『海のかなたに蔵元があった』読了

海のかなたに蔵元があった

海のかなたに蔵元があった

なるにはシリーズの『刀自杜氏になるには』*1の作者の著書。
前世紀末に書かれた本書プロフには家電とFAX番号が載ってますが、
現在ならさしずめメアド、公式アドレス、FBといったところでしょうか。
下記ニュースのときに、この本読んでウェブにあげたらキャッチーじゃん、
と思いましたが、今あげます。
新基準施行時期にあわせてあげてもいいのでしょうが、忘れそうなので。

日経新聞 2015/6/11 13:29
「日本酒」表示、純国産に限定へ 今秋にも国税庁
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H91_R10C15A6MM0000/
産経新聞 2015.6.11 22:52
純国産品は「日本酒」「日本ワイン」で販売OK 国税庁、輸出を後押し
http://www.sankei.com/economy/news/150611/ecn1506110040-n1.html
佐賀新聞 2015年06月09日 16時30分
「日本酒」純国産に限定へ 国税庁、海外展開後押し
http://www.saga-s.co.jp/news/national/10204/195772?area=similar

二十年近く前、1997年の本なので、やはりというか、
情報が古いのはいかんともしがたいです。
法令、データ、数字などに顕著な気が。例えば、下記などは、今ではどうなのか。

頁197 みりん新地図
 日本の本みりんの年間消費量は九万㌔㍑である。しかしこれは、割り水や糖類、アルコールで延ばした数字であり、原液は三万㌔㍑程度だろう。これを、搾る前のもろみ、つまり白酒に換算すると四万㌔㍑になる。このうち輸入は二万㌔㍑弱で、将来は三万㌔㍑に増える見込みだ。そして、「その半分近くを。タイとベトナムの二つの会社で賄うつもりだ」と言うのである。
 日本のみりんは、そこまで海外に依存しているのか――一般の人が聞くとびっくりするだろう。
 そうした実態が知られていないのは、みりん業界が、公表しないからである。国内産というイメージが崩れるのを心配するからだろうが、海外からみると、こっけいな風景だ。

下記のような人文的な分野での進展も知らないので、気になります。

頁11 カリフォルニア州ナパ 
コーナン社広報・テースティングルーム課長マイケル・クラムコさん
「日本人の利き酒用語は、深みとか幅とかふくらみとか、とても感覚的でアメリカ人には分かりにくい。このホイールを使えば、アップルのようとか、ナシのようとか具体的なので分かりやすく、サケを楽しむツールになるのでは」

下記は、焼酎メーカーが米国では清酒にチャレンジせざるを得なかった理由。

頁60
 誤算があった。アメリカでは、アルコール依存症が社会問題化して、度の強い蒸留酒に対する規制が極めて厳しくなっている。レストランや酒店での扱いさえ難しい。まして製造となると、さまざまな規制をクリアし、なおかつ高い税金に耐えなければならない。

頁71、鏡開きのうまく出来ないアメリカ人用に、
樽、割れやすい特注ふた、中の酒を別々に送り、
会場でセッティングする方法を編み出し、確立させる箇所は面白かったです。
ゴキブリホイホイを組み立てられず、組み立て済みのものが売られている
アメリカの話はよく聞くので、これもそれに類するのかと。

頁103
 泡なし酵母は、今や全国で使われている。四季醸造もその後、大手メーカーが取り入れた。ほかにも、麹作りのプロセスを工夫して夜勤をなくし八時間労働を実現したこと、木おけに代えて、パイナップル工場で使っていたステンレスタンクを採用したこと。遠く離れたハワイで開発された新しい手法が、その後日本に逆輸入されたことはあまり知られていない。

上記は痛快でした。当時の国税庁醸造試験所長が、
ハワイに負けてはいけないと懸命になった、と回顧する様子を取材しています。

頁124、韓国、漢江ハンガの奇跡は、ハンガンの誤植かと。
頁163、大連の風、チンチョン(清香=いい香り)も、その漢字ならチンシャンのはず。

総じて、本書取材時、海外の日本酒造りは、黎明期勃興期にあり、
すでに長い時間をかけて伝統が形成されたものは少なく、
あっても日系人が混淆して消えゆくのに合わせ、
本土の大メーカーに買収されて日本からの輸出酒に
ご当地ラベルを貼っただけのものになったりで、
海外で息づく、根づく、カリフォルニアロールのような、
日本とは異なった発展を遂げた日本酒、の記述は少なかったです。
米国産清酒は、税法から、アルコール無添加純米酒が本流に、という箇所くらい。
南米もこれから、豪州もこれから。私は台湾は酒蔵があった気がしてたのですが、
本書では、専売制で月桂冠の一社輸入のみで、これから自由化、とあり、
酒蔵なかったっけ?と、ちょっとめんくらいました。
酒煙草の税金が高い(高かった)のは知っていて、
料理酒という名目で酒類の高課税を逃れて安かった米酒が、
低所得層の晩酌メインだった記憶があります。
国民党を酷民党と揶揄する駄洒落がありますが、課税にそれが現われていたと思います。

そういうわけだからか、本書も後半は日本での取材と今後の展望で占められており、
その後どうなったかも気になりますが、明るい未来が待っているのだと思います。
日本編では下記がおかしかった。

頁268
「越乃寒梅」の伝説が生まれたのは、昭和四十年代である。石本龍一社長(五七)によると、雑誌「酒」を編集していた佐々木久子さんが「新潟の酒はまずい」と地元紙に書いたことに、当時の省吾社長がカンカンになった。
「連れてこい、と言ってね、うちの酒を徹底的に飲ませたんだ」

筆禍事件だったのかw おしまい