『黒いいたずら』 (白水uブックス 67)読了

http://community.img.mixi.jp/photo/comm/86/65/18665_145.jpg表紙の画像が見つかりませんでしたが、白水uブックス
ふつう、このピカソの絵*1ですので、この絵を借ります。
ライ麦畑もこの本も、同じ絵。

ケニチ先生とイーヴリン・ウォーコンビの小説は、
まじめなアル中小説『ブライヅヘッドふたたび』*2を読みましたが、
あれはウォーの本来の作風であるブラック・ユーモアではないとのことで、
なら本来の芸風のも読もうと思って、借りました。

仮空のアフリカの国(東海岸島嶼国?)を舞台に、
オックスフォード留学した三代目皇帝(源実朝みたい)と、
その皇帝が透明人間のようなお客さま扱いだった留学時代に目撃した、
インカレサークルなんだか知らないが輝いていたアングロ青年の、
その後社会に出てまったく何ものにもなれず見放されて借金してその国に来たのとが、
疎外されたもの同士引き合って、
いま、まことに小さな国が開花期を迎えようとしている、的にドタバタ、という話です。

本当は、『ピンフォールドの試練』を讀もうとしたのですが、
他館本リクエストになるので、とりあえずこちらを先に。

原題"Black Mischief"の"mischief"は、マーサ・グライムズの小説、
『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』"The Man With a Load of Mischief"*3
でも使われており、グライムズのは、何かエイゴ圏の慣用句みたいでしたが、
この小説のタイトルは別に故事成語でもなんでもないみたいなので、
ケニチ訳「いたずら」でよいのだろうな、と、推測しました。

Black Mischief

Black Mischief

ケニチ先生の解説によると、

頁308
 最後に、この小説の大きな特徴が雅みやび(elégance)ということにあることを指摘しておきたい気もするが、それは今日の日本で行われている文学上の常識からすれば、少し無理ではないかと思われる。

とのことですが、その意図を汲み取ろうとしても、全然分かりませんでした。
エレガンス…知らんでがんす。

原題を検索すると、小学館プログレッシブ英和中辞典に、
作者がエチオピア旅行の体験に基づいて書いたとあります。
でも、特に日英Wikipediaや解説にはそういう文章はありませんでした。
作者の評伝とかには書いてあるのかもしれません。
goo辞書 Black Mischief プログレッシブ英和中辞典
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/101189/m0u/

Black Mischief (Penguin Modern Classics) (English Edition)

Black Mischief (Penguin Modern Classics) (English Edition)

かつてポルトガルやイギリスの進出に強く対抗したザンジバル王国*4や、
ハイレ・セラシエとか偽エチオピア皇帝とか*5
マフディーの反乱*6とかマジマジ*7とか、マウマウ団は執筆後の事件だし、
三代しか続かない近代皇帝というと、どちらかというとアフリカでなく、
イランのパフレヴィー(パーレビ)王朝じゃないか、とか、
いろいろ作者のインスパイアの素を空想しながら読むのが楽しい、
それは自由、という小説でした。
(原書の巻頭に、作者自身が、アビシニアほかから着想得たことを
 明記してましたが、邦訳では巻頭言まるまる割愛されています。
 ケニチ先生の考えによるものなのかな?)

アフリカが舞台なので、架空の部族がふたつ登場しますが、
それ以外はすべて実在する民族・國民で、アフリカ東海岸の現実がそうであるように、
地下経済というか実体経済ではインド人・アラビア人商人の力が強く、
(ホンカツのアラビア遊牧民で、ぼったくられまくったホンカツが、
 アラスカやパプアニューギニアと比して、アラビア半島コーカソイド遊牧民
 彼らは文明人であった、と総括しているのを想起します)
しかしキリスト教国という設定なので、重要な御用商人キャラは、アルメニア人です。
ユダヤ人は、会話等では出てくるのですが、キャラとしては一人も登場しません。
これは、ちょっと面白いと思いました。皇帝がアングロ大陸浪人に、
ドレフュス事件について意見を聞く場面もありますが、
別にユダヤについて語る場面ではないです。
あとは、植民地の英国人社会ですとか、イザベラ・バードがモデルでは全然ない、
動物愛護の勇敢な英国婦人旅行者とか、なんの意味があるのか知りませんが、
フリー・メーソン会員と明記された仏国大使とか、アメリカ人大使館とか、
アイルランド人のお雇い軍人が出てきます。
まだ大英帝国が七つの海を支配していた時代の小説ですので、
「世界」について、いろんな小ネタ雑学の裏打ちに基づいた記述がぽんぽん出ます。
ビブリオなんとか。

頁9
彼らは不機嫌そうにカタ樹の根を噛みながら一日じゅう町にいた。

これはカート*8ですね。こういうものがよく知られていなかった21世紀初頭の日本は、
ケミカルのへんなものがハーブを名乗っていたりして、
本当に情報が混乱しておそろしい時代だったと思います。

