『酒場歳時記』 (生活人新書)読了

酒場歳時記 (生活人新書)

酒場歳時記 (生活人新書)

毎度毎度後報です。テレビの裏側の記述は、やはり少し興味深かった。
【後報】
酒場放浪記企画スタート時、2003年春の回想。

頁94
 その時期、僕は突然の生活リズムの崩壊で致命的なストレスに喘いでいたが、一か月分の放送用として五店舗限りの酒場巡りなら気晴らしも兼ねられるだろうと快諾した。思惑に反し、番組は長期にわたった。

その秋の回想。

頁97
相変わらず体調は最悪で、金属音の耳鳴りと血圧異常、末梢神経の痺れに伴う失語状態が前触れもなく襲ってきた。病院で点滴治療を受けるものの、心身ともに抵抗力は底を突いていたのである。

それでよく吞み続けられたと驚嘆、否、呆れますが、ひとつには山屋の顔もあったから?

頁123
 体力や運動能力に長けた者なら、登山経験がなくても穂高や表妙義山の険しい上級者ルートを登攀することも可能だ。痩せ型で手足が長く、腕力が強ければフリークライミング向きかもしれない。しかし、山は中級以上のクラスともなれば危険はつきもの。それを回避するには経験知による判断力、もしくは自然界に生きる野生動物のような警戒心が呼び覚まされていることだ。身体能力の高さが、そのまま山岳での適応能力の高さを意味するわけではない。

そうでもないかのような記述も。

頁151
 ところが、日本の盛り場で飲むときの自分はまるで緊張感に欠けてしまう。危険を察知する野生本能の蘇ることがない。酒場取材に録音テープを使っていた時期がある。ハードな取材の後、深酔いのままタクシーに乗った。どこかの街角でタクシーを降りる際、財布を開いて空っぽになるまで料金を支払ったようだ。翌日、この様子が作動中のテープに録音されているのを聞いた。身ぐるみ剥がされたうえ、しどろもどろで謝意を告げる自分の声に苦笑するしかなかった。

酒場人間模様。

頁156
「あのおやじさんは、自分も死にたくて毎晩飲んでいますよ。上品で綺麗な連れ合いに先立たれてからね」

飲むと死ぬは直結しないのに。緩慢に、周囲に迷惑を掛け続け、
あらゆる資産や信頼を失って、それでもなかなか死ねなくて苦しんで苦しんでの挙句に、
という展開になるのは、私のような幼稚な人間にとっては不本意で、
だから生きるしかないという結論になります。

頁150
画家からイラストレーターへ転身するも、旅好きは変わらず。興味をそそられる対象に出会うと一途にのめり込んでしまい、およそ家庭を顧みることがなかった。生来、家族生活に縁遠い境遇にあった身。安定した暮らしや大家族の温もりを渇望しながらも、それを築く手段に疎い。気がつけば独り身の憂き目。当然のことわりである。

酒の害についても認識はあるようです。

頁165
 しかし、仏典の中では飲酒を破滅への門として戒めている。しかも、在家戒の基本である五戒の一つである。殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒の五つを禁ずとされる。釈迦の時代に近い原始仏教の経典である「阿含経」(長阿含)や、紀元後の「大智度論」、後の空海に至っては「秘蔵宝鑰」に、飲酒を好む者は、猩猩(中国の想像上の猿に似た動物)が酒甕に手を入れて抜けずに捕まるように破滅すると、飲酒の愚かさを説いている。
 龍樹(ナーガールジュナ)が著した「大智度論」の三十五過は、仏が説く飲酒による過ちを列挙したものだ。わかりやすいという理由で『現代人の仏教聖典』(大蔵出版、一九七三)を参考にさせていただいた。
「一、酔うと節度をなくして浪費し、破産する。二、酒は万病のもと。三、酔えば争いの種。四、裸になっても羞恥心がない。五、尊敬されない。六、智慧が働かなくなる。七、求めるものが得られず、得ているものを失う。八、秘すべきことを喋る。九、なすべき仕事を途中で投げ出す。十、酔えば失態が多く、後に後悔の念にかられる。十一、体力が落ちる。十二、肌艶が失せる。十三〜二十までは父母兄弟やバラモンなど敬うべき人や教えに対する不敬が挙げられる。二十一、悪に染まる。二十二、賢者や善人を疎遠する。二十三、破戒者となる。二十四、恥知らずとなる。二十五、感覚器官を制御しない。二十六、色欲に溺れ、向上心をなくす。二十七、人の恨みを買い、人目を避ける。二十八、大切な人間関係が断たれる。二十九、悪事を働く。三十、善き教えを捨てる。三十一、怠惰になるゆえ智者から信用されない。三十二、悟り(涅槃)から遠ざかる。三十三、狂気と無知の因となる。三十四、死後に地獄、悪道の輪廻から解脱できない。三十五、生まれ変わっても、来世は狂気と愚かさに満ちたものだ。故に、酒を飲むべからず」
 これらの失態は、酒のせいというよりも個人の資質に負うものだが、古代から人の弱さや共同体での在り様が推察できる。
 酒の上での過失は、現代人も古代人と大して変わらないようだ。宗教上の教えによって、飲酒が許されない国さえある。けれど、人はこれほど多くの教訓を古くから知りながら相変わらず酒との付き合いを絶つことはなかった。それは、人が酒を遠ざけたところで、苦しみの種が尽きるわけでもないからだろう。ただ仏典は酔うことの快楽と人の奈落が紙一重だと伝えていて、あまりにもリアル。

おからだに気をつけて。ご自愛ください。

酒場俳句のうち、いくつか抜き書きます。
酒吐息ネオン凍れる歩道かな

昼下がり酔うてゆく身の秋の雲
牧水の短歌にこんなのがあった気もします。でも別にいくらあってもいいのかなと。

姿なき児ら駆け抜けて落葉舞ふ

以上
(2014/12/11)