本に出ていた作品をメモ代りに記しています。

http://cinema.pia.co.jp/title/3943/

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13303

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3/17476/
頁153でグリコ森永事件に触れ、頁161で痛風再発に触れる。
また、田舎者と云うと鬼平でも梅安でも相模(出身?)だったり…
眼からウロコでした。以上

【後報】
Wikipediaを見ると、両親は幼少期に離婚、母方に引き取られて母再婚、
異父弟が出来たとありますが、この本にはその辺のエピソードはなかったです。

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E6%B3%A2%E6%AD%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E

早くお亡くなりになっていることは本でも分かりましたが、
検索で、古希七十を迎える前、享年六十八歳であったことを知りました。
(2014/9/12)