『江分利満家の崩壊』読了

江分利満家の崩壊

江分利満家の崩壊

読んだことは読んだのですが、煽情的なタイトルとは違い、
前書*1で書かれた父親の死の後、母親の死までを、同じく息子さんが綴った本です。
前書では息子さんは四十代半ばでしたが、本書では六十、還暦に達しており、
愈々「最後の息子」感が強く、崩壊でなく、消失、消滅ではないかと思いました。
ハンデのある母親のアテンドをし続けた人生、
その後の喪失、というテーマであるとするなら、
このタイトルではないでしょうし、時間が必要だった気もします。
その一方でショービニズムとの兼ね合いもあったのか、それは分かりません。

日本のお墓も、沖縄の亀甲墓のように、一族郎党全部が入るかたちにして、
そのための共済金、積立金みたいのを墓守りに送って基金として運用してもらえば、
それがいいのにな、と、最近思います。親等が狭い中でお墓作っても、すぐ絶えちゃう。
かなり遠い親戚までカヴァー出来る大規模なマウントにすれば、
誰かが見ててくれて、永代供養料やらなんやらが切れて、いつか整地されるリスクも、
かなり減ると思うのですが… なんとかならないかな。閑話休題

そういうことを思いながら、ただ字面を追い続けたかんじです。
エーシーとかそういう難しいことは分かりませんが、
ハハはこうのたまったが、自分はちがうと思う、ああだと思う、そうじゃないですか、
みたいな同意を絶えず求められているような気がして、そんなんジャッジすんのいやや、
あんたんとこにウチ関係あらへんねや、と、心を閉じて、
読み切りました。頁8で母親の入院に鉢植えの見舞いを送った客がいた件など、
どうオトシマエをつけたのか気になりましたが、誰がやったのか、
それを見て息子としてどう思ったのかとか、全然書いてないんですもの。

頁244、父親が生前、吉野秀雄先生の子息壮児さんが書いた『歌びとの家』*2のような、
肉親の死後それをディスるようなモノを書くな、と言った件、
かつ、母の遺骸に寄り添ってそのまま死んだりするな、とも訓した件、
でありながら山口瞳自身、『血族』を初めとして、縁者の秘密暴露小説を何本も書いた事実、
それらが筆者のなかでぐるぐる回って、これもまた読者に判断を委ねている気がします。
水曜どうでしょう

Yahoo!知恵袋
アントニオ猪木語録に「どうですか〜お客さ〜ん?」というのがあり...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q139421393

判断しません。自分の人生を生きます。以上

*1:読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150908/1441705600

*2:

歌びとの家 (1968年)

歌びとの家 (1968年)