『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』 (集英社新書)読了

作者の本はいろいろ読んでその都度感想書いたのですが、これがいちばんな気がします。
平易かつ深い本、というのか、実に淡々と、集体としての地域の将来を見据えて、
この本を執筆されている気がします。例の、井上ひさしが常日頃心掛けていたこと*1を、
自然体で実践している、そんな本と思いました。

頁14でまず、厄年42歳に原因不明の吐血をして輸血で肝炎に感染し、
半農生活を志すようになったくだりをさらりと書いています。
このくだりは頁173で、肝臓由来で飲酒量が半減したとある記述に結び付きます。
(家計に占めるワインの価格帯をそこで底上げしたとあります)
頁27で、社名は明記していませんが、私にとって謎だった、宝酒造と作者との関係が、
ワイナリー計画を交えたものだったことが、さらりと語られています。
実現していればメルシャンマンズ宝と企業ワイナリー三角地帯を築けた。
その思いは、個人としてブドウ作りを始める際も、残った。
同様のあっさりさで、農業、就農、高地に於ける温暖化の影響、等々、
豊富な話題が次々ととても分かりやすい文章で記されていきます。
正直、感動しました。

近年の作者は、何を見てもワイナリーと結び付けて考えてしまう。
鯨飲が出来なくなってからのほうが、よりワインを愛おしくとらえられるようになったのか、
そんな気がします。

濃縮果汁を輸入して国産ワインを作る時代があったことを、
頁48、現在も、横浜港のある神奈川県が、ブドウ畑がないにもかかわらず日本一のワイン生産量を誇っているのはその頃の名残です。
と書いてあったり(大和市なんかはブドウも作ってたと思いますが、たぶんミクロ)、
麻井宇介が『ブドウ畑と食卓のあいだ』*2で書いていた、ワインと水との関係を、
頁94、グルジアのカヘチア訪問時の記憶として書いているのもよかった。
どこなのか検索してもよく分かりませんでしたが、この辺かな?

相模原のゲイマーワインについて、下記のくだりでそのことを知りました。

頁97
垣根づくりのブドウ畑と石造りの地下セラーがある素敵なワイナリーでしたが、芝生の庭でパーティーをやろうとしていた日に草刈り機で足に大怪我を負ったゲイマーさんがほどなくして亡くなると、その後は衰退して、十年ほど前に閉園してしまいました。

頁103、インドやタイのワインとそのおいしさについて触れていました。
タイでは高原で葡萄を栽培し、二季みのるうち乾季の果実のみ収穫するそう。
(雨季は病気が出る)
頁110、フランス人のワイン離れの説明のひとつに、飲酒運転を取り締まるようになったから、
というのもユーモラスでよかったです。

頁111
いわゆるフレンチパラドックス(フランス人が肉ばかり食べているのに心臓疾患が少ないのは毎日赤ワインを飲んでいるからだ)といって、赤ワインに含まれるポリフェノールがからだによいと日本では宣伝されてますが、いくらからだによいものでも飲み過ぎればからだに悪いのは当然で、実際、フランスでは心臓疾患は少なくてもアルコール依存症や肝臓障害は多いのです。

頁131、団塊世代が六十歳になる2007年、六十五歳になる2012年ともに田舎暮らしブームが
来ると言われたが何もなかった件、若者の就農、
ワイナリーは儲からないけれども損をしない投資、初期投資から収入が出るまで何年か、
など、後半プレゼン的な文章は流石、といった感じですが、それも、
どこか恬淡とした味わいがあり、つきはなして鳥瞰した感があります。
これがいい感じでした。べたっとしてない。
エシカルマーケティングだの、ワイナリー付分譲地だの、縁側カフェだの、
ぽんぽん出てくるアイデアは自在ですが、それより、例えば頁197、
まあ、ちょっとお茶でも、といわれて縁側に座らされ、お茶を注いでくれると同時に、野沢菜だの、セロリの粕漬けだの、大根漬けだのといった漬物類から、花豆の煮物、クリの渋皮煮、アンズの砂糖漬け、だか、なんだか、次から次にいろいろな物が出てきて、
こういうのは、作者だから出たと思うのですが、それでも、おいしそうだと思い、
そういう小さなしあわせの中に作者がいま、生きているのだなと分かり、
良い気分で本を閉じました。よかったです。