『アンジェラの灰』 (新潮クレスト・ブックス)読了

アンジェラの灰 新潮クレスト・ブックス

アンジェラの灰 新潮クレスト・ブックス

福田和也ほかの読書鼎談本*1で取り上げられてた本。
(正確には、この本の続編が取り上げられてました)
ひっじょぉぉぉぉうに面白かったです。以下後報。
アンジェラの灰 特別版 [DVD]

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アンジェラの灰 (上) (新潮文庫)

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アンジェラの灰 (下) (新潮文庫)

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Angela's Ashes: A Memoir (English Edition)

Angela's Ashes: A Memoir (English Edition)

【後報】
子どもの写真の表紙は日本語版だけかと思ったら、原書がそうでした。
Angela's Ashes

Angela's Ashes

Angela's Ashes (Scholastic Readers)

Angela's Ashes (Scholastic Readers)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/0/0c/AngelasAshes.jpg/220px-AngelasAshes.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Angela%27s_Ashes
ⒸCULVWE PICTURES, INC. とあり、著者や兄弟の幼少期の写真ではないみたいですが、
おさがりのだぶだぶの服にはだしで街頭に佇んで笑っている姿は、
この自伝のすべてだと思います。そういうものがたりです。
共和国アイルランド。アルコール依存で、仕事にありついてもありついても続かず、
米国から妻の係累を頼って(まだ福祉のある)共和国にゆく北出身の父親。
その家族。子だくさん、貧困。

訳者あとがきに出てくるアイルランド友の会、アンジェラの灰友の会は、
後者はミラーサイトというか魚拓が検索出来ますが、前者は、個人の方のブログで、
活動終了の記事があり、検索で同名のFBが出たりしますが、関連は分かりません。
本と映画が話題になった時代が、個人ホムペをhtmlで一所懸命ぐりぐり作ったり、
メーリングリストで閉じて活動する時代と重なっていたこともあり、
意外と情報がバニッシュしてる気がします。両サイト(アサヒネット)の、
404 Not Foundを見て思いました。mixiとかの時代はアーカイヴ残ってるのかなあ。

404 Not Found
http://www.asahi-net.or.jp/~gd9j-tro/angela.htm
404 Not Found
http://www.asahi-net.or.jp/~gd9j-tro/ireland.htm
序盤でガツン、はディベートなどのテクニックですが、本当に、アメリカ時代からひどい。

頁30
賃金を払うところに行かせてください、という。うちの人が全部バーで使ってしまわないうちに、一部を渡していただきたいんです。男の人は首を横に振る。すまないね、奥さん。そんなことをしたら、ブルックリンじゅうの奥さん方がここに押しかけてくるんでね。酒飲みは困ったもんだが、ちゃんと素面で出勤して、きちんと仕事をしているぶんには、うちとしては何ともしようがないんですよ。

帰国前の時点で妹マーガレットが貧困で死亡し、流産一回。
父親は、まだ、飲みだすとおかしくなるが、酒が切れてもしらふで働ける状態みたいです。
カネが入らないと飲まない。(入ると全部飲む)カネの無い状態で、
なんとしてでも酒を手に入れようと犯罪に走るような状態ではない。
家族との関係とかも絡んだ依存なんでしょうかね。

頁114
職業安定所は男たちのための場所だ。女が夫の鼻先から金をかすめとっていい場所じゃない。
 ママはひかない。そんなことは知りません、という。パブでみんなお金を使ってしまうあんたが悪いのよ。それがなかったら、ブルックリンでだって、誰が工場までなんか押しかけていくもんですか。
 おれの面目は丸つぶれだ、とパパがいう。

(中略)
 木曜日。ママはパパのあとについて職業安定所に行く。パパの後ろにぴったりくっつき、係の人がパパに差しだすお金をさっと奪い取る。失業手当をもらいに並んでいる男たちはニヤリと笑い、パパの面目は丸つぶれになる。男の失業手当は、女が口を挟める問題じゃないはずだ、という。男は馬に六ペンス賭け、一パイント飲む。女どもがママみたいなことをやりはじめたら、馬はもう走らなくなるし、ギネス家は破産する。

