『新洋酒天国 世界の酒の旅』(文春文庫)読了

http://ecx.images-amazon.com/images/I/61XTADH2mNL._SL500_.jpgヨコ置きのアマゾン画像。
『やってみなはれ
 みとくんなはれ』*1
紹介されていた、
雑誌でなく、
書籍のほうの「洋酒天国
正編は近場の図書館所蔵
ナシでしたので、
続編のほうから借りました。
カバー装画は言わずと知れた
柳原良平。絵の人物は、
額にホクロがあるので
キダタローでなく
佐治敬三だと分かります。

頁282 あとがき
前回の「洋酒天国」と比べると、ペダンチックなところが自分でも気になるが、「グルメ」という刊行物の性格上、やむを得なかったこととお許しをいただきたいと思う。

コトバンク ペダンチック
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF-161933
<目次>
ワインのある食卓開高健とのパリ旅行。
私とシェリー・ポート→初代壽屋赤玉ポートワインと神戸居留スペイン商人の縁まで遡ります。
ラテン・アメリカの酒メキシコシティ五輪随想。テキーラ、ラム。
中国の旅と酒ニクソン訪中の一ヶ月後、機を見るに敏な関西財界が急遽結成した訪中団の見聞録。
            香港でサン・ミゲルにも触れてます。

私のビアライゼ→デンマルク国の話、カールスベルヒ。ツボルグ。
バーボン・カントリー禁酒法についても触れています。
ドイツ・ビールを訪ねてレーベンブロイ

頁33 ワインのある食卓
 最後に、料理とワインの結婚の障害ともいうべきタブーについて。
 一つは、酢。サラダの酢はワインの大敵である。サラダを料理のはじめに出すアメリカ式サービス法は、ワイン愛好家にとっては、心ない無作法ということになる。
 グレープフルーツやオレンジ、レモンの酢も、好ましくないことになっている。もっともこの方にはいくつかの例外はあるようだ。でなければ、名物料理 canard á l'orange(鴨のオレンジ煮)は、ワインとともに楽しむことは不可能になろう。
 卵も、また、ワインの敵である。

へ〜と思い検索すると、タマゴにはイオウのようなにおいがするとあり、
そりゃそうかもな、と思いました。でも黄身がダメとか生がダメとか、
タンニンを多く含む赤はあかんくて白はええねやとか、諸説あるようです。
私は、黄身のイオウのようなニオイは、うでた煮抜きで感じるのですが…

メヒコ紀行は、五輪とともに澎湃として起った、「インディヘニスモ」運動を巡る旅。

Plaza de las Tres Culturas - Wikipedia, la enciclopedia libre
http://es.wikipedia.org/wiki/Plaza_de_las_Tres_Culturas
ここの記念碑を書き写しています。

頁72 ラテン・アメリカの酒
"EL 13 DE AGOSTO DE 1521 HEROICAMENTE DEFENDIDO POR CUAUHTEMOCCAYO TLATELOLCO EN PODER DE HERNAN CORTES. NO FUE TRIUNFO NI DERROTA, FUE EL DOLOROSO NACIMIENTO DEL PUEBLO MESTIZO, QUE ES EL MEXICO DE HOY"
〔一五二一年八月十三日、クワウテモックが防衛していたトラテロルコは英雄的な戦いの末、エルナン・コルテスの手におちた。しかしそれは一方の勝利でもなく、また他方の敗北でもなく、今日のメキシコをかたちづくるメスティソ(混血民族)の生みの苦しみであった〕

NYなんかじゃもうとうにメルティングポット理論は捨て去られ、
民族人種はモザイクという現実に落ちついてますが、
先行したラテン世界は前世紀既に、確固たる決意を碑に遺していたのだと思います。

頁86 ラテン・アメリカの酒
 ラムは、すべての酒、特に蒸溜酒がそうであるように、使い方によっては気違い水である。西印度諸島の土人たちはこれを rumbustious(騒がしい)と呼び、それが rum の語源であるというが定説ではない。

訪中記を読み始めた時まず思い出したのが、

この本で石原都知事(当時)が田中角栄の日中国交回復を日本独自外交の勝利として
称揚していて、それをたまたまゼミかなんかで読み、指導教授もスルーしてるようだったので、
これはニクソン訪中が先にあってのことで、確かに国交まで突っ走ったのは独断専行でしたが、
その契機において日本がアメリカの顔色を窺っていなかったとは言えない、
と発言した…ような記憶があります。確かこの本だと思いますが、ちがうかな。

