『天山を越えて』読了

天山を越えて

天山を越えて

読んだのは1982年のハードカバー。カバー画/扉画・門坂流*1
カバーデザイン・矢島高光。カバー印刷・真生印刷所株式会社。
天山を越えて (徳間文庫)

天山を越えて (徳間文庫)

文庫ならあとがきや解説で、補足説明が得られるかもしれないので、
そちらも探してみます。これだけだと、執筆動機がよく分からない。

もともと、本書の第二部が、かなり違った形で、1961年に清水正二郎名義で発表されており、
私はそれを、今世紀集英社が創業85周年記念企画で出した、
戦争×文学シリーズ日中戦争の巻で、読んだわけです。巻頭作品でした。題名『東干』

で、そこに、これを膨らました長編作品もあるよと書いてあり、いつか読もう、
と思いつつそのままになっていたのを、最近生島治郎を読んだりで、
なんとなく思い出し、で、読みました。いやー、だいぶ初稿の短編と違います。

そもそも東干というのは、漢語を話す回教徒、回族のカテに含まれる人々で、
ただし、書き文字に関しては、漢字でなくキリル文字を使う人々です。
むかし、富坂聰だか宮崎正弘だかが、回族に詳しくなかった頃、
付け焼刃で何か書いたり現地取材していたのを読んだ記憶がありますが、忘れました。
現在はWikipedia見れば、それでこと足りると思います。

ドンガン人 Wkipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BA%BA
ドンガン語 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E8%AA%9E

で、東干を、甘粛省寧夏回族自治區あたりの回族と重ねて捉え、
戦中のそのあたりの回族軍閥を東干とおおざっぱに呼んでまとめた小説、
が、この本です。短編では馬長英と書いてあったキャラが、長編では馬仲英のまま。
長短編ともに出てくる馬希戒は、マーシロンというルビなので、
植字工さんが「龍」の簡体字の“龙”を、同じ字がないので似た字をあてたのだと、
思います。京大文学部東洋史学科と人文研が編纂してる東洋学文献類目や紀要雑誌は、
京大支那学の伝統ルールで、旧かな旧漢字で書かなければいけないのですが、
当代の学生院生がそれに精通してるわけもなく、印刷所がすべて変換してくれるそうで、
けど、それは繁体字だから出来る話で、簡体字の活字はないよな〜、
と思いました。

主人公の名前も短編の佐藤佐藤(さとうすけふじ)から衛藤衛藤(えとうもりふじ)、
奉天のホテルの支配人も中林から犬山、と変化がありますが、それくらいか。
あとの人名は変わっていないと思います。衛藤は、瀋吉先生のパロディ?

衞藤瀋吉 Wikipedia
http://www.ammanu.edu.jo/wiki1/ja/articles/%E8%A1%9E/%E8%97%A4/%E7%80%8B/%E8%A1%9E%E8%97%A4%E7%80%8B%E5%90%89.html

回族と東干の関係は確かに珍しいですが、漢族にも果敢族という、
明朝くらいに分かれて通婚もしない支族がいますので、民族とはことほど多様なのかと。

コーカン族 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E6%97%8F
コーカン Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3

回族も、回教を信仰するが言語は漢語、という定義ではありますが、
海南島回族は漢語を話さないというはなしもあり、すべて定義通りではないです。

で、この小説のキャラは語学の達人で、現地で半年くらい揉まれると、
すぐネイティヴなみにぺらぺらになるのですが、そんなにうまく行くなら、
世界から民族なんて区別とっくになくなってるはずですので、空想過ぎる、
と思いました。

短編のほうがキレがあって、よい話です。長編は、再構成に苦戦した感じ。
ウルムチを、短編では迪化、長編では烏鲁木斉と書いてますが、
中共以前の人も烏鲁木斉で分かるんだろか、と思いました。
以上です。
【後報】
あと、カシュガルあたりで、ウイグル勢力と回族軍閥がぶつかったあとの、
民間人死屍累々の描写読んで、長征で、途中仲間割れして、
延安に行かず、河西回廊を西に進んで、回族軍閥に殲滅させられた、
毛沢東派長征軍を思い出しました。あの写真とかに描写が似ている。
参考にしたのかもしれないなと思いました。やったのは、別の馬、
青海の馬歩芳、のちの台湾中華民國駐サウジアラビア大使と、
もうひとり、誰だったか… 忘れました。
(2015/9/1)

【後報】
徳間文庫と双葉文庫の解説見ましたが、特に、長編に膨らます契機については、
触れてませんでした。作者が実際に戦前西域で何をしたか同様、謎のまま。

あと、戦前、ニューヨークのマンハッタンにウイグル人コミュニティがあった、
というのは、適度に事実に混ぜられた駄法螺のような気がします。
伝奇作品創造のイロハではないかと。

あと、カラコルムハイウェイ建設以前の、ギルギットとタシュクルガンを結ぶ道を、
冬季に越えたりしてますが、その辺の命知らずさが、かなり軽いので、
ちょっとそれがなあと思います。それとも、作者が実際に踏破してみて、
軽かったのかなぁ… フ(ク)ンジュラフ峠は血の涙の意味と以前聞いた気がしますが、
いまWikipedia見たら全然そんな意味じゃなかった。

Khunjerab Pass Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Khunjerab_Pass

雪解け水の家、とでも訳すのだろか。
(同日)