『ルンタ』(チベット語/藏语:རླུང་རཏ)劇場鑑賞


公式:http://lung-ta.net/
以下後報。
【後報】
(1)
ルンタプロジェクトというと、私は他の人を思い浮かべてしまうのですが、
よく知らないからしょうがない、みたいな。ダラムサラも行ったことないですし。
この中原さんという方が、よく顔出しOKで全編出てくれたな、と思いました。
(2)
私はこの監督は延安の娘やら蟻の兵隊やらの監督ということなので、
親中派というレッテルから、自分をニュートラルにするためにこれを撮ったのかな、
と勝手に想像しましたが、そうではなく、八十年代から、いつかチベットを、
独立寄りの立場から撮りたかった、ということみたいです。中国にとってはとんだ伏兵かw
蟻の兵隊が、確か若い知人と見たのですが、靖国神社の場面とか、なんかあれで、
「政治はキライです」と言い捨てて知人は帰ってしまいました。
別に私も何か背景があってオルグ目的で見せたわけではないので、
なんかあれで、閻錫山の山西モンロー主義とか、私の記憶とWikipediaで違うのですが、
閻と取引した日本側軍人の名前とのちのパイタンとか、麦収とか、
(麦が実ると農民が刈る前に兵隊が刈って糧食にしてしまう作戦)
もっといろいろ面白いネタはあったのに、と思ったのを覚えています。
(3)
なのでダラムサラは知らないのでそこは特に感想はなく、
政治的にアレされた人たちを癒す施設は必要だしそれはえらいなあ、と思いました。
広島の場面とかも特になし。売家でもキレイに掃除されてるし、
ガスや分かりませんが電気は停めてないのかな、とか思いました。
(4)
もともとは牧地の牛や羊用なんでしょうか。
警棒みたいなスタンガンは簡単に手に入る気がして、
私も一度酔った民警にやられたことがあります。旅社で。
(5)
ラプランを、ラプラン・タシキルと書いてますが、なぜなんだろう。
タール寺をクムブムモナストリーと書くのとは、たぶん違うんだろうな。
(6)
私は、以前この日記でも書いてますが、誰かほかが残すだろうから、
自分は写真とかいいやと思って全部写真を捨ててるのですが、
こうやって、現代の夏河、ラプランの全景を見ることが出来たりすると、
過去の写真を遺してないことで少し締め付けられるような気になり、
その一方で、やはり自分はこうやって見る側でいいんだ、と、
いまのラプランの景色を見せてもらえることで、なんともいえず、
解放されたような気分になったりします。漢族区域みたいのが出来て、
ものすごく膨張してるのですね。夏河。臨夏とかはどうなってるんだろう。
臨夏は回族地帯だからこの映画の趣旨とは違うわけですが、私は見たい。
(7)
ルンタの日本の人は基本的にラサ弁なので、どのマチュか知りませんが、
どのみちアムドのマチュだろうので、ラプランもアムドですし、
言葉の疎通がダイレクトでなく、一人ラサ語の分かるアムド人を、
通訳としてあいだにかましてるのが分かりました。
騎馬少年のセリフ「チェズレ」とかひさしぶりに聞いた。胸が詰まりました。
…ひょっとしたら、マチュは、ゴロ(果洛)かな。どうでもいいですが。
(8)
チベットのゲルはヤクだから黒で四角、モンゴルのパオは白で円、
と以前教わった気がして、だから青海省南蒙自治県は白で円のテントで、
それでチベット圏の中で、かつてのモンゴル王族だかなんだかの子孫、
と認定されたと、これはチベットの本をよく書いてるホショト部の人が言ってた、
気がするのですが、この映画では、どこもかしこもほとんど白の円で、
そんなにどこもかしこも隠れモンゴル人なわけないだろう、
土族とか東郷族とかは遊牧でないから違うだろうし、梅棹忠夫の名著、
モゴール族探検記やないねんから、と、思いました。ツ、バイダ。
テント用素材もモノカルチャーで、大量生産の出来合い白円とか使ってるんですかね。
知りませんが。チベット人の帽子も山高帽とかは上海製の出来合い大量生産だし、
再建してる寺の装飾とかペンキとかも浙江省あたりから来た漢族大工の仕事だし、
その辺は、映画では脱線して混乱するので、まあ、割愛でしょうけれど。
(9)
(7)の続きですが、アムドでラサ語を話す場面の反応が、日本人であっても、
「ラサから来たのか」「ああ、インドか。そうか」みたいなところで、
阿来の下記小説を彷彿とさせて、実体としても、アムドは、
北京では無論ないが、かといってラサでもない、という皮膚感覚がざわざわしました。

塵埃落定―土司制度の終焉

塵埃落定―土司制度の終焉

勿論僧侶は全然違う身体感覚を持っていて、さらに、この映画ではあえてスルーした、
計画生育にまつわる例のいろいろ、とかもあるので、旗を隠し持っていても、
それは別に驚いてはいけないことだと思います。見つかった時の処罰には、
その峻烈さに驚くのが普通でしょうけれど。
(10)
だからまあ、つべの動画で、ウォーメンヤオレンチュエン〜、みたいに、
わざと分かるように漢語で叫びまくって、旗振り回す場面が、
誰に向けて言っているのか、うーん、と思いました。“我们要人权〜”
相手に聞く耳があるわけないのに。でも英語だとあざといか。
(11)
あと、ダライ・ラマをギャワ・リンポチェと言わず、ダライ・ラマと呼ぶのは、
インド流なんですかね。それも分かりませんでした。中国人を指す、ギャミを、
ジャミと言っていたのは、アムドってそうだっけ、としか思いませんでした。
知らないので、以上です。(2015/7/31)