この頃の中国はまだ文革が収束していない頃で、勿論日本にはその情報は全然入っておらず、
といっても文革ももうアグレッシブなガルウイング三角帽子とかは終わっていて、
紅衛兵同士が出身階級などで分裂し、凄惨な内ゲバ(というか銃撃戦)で消耗し、
(武器は無傷の人民解放軍や武警から)使い捨ての道具として下放された頃ですね。

下記は北京飯店のエピソード。

頁110 中国の旅と酒
聞けば料理人は、客席から下がってきた皿の料理の残り具合から、客の好みを推しはかり、気に入る料理を工夫するのだという。「服務員をここまでにした指導原理は」との問いに、彼らは「毛思想」と答えながら、食堂の入口にかかげられている「為人民服務 毛沢東」の掲額を指さした。

下記は泉屋博古館のこと。長崎清国貿易独占は伊達じゃない。

頁112 中国の酒と旅
 殷、周の青銅器については、京都にある住友家のコレクションが世界的に有名であるが、故宮博物院のそれも、質量ともに第一級とおもわれる。

頁115で紹介される、「戦国策」の、禹王と儀狄の逸話や、
頁129「随園食単」の白酒ごろつき論もよかったです。

頁129 中国の旅と酒
 蒸溜酒が中国に知られるようになったのは、元代。西域、あるいは南蛮伝来とされていたが、解放後、それを中国の発明とし唐代にさかのぼろうとする説が現われ、議論を呼んでいる。

愛国主義教育というか、漢民族優越思想、中華思想共産主義は矛盾しない、
という当たり前の事実が、文化大革命にあっても粛々と遂行されていたことを物語る、
貴重な記述です、と言ったら言い過ぎか。
徳間書店の本*2でも白酒=阿刺木起源より遡ろうとする中華説は気になった箇所です。
私は青木正兒先生が好きなので…

関西財界訪中団北京最後の夜は、林彪墜死を知らない(まだ秘されてるから)訪中団が、
周恩来佐伯勇訪中団団長毛沢東カンペーカンペーと来て、
誰で締めるか中国側に相談した結果、病身ときく林彪副主席健康のために乾杯!!となり、
而して中国側の盛んな拍手、で閉じたそうです。

佐伯勇団長 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E5%8B%87
中国側世話人
劉希文 百度
http://baike.baidu.com/view/320372.htm
徐明 百度
http://baike.baidu.com/subview/44101/8185399.htm#viewPageContent
王暁雲 百度
http://baike.baidu.com/subview/1445243/9204743.htm
 彼女のピンポン外交にまつわる記事
 http://ci.nii.ac.jp/naid/40003415931
呉曙東 Wikipediaにも百度にも項目なし。
无限怀念吴曙东
http://book.kongfz.com/6653/69110421/

アメリ禁酒法に関する記述にさして目新しいものはないと思いました。
https://img0.etsystatic.com/000/0/6119175/il_570xN.346780490.jpg

頁212 バーボン・カントリー
 メイフラワー号のはじめから、アメリカへの移民には宗教的な香りが強かった。それに開拓の初期のインディアンに対する強い酒の悪影響からも、時として、酒類の消費に対する苦情が議会に持ち込まれていた。
 物事を錯綜させるのは、イヴの昔から女性の仕事と決っている。禁酒運動でもそれは例外ではなかった。既に一八世紀の半ばすぎには、禁酒運動は組織立った活動を開始していた。酒の乱用の外にも、淑女をして顰蹙せしめる例がないわけではなかった。開拓時代の名残りのサロンが悪名をとどろかせ、淑女の雄叫びに油をそそいでいた。ケンタッキーではその名を聞いただけでもおぞ気を催す、“サロン破り斧使いのカリー・ネーション嬢”が猛威をふるっていた。斧を片手にすっくと立った嬢の姿は現在、ガラス瓶となって酢の入れものに用いられている!!

http://www.antique-bottles.net/forum/quotCarrie-Nationquot-question-m202730.aspx
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Carrie_Nation.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
以上