『映画字幕(スーパー)五十年』読了

映画字幕(スーパー)五十年 (ハヤカワ文庫NF)

映画字幕(スーパー)五十年 (ハヤカワ文庫NF)

借りたのは昭和六〇年のハードカバー。装丁は同じです。
これも、洋酒天国絡み*1から読もうと思った本。

作者Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E4%BF%8A%E4%BA%8C

仙台二高とのことで、仙台一高OBから昔聞いた、
「一高は文武両道の額が飾ってあるが、二高は文武一道と書いてある」
はほんとか知りたいですが、うまく検索出来ません。

やはりプロ、それも字幕と言う特殊作業の第一人者なので、
エイゴについて語った部分は品格somethingがあります。

頁127
 ダンヒルの店は年をとった店員が多く、店がまえが上品で、いかにも英国の老舗といった風格がある。応対も頭にバカがつくくらいていねいだった。
 田村さんはショウ・ケースを見まわして、「ガラスの灰皿が欲しい」といった。
 五十がらみの店員がしかつめらしい口調でいった。
“I am sorry. We have not a grass ashtray, sir.”(せっかくですが、草の灰皿はございません)
 ほんとうの話である。こういうのを慇懃無礼というのだ。

日本人が苦手とされるエルとアールの発音の違いについて書いた箇所ですが、
このふたつは、耳で聞くというより、目の前でフェイスtoフェイスで発音される時の、
舌の動き、上の前歯に当ててるか奥で丸まってるかを見て判断してる気がします。
聴くだけではどっちか判別しずらいのが下記サンプルに幾らでもある。

glassの発音 forvo
http://ja.forvo.com/word/glass/#en
grassの発音 forvo
http://ja.forvo.com/word/grass/

その証拠というか、ビジュアル的にエイゴを学ぶようになった世代から、
(あと反面教師としてインド英語などを見るようになってから)
このへん飛躍的にカイゼンされてる気がするのですが、どうでしょう。

作者はほかにも、アブソリュートリーやメンソレータムが通じなかったと書いています。
でも発音は二義的な問題で、東大出のエイゴ使いですから、文法その他がガッチリしてる。

頁259
高瀬鎮夫は翻訳部員募集に応募して採用されたのだが、満点の回答を書き、英語にうるさい田村幸彦に舌をまかせた話がセントラル時代の語り草の一つになっている。
 その試験問題はアル中患者を扱ったアカデミー賞受賞作「失われた週末」のせりふから出されていて、“I never touch the stuff.”(酒には絶対に手をふれません)の the stuff を正確に訳したのが高瀬だけだったというのだが、いまのスーパー字幕屋志願者だったら、全員が正確な答案を書くだろう。

翻訳業って、すごいですね。酒の絡みでいうと、ザギンのおそめも出てきますし、
頁297、アルコールに命をとられたジプシー・ローズ*2の思い出を語ったりもしています。
下記は禁酒法時代の思い出。

頁134
 ここに掲げたカードをごらんねがいたい。一つは“キングズ・インピリアル”一つは“ペリー”。どっちも酒店である。ビルの地階で靴を磨かせたり、床屋で髪を刈ったりしていると、こんなカードを渡される。これは酒屋のカードだが、娼家のカードのこともある。
 この酒屋のカードにはLO7−4545、WA9−3654と電話番号が載っているだけで、所番地はしるされてない。午前九時から夜半零時まで営業、即配達とあるのはどっちもおなじだ。
 カードをひらくと酒の値段がしるしてある。一クォートびん(0.95リットル)一本の値段だ。おなじみのブランドがいくらで手にはいるかを拾ってみよう。

              ドル
 ジョニー・ウォーカー   三・〇〇
 ティーチャーズ      二・五〇
 ホワイト・ホース     二・五〇
 フォア・エイセス<ライ>  二・〇〇
 オールド・クロウ<バーボン>二・〇〇
 バカーディ<ラム>     一・七五
 ヘネシー<3スター>    四・二五

 大学出のサラリーマンの週給がおよそ三十五ドルということだったから、この値段は高いとはいえない。

別の個所に娼婦について書いてますが、三ドルだそうです。
一ドルは部屋代でとられて女の子の手には入らないと聞いたが、ホントかウソか、と。
名器の娘さんが自らを評して、“I am funny that way.”と言ったのを、
どんな訳文を考えても原文にかなわないと書いてます。頁139。

頁135
 映画や芝居の帰りに一杯やりたいときにはスピークイージーがあった。マフィア映画で毎度おなじみのもぐりの酒場である。たいてい、往来から階段を降りたところに入口があって、ドアに小さなのぞき窓がつくってある。ノックをすると窓があいて、こっちが誰であるかを確かめる。初めての店だったら、紹介してくれた人間の名前をいう。日本人なら断られることはまずない。マフィア(当時はギャングスターといった)の経営であることはごぞんじのとおりだが、ここも値段はそれほど高くなかった。サンドイッチ、サラダ、ポップコーンなどがカウンターにおいてある。店のサービスだから金をとらない。カード・テーブルやルーレットがおいてある店もある。
 私は最初、ルイジ・ルラスキにつれて行かれた。ニューヨークにいたあいだに数えるほどしか行っていないが、いまとなっては、あの小さなのぞき窓がついたスピークイージーのドアをたたいた日本人はそう大ぜいはいないだろう。なお、スピークイージーというのはのぞき窓でそっと(easy)話をする(speak)からである。