この時点だと、双子の弟が相次いで死亡し、すぐ下の弟と、さらに下の弟の三人兄弟。
(このあとまたひとり弟が生まれます。鼎談書評で、女子大生にこの本を読ませると、
 避妊の大切さを感想で述べるとありました)
メンツ。メンツ。文春新書の『依存症』*2に、ドヤの単身者は問題がシンプルで、
家族がいる人はその人数分、もしくは相乗?で問題が複雑とあるのを思いだしました。
本当に序盤は、立て続けに子どもが死んでゆくのに、なぜパパは稼ぎを家に入れず、
毎週金曜飲んだくれて愛国精神を鼓舞するのか、唖然とします。

頁140
 仕事探しに行かないとき、パパは長い散歩に出る。田舎まで何マイルでも歩く。農家の人に人手はいりませんか、と尋ねる。農家の生まれだから、何でもできますよ。雇ってくれれば、いますぐにでも働けます。帽子をかぶり、襟とネクタイをつけたまま、すぐにでも。そして、パパは一所懸命に働く。いつまででも働いていて、農家の人があきれかえる。もういい、という。この長い一日、飲まず食わずでよくいつまでも働けるものだ、という。パパは何もいわず、ただ笑う。
 農家で稼いだお金は、パブに行き、お酒を飲むお金になる。絶対に家にはもって帰らない。家に持ち帰る失業手当とは違う、という。六時にアンジェラスの鐘が鳴り、パパがまだ帰ってこないと、今日は農家の仕事をした日だとわかる。家族のことを考えて、せめて一度でもパブの前を素通りしてくれないものかしら、とママがいう。でも、そんなことは一度もない。じゃ、せめて農家から何かもらって帰ってくれないかしら。ジャガイモでも、キャベツでも、カブラでも、ニンジンでも、何でもいいわ。でも、パパはなんにももらって帰らない。農家に物乞いするほど落ちぶれたくない、という。私はどうなの、とママがいう。私が聖バンサン・ド・ポル会へ行って、一所懸命お願いして、食糧切符をもらって帰るのはよくても、あなたがジャガイモ二、三個をポケットに入れて帰るのはだめなのね。男は違うんだ、とパパがいう。男は体面を保たにゃならん。襟をつけ、ネクタイをつけ、身なりをちゃんとする。物乞いなどとんでもない。そりゃ、あなたはそれでいいでしょうけど、とママがいう。
 農家からもらったお金を飲み終えると、パパは歌いながら家に帰ってくる。アイルランドを憂い、死んだ子を思いだし、でもだいたいはアイルランドを憂いて、泣きながら帰ってくる。
(中略)ぼくたちをベッドからたたき起こし、整列させて、アイルランドのために死ぬことを約束させる。そして、ママに怒鳴られる。子供らにばかなことをさせないで。いつまでもやってると、火掻き棒で頭をぶち割るよ。
 そりゃ、本気じゃあるまい、アンジェラ?

農家の人が呆れる位ぶっつづけでその時だけ労働しても、別に、社会の人間関係で、
まいにち繰り返し根気よく労働が出来るわけではなく、幼稚なひとりよがりです。
頑張ってるようでも、ロングスパンで見ると(たとえ給料日に酒でブチ壊さなくても)
酒乱でない人のほうがたくさん仕事をこなして貯蓄も出来てたりして、せつない。

訳者あとがきによると、後年、米国で独り立ちした主人公に身を寄せるさいには、
もう何年も飲んでないとか改心したとか酒が切れてないのにウソをつく段階に達し、
それでも1985年まで生きたそうです。
記憶を失くしたり幻覚見たりまでは行かなかったのかな。分かりませんが。
(本書の舞台年代は禁酒法撤廃後の米国から、WWⅡ英国出稼ぎで沸く共和国愛蘭土)

