考えたら、もう二冊も
大佛先生の本の
読書感想を
書いています。
帰郷*1と、
評伝の新書*2。
この本は、
『銀座 名バーテンダー物語』*3に、
お店を取り上げた
エッセーが入ってる
本として出てきて、
なので、
読もうと思って借り、
そのエッセーに気付かず、
読了しました。
- 作者: 大仏次郎
- 出版社/メーカー: 六興出版
- 発売日: 1980/01
- メディア: ?
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佐多芳郎:https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E5%A4%9A%E8%8A%B3%E9%83%8E-1078494
随筆のひとつひとつが非常にがっしりしていて、それで落ち着きと重厚さがあり、
愉しく読書の時間を過ごすことが出来ました。
太くて黒つやのする木材を、縦横にカッチリと組み上げた建築物のような感じです。
鎌倉ということもありましょうが、出てくる人物も多彩で勉強になることしきりです。
三人だけ抽出します。
頁三七
柴田天馬:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A9%E9%A6%AC
(この頁は、有楽町をラク町と略す言い方が出てきます)
頁二四九
寛永版の「遊仙窟」から始まって、中国の軟文学に、送り仮名、返り点のほかに、和訓を附けることは始められていた。しかし、これらの漢学先生の日本語は、粗雑な必要だけの意訳に過ぎなかったのを、柴田老人は自分が楽しんで実に味わいのある明治の東京語で、すっきりと爽快に物し、音楽のように明るい文字に移し変えた。
(中略)
東京で漢語が跳梁跋扈したのは御一新で薩長が政府を作ってから官吏書生の間に大に起ったことで、江戸では直参の旗本でも、くだけた口語が日用であった。柴田さんは鹿児島生れだが、東京に出て、聊斎訳に用いた下品でなく、くだけた耳に響のよい口語をマスターした。
頁一八一
呉文炳:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%96%87%E7%82%B3
(クレに「炳」という漢字なので、てっきり、
と思ったら、いま検索したら公安委員も歴任した、
広島の蘭学者の家系の方でした。検索、素晴らしい)
頁二二八 久生十蘭のこと
こんな煮えきらない性質だから、内弁慶で、細君には暴君であった。十蘭のことよりも奥さんのことを思うと涙が出る。愛情をこめて実に、よく、つとめてくれたのに友人として感謝したい。
ほかの方のブログ*4で見た下記を想起しました。
- 作者: 西舘好子
- 出版社/メーカー: 牧野出版
- 発売日: 2011/09/01
- メディア: 単行本
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修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした
- 作者: 西舘好子
- 出版社/メーカー: はまの出版
- 発売日: 1998/10
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荒れているとありましたが、現在では整備されていることを検索しました。
http://www.yokohama-kanazawakanko.com/event/event007.html
頁二三七
直木が税金を納めるのを渋ったのは、筆一本でかせぐ文士に対する課税が、大商事会社の社長などより重いのを怒って示した抵抗であった。税務署から直木の住所に差し押えに行くと、平塚あたりの農家の納屋が名目上の住居になっていて、直木は不在だし、差し押えるような物は何も置いてなかった。
ひろゆきと違って、実際にもお金はなかったみたいです。
また、直木三十五は、酒がのめなかったそうです。
頁三九によると、鎌倉の瑞泉寺からは、毎年お彼岸のお中日前後、
富士山の頂上、たいらになって少しくぼんだ所に、
ねらいたがわず夕日が落ちることが見られるそうです。
今年、晴れて休みなら見てみたいと思いました。
頁一三二
横浜の変化は、激しい。描いては消して、また書きなおすことを繰り返した。海岸通りに農家二、三軒しかなかった開港時代、現在の桜木町駅が海で、姥ヶ岩と名のある岩礁が海の中で潮に洗われていた時代、異人館と言われた居留地があったころ、伊勢佐木町が芦の茂った沼の中にあった時代、それがつい、八十年か九十年前までである。
頁一三四のエッセーは、鎌倉カーニバルについて、終了時に書かれたものです。
鎌倉カーニバル:http://www.tv-tokyo.co.jp/travel/spot/72742.html
http://www.kamakura-info.jp/recommend/column_02
よい時間を過ごしました。以上