頁135
 日本酒を飲みたくなったら、日本クラブや日本メシ屋で飲める。日本クラブは入会金が大枚百ドルという治外法権区域のようなところだったから、食堂のメニューに日本酒が載っていてもふしぎはない。だが、日本メシ屋に行っても、徳利をならべて杯を傾けることができるのだから、これが禁酒法を施行しているくにかと疑いたくなる。
 日本酒はカリフォルニアでつくられていたようだ。カリフォルニアの米は内地米よりうまいというひともある。とくにサンノゼあたりの米は醸造にむくらしく、私たちは日本メシ屋で飲む日本酒を“サンノゼ正宗”と呼んで珍重したものだった。

頁136
 セントラル・パークの東がわ、二番街と三番街の七十丁目から八十丁目にかけてドイツ料理店が散在していた。ここではいつでもビールが飲めた。ビアホール独特の雰囲気が気に入って、この近くに二軒あるドイツ映画専門館に映画を見に行った帰りにたびたび立ち寄った。禁酒法が施行されているニューヨークに、アイスバインをかじりながらジョッキでビールが楽しめる店があるとは思っていなかった。

下記はこの本の元原稿連載時の話ですかね。ドライステート?の話。

頁318
 東宝はラ・ブレア東宝劇場の二階にスキヤキ・レストラン「チェリー・ブロッサム」を開店したばかりだった。北島出張所長の話によると、カリフォルニア州アルコール飲料を出すレストランの規制がうるさく、開店に漕ぎつけるまでに予想もしていなかった苦労をしたということだった。何百メートルであったを忘れたが、近くに小学校があると、決められた距離をおかないと営業許可が降りないのだった。「チェリー・ブロッサム」はわずかのところでその規制にひっかかり、道路から二階の入口までの階段をふくめて距離を計ってもらって、やっと開店に漕ぎつけたのだという。

ナニワ金融道にもそういう条例の話がありましたね。ヌキ系の店の話でしたが。

そのほか、頁213、戦前の日本は印税を外国に支払ってなかった、とか、
頁128、字幕は一枚ずつ手書きで書く、など、印象に残りました。特に後者。

日本語字幕 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95
ニフティポータル 実演、シネマ文字ってこう書くの?
http://portal.nifty.com/koneta04/09/20/01/

あとですね、日中戦争時の米国の空気について、
滞在者の目からの貴重な記述があるのですが、これは後報にします。以上
【後報】

頁198
 そのころのアメリカのニュース映画は日中戦争をとりあげるとかならず中国がわの立場に立っていた。ニュース映画だけではなかった。日本と中国を秤にかけて、アメリカ市民はどちらによけい好意を抱いていたかといえば、ほとんどのアメリカ市民が中国の味方だった。敵に回されてもしかたがない理由もあったろうが、日本人はいまもむかしも自分を売ることがへたなようだ。
 こんな経験がある。昭和十三年、「翼の人々」の日本版スーパー字幕をつくるためにハリウッドに出かけたとき、“チャイナ・シティ”というところにつれて行かれた。その名のとおり、中国物産を売る店や中国風レストランがならんでいて、MGMからゆずりうけたパール・バックの「大地」のセットがあったり、映画「支那海」の酒場そっくりのキャバレーで中国娘が中国服姿でサービスしたりしていた。
 入場無料。入口に洋車ヤンチャがならんでいて、二十五セント払うと場内を一周してくれる。小さな映画館が二つあって、日中戦争のニュースが上映されていた。日本兵の残虐行為を見せるのが目的だった。私が見たのには明らかにつくりものとわかるシーンがあった。私をつれていったのは上山草人の息子の平八で、平八は東洋人俳優の元締をやっている中国人のボスと親しかったので入場できたのだが、日本人で“チャイナ・シティ”の内部を見ている人間は数えるほどしかいない。
“チャイナ・シティ”をつくったのは中国人ではなく、アメリカ人だった。このひとことでアメリカ人が中国人をどう考えていたかがわかるし、日本人をどう考えていたかもわかる。日本人のなかにもこのアメリカ人の日本人観を知っている人間がすくなからずいたはずである。

チャイナ・シー ?IVC BEST SELECTION》 [DVD]

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洋車は、日本語の文献では、ヤンチョとルビを振られることが多いのですが、
ここではヤンチャですね。紳助の、俺も昔はヤンチャしてたんや、
のヤンチャはここから来たわけではないと思います。

「車」は、そり舌かつ日本語にない母音eなので、どちらが正解ということもないです。
ただ、ヤンチョという表現は、上海の記述で多くみられる気がしまして、
forvoの江浙あたりの発音を聞くと、それを補ってくれる感じです。

车 Forvo
http://ja.forvo.com/word/%E8%BD%A6/#zh
(晋は江西、呉は上海まわり、閩南は福建省南部及び台湾本省)
(2015/7/20)