で、主人公はその息子です。下記のアイリッシュダンスの形容には爆笑しました。

頁212
 ママに腕をとられ、ぼくは通りをひきずられて行く。こんなところを仲間に見られたら、面目が丸つぶれになる。とくに、行き先がアイリッシュダンス教室だなんて。(中略)真っ直ぐに立って、両腕は体につけたまま。脚を蹴り上げ、蹴り回すだけで、笑ってもいけない。アイリッシュダンスの人間は、尻に鋼鉄の棒でも突き刺してるみたいだって、パー・キーティングおじがよくいってる。でも、ママにはそんなこといえない。いったら、殺される。

だんだん大人になってゆく。

218
 ぼくは七歳になり、八歳になり、九歳になり、だんだん十歳になっていく。でも、パパには相変わらず仕事がない。朝、お茶を飲んで職業安定所に行き、名前を書いて失業手当をもらい、カーネギー図書館で新聞を読み、田舎まで長い散歩に出かける。ときどきリムリックセメント会社やランク製材所で仕事にありつくけど、いつも三週間で首になる。仕事を始めて三回目の金曜日にパブへ行き、給料を全部飲み、土曜日の朝、半日の仕事をさぼって首になる。
 どうしてリムリックの路地に住んでるほかの男たちみたいにできないのかしら、とママが嘆く。
(中略)一パイントか二パイント飲んで戻る。
 うちの人にはそれができないのよ、とママがブライディさんにいう。
(中略)
 いつもは北の人間だって悪口をいってるくせに、こんなときだけおだてるのよ。(後略)

アイリッシュダンスもそうでしたが、この本のユーモアは、かなり好きです。
訳者もうまいのかもしれませんが。

頁268
あいつはヒンズー犬そのものだ。母犬は、バンガロールをうろついているのを、おれが見つけたんだから間違いない。フランシス、お前、いずれ犬を飼うようなことがあったら、仏教犬にしろよ。仏教犬は性格がいい。マホメット犬はやめろ。寝てるところを食われちまう。カトリック犬もやめろ。こいつもお前を食う。毎日食う。金曜日だって容赦しないぞ。さて、すわって、読んでくれ。

父親は北の出身なので、長老派くさいとか、死んだら地獄に墜ちるプロテスタントとか、
さんざんな言われようです。そんなに北と南で違うのか。
あとがきにこんな箇所があります。

頁573 訳者あとがき
 冒頭で、翻訳では原作の一部を削除したと書いた。まず、ⅩⅣ章で五行ほど、リムリック弁では、たとえば"out ofit"を"oush ofish"と発音する。"beyond"を"beyant"と発音する。父親はこれをだらしがないといい、そんなリムリック弁を嫌った、という箇所がある。ここは日本語に翻訳のしようがないし、なくても本文の流れには支障がないので削った。

主人公の容姿についてもすごいです。(チフスめばちこを病んだ)

頁386
 フランキー・マコート
 乞食の子
 ただれ目
 踊り屋
 泣き虫
 ジャップ

頁388
パスポートの写真には、小さい頃のぼくがいる。目がつっていて、みんながジャップって呼ぶのももっともだ。

友の会魚拓の著者写真
  ↓↓↓↓↓
http://archive.today/1wxFR/99ba2ab598526c8d7c4e6a22f8f0640de08e62d5.jpg
Wikipediaにはもう少し後年の著者写真があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88
ケビン・コスナーも、リチャード・ギアもジャップですわね。