頁170
噛んでいる木の実の黒い汁を石鹸の泡の中に吐き出しては考え込んでいる顔つきになっていると、

頁236
人に小突き回されるのに慣れているインド人たちはポーチ夫人が抗議するのなどはいっこうに意に介せず、寝台を窓の外に引き出してその上に陣取り、めいめいポケットからベテルの実を入れた紙袋を出して実を噛んでは吐き散らしながら、行列が通るのを根気よく待ちにかかった。これに力を得て、他のものたちも他の窓を占領し、ギリシア人はティン嬢にも席を提供しようとしてティン嬢に断られて、それがなぜなのか合点がいかない面持ちだった。

これは、キンマ、ビンロウですかね。この小説の民族は、たぶんに混淆を経ているので、
例えばアラビア人は、本国の人びとと異なり、言葉も外見も土着の影響、
奴隷貿易の影響がみられるとあり、イギリス人も、いくつかのキャラは、
インド人の血が混じってるとうわさされる、などの形容がありますが、
この夫人と嬢にはそういうアタマがきはありません。

頁122 皇帝出発当日についての注意(抜)
(前略)
いかなるものも、適当な服装をせず、または酩酊しているものは入場を許されない。
(中略)
(四)酒精類の販売は同日の零時から宮廷列車の出発まで禁止される。
(後略)

仏語で書かれたという布告の全文引用すればもっと上記の唐突さが分かると思うのですが、
酒に関してこういう文章が混ざるのは、やはり作者と訳者ならではと思いました。
また、皇帝がバンバン思いつきを文章化してめちゃくちゃな政策を施行してゆくさまは、
パラノイアや多動性なんとかというのは私は知りません)
正式な医学用語ではないのでしょうが、現場で言われる、ドライ・ドランクという言葉、
飲んでないのに酔ってるさまを連想しました。なぜあの皇帝は酒や女にいかず、
執務に対して狂熱的なのか臣下が困惑する場面があったので。

で、この小説は人肉食に関する箇所もあり、ガリバー旅行記とか、アミンとかボカサとか、
未開社会旅行記というと安直にそれが出てくるのが、アマゾンのレビューなんかで、
危惧されている点のひとつかと思います。デカダンカニバリズムと、
例えばインドシナ戦争で、ベトナムではそういうことはなかったそうですが、
クメール・ルージュだかパテト・ラオのほうに行くと、
敵のレバーをそいで口に含むことでその生命力を自分のものにする信仰があった、
などの行為は、厳密に違うと思います。
青空文庫収録の、桑原隲蔵が考察した中国上位社会の文化*9は、
非西洋ですけど、前者ですよね。
日本でも、日本考古学の父エドワード・モースが自ら発見した大森貝塚で考察した件*10が、
当時の宣教師やお雇い外人から総スカン喰らって彼は日本を離れざるをえなくなったと、
確かむかし伝記で読みました。Wikipediaにはそう書いてないんですけどw

こういう架空滞在記はディティールが大切なので、その意味でこの本には大満足で、
日本でも以前一色信幸が『ぼくらはみんな生きている』とか『卒業旅行』とかやったし、
実はこの辺にもからゆきさんは到達していたわけだし、

高野秀行の『謎の独立国家ソマリランド*11はノンフィクションですが、
ものすごい体力でそれを凌駕するフィクションが書ける邦人があらわれたらすごいな、
と思います。

あと、言葉ですが、アマゾンのレビューでは明記されてませんが、
やっぱ気になる筆頭は、お雇い軍人白人の現地妻、というか、
本国にはどうせ家庭はないか崩壊してるであろうので、
単純にお雇い軍人白人の奥さん、彼女を、亭主が呼ぶ時に使う、
黒んぼの牝」という単語です。
原語を検索してみると、ニガーではなくブラックで、
メスは、雌犬なら分かるが、牝はどういう単語か思いつかなかったのですが、
たんじゅんに、ビッチでした。ケニチ先生の訳は、こういうひねりがやはりあるのだな、
練れていて読みやすい素晴らしい文章で、しかもこうした隠し味がある、
なんだかなーと思いました。
Google books 本書当該箇所
https://books.google.co.jp/books?id=XHZXUykgiBAC&lpg=PT116&ots=CFt0yHvxCq&dq=black%20mischief%20nigger&hl=ja&pg=PT42&output=embed
ブラック・ビッチならば、スミスのブラッディー・ビッチみたいな曲もあるし、
21世紀の日本人はそうそう驚かないのですが、「黒んぼの牝」と言われると、
うっとなってしまう。ケニチ先生の仕事は、世紀を跨いで光っている、
すばらしいと思いました。実際私がこの女性を読んで連想したのは、
タランティーノジャンゴに登場する、独語ペラペラの女性奴隷です。
以上
今週のお題「最近おもしろかった本」