当たり前ですが、子どもたちの遊びとして、フットボールの場面もあります。

頁395
 向こうはお揃いのユニホームを着ている。青と白のシャージーに、白いショーツ。それに、ちゃんとサッカーのできる靴。向こうの一人がぼくたちを見て、猫が外からくわえてきたなんかみたいだ、という。マラキがいきりたち、引き止めるのに苦労する。試合時間は三十分。バリナカラの少年たちは、三十分たったらランチに帰らなくちゃならない。一日の真ん中に食べるのは、世界中どこでもディナーに決まっているのに、ここの連中はランチを食べる。三十分でどっちも得点できないときは、引き分けにする。
 ぼくたちはボールを蹴って、あっちへ行ったりこっちへ来たりする。ビリーがボールを奪い、踊るようなステップでタッチライン沿いを進む。速い、速い。誰も追いつけない。ボールがゴールに吸い込まれ、やがて三十分が終わる。でも、バリナカラの連中があと三十分といい、その三十分の中ほどで得点する。ボールがタッチに出て、ぼくたちのボールになる。ビリーがタッチラインに立ち、頭の上にボールをかかげる。マラキのほうに投げる振りをして、ぼくに投げる。ボールが飛んでくる。世界中がこのボールになったみたいに飛んでくる。まっすぐにぼくの足元に転がり、ぼくはただ左に振り向いて、ゴールに蹴り込めばいい。頭の中が真っ白になって、ぼくは天国にのぼった気持ちになる。原っぱじゅうをふわふわ漂っていると、赤心リムリックの仲間たちがぼくの背中を叩く。ナイスゴールだ、フランキー。お前もな、ビリー。
 オコンネル通りを戻りながら、ぼくはゴールの瞬間を思い出しつづける。足もとに転がってきたあのボール。神様か聖処女マリア様の贈り物に違いない。半分の時間で生まれてきた子が本当に罪深かったら、きっとあんな贈り物をなさらないだろう。ぼくは一生忘れない。ビリー・キャンベルから来たあのボール。そして、あのゴール。

両親が婚前交渉でデキ婚だったので、長男の著者が、半分の時間で産まれて来た、
罪の子ということらしいです。プロテスタントは性的にタブーがない、
というような記述もあり、むかしのカソリック貞操観念が分かって、
(けっこうガッチリしてて)なんとなくほっとしました。
サッカーに関しては上記で、頁489によると、クロッケーなんて、
プロテスタントのゲームだ。
だそうです。インド人は新教か。
あと、頁443の処女殉教者、聖クリスティーナを著者は気に入っていますが、
私も感心しました。ほかの人がこの個所引用してるのが検索出来るので、私は控えます。
アッシジの聖フランシスの祭は10/4、クリスティーナは7/24、土用丑の日。

頁426
 いいこと教えてあげる、フランク、とパーセルさんがいう。
 なんですか、パーセルさん?
 シェークスピアって、これだけすごい作家なんだから、きっとアイルランド人だったに違いないよ。

全編こういうユーモアに溢れていて、だからといって悲惨が悲惨でないかというと、
そういうこともなくて、父親は戦争特需に沸くイギリスに出稼ぎに行って、
当たり前のように飲んで仕送りを送らず、家賃が払えず転がり込んだやもめの親戚と、
ママが出来てしまい、なんか養父にこき使われるままっこみたいな感じに兄弟はなって、
で、主人公は家を出て賃仕事を始め、性に目覚め、母親は物乞いとか乞食をしたり、
いろいろで、訳者あとがきによると、

頁572
「私はもう死にたいよ」「ママはまだ死ぬものか。今日は十二月二十日だろ?クリスマスには病院を出て踊ってるよ」「踊りなんか踊らないよ。踊りなんてとんでもない。あーあ、この国じゃ、右を見ても左を見ても女どもが妊娠中絶をしてる。なのに、私は死ぬこともできない」「ママが死ねないのと、妊娠中絶している女たちと、なんの関係があるんだい?」「お前、私はいまこのベッドで死にかけているんだよ。まあ、死にかけてないのかもしれないけど。そんな私の頭を、お前は神学問答で悩ませる」というような漫才をしながら、一九八一年に死んだ。

訳者も相当面白い人だと思いました。Wikipediaによるとトークイベントもこなす人だとか。
以上
(2015/7/31)