『それでも酔ってません 酒呑みおじさんは今日も行く』 (双葉文庫)読了

シリーズ三作目。この人の本も結構読んだような気もしますし、
かといってちゃんとコンプとかしてないとも思います。
週刊大衆連載。字が大きくて読みやすい文庫本。
担当編集Sさんは、かつて知っていたイニシャルSのしととは別人でした。
あとがきまで読むと実名出てくる。

頁149のネタとオチがむしょうに面白いのですが、時間がないので、後報。
【後報】

頁62 五十歳だからわかる「ブラックアウトエキスプレス」進化形
 外でも家でも飲んでいる。それもトコトンという感じになっている。なぜ、そこまでして飲むのか。
(中略)
五十歳になって気がつけば、あれこれ気にしなければいけないことに片がついてきて、少しのんびりしていていいはずなのに、それとは裏腹になんだか妙に気が急いて、挙句の果てに大酒を飲むことが増えている。

耐性がついたので量が増えたのかとか、そういうことは素人なので分かりませんが、
気をつけてほしいものです。この焦燥感は、終わらない気がする。

頁114、後藤浩暉騎手*1のリハビリと自死についての記事、
その他一般大衆ではあるんですけれども、残された者としての感慨が言語化され、
いたみます。

頁118
 その日、酔って私たちに暴言を吐き、しょんべん横丁から去って行った父は、たしか五十一歳だった。今の私たちの世代である。あのときすでに父の中では何かが完全に壊れていた。もう、晩年にさしかかっている気味があった。

『酒吞まれ』などに書かれていますが、蒸発した父です。
こうした事柄は、記述される時、往々にして欠落があります。
それは本人のなかで降りてきて、話すときが来るまで、聞く必要のないことと思います。
降りてきても、山口瞳のように、聞く側としては聞きたくない色彩がつくかもしれない。
最後まで降りてこないかもしれない。それを今から考えてもしかたない。

全然関係ないけど、9/28朝日新聞朝刊に吉田類吉田類に会いたいという読者と、
しょん横で会う記事が載ってますが、なぜしょん横なのかと思いました。
吉田類しょん横ってイメージなかったので。新橋とかのほうがよかった気が。

頁149 飲み方がだらしなくなったので、ひとり酒で出直しを
 上手な酒の飲み方について教えてください――。先日、そんな無体なことを言う人と酒席をご一緒した。
(中略)
 目の前に酒があるとつい飲んでしまいますよねえ……。
 そんな彼のフリに対して、いやアタシはそんなことございません、なんていうイケズは言わない。むしろ、目の前の酒を干してみせて、そうですねえと賛同しておく。いや、これは、飲めるところを見せたいと思う人に対する、軽い挑発かもしれない。

これが一番面白いと思った記事の冒頭で、私はヤバいと思いました、この相談者。
酒があるから飲むんでなく、コップを持ったのはお前の手で、
お前が自分の意志で飲んでるんじゃないか。だいたいなぜ酒を飲むのに言い訳が必要なのか?
飲んではいけないのに飲んでるからじゃないのか?

頁150 同
 一軒目の終わりころには、その人、ちょっと怪しい感じに酔っていた。
 酔うことにさえ守るべき型があると思っているかのような、ちょっと意図的な酔い姿だなあとも思った。
 二軒目は私の行きつけだから、こっちも少し勝手にやる。どう勝手にやるかというと、まあ、あまり気を遣わずに、いつもいる常連さんたちとも普通に会話をする程度のことだ。
 けれど、私のこういう対応が苦手な人もいる。自分というものがいるのに、私が他の客と話すことが許せないのだろう。誰彼となく声をかけ、自己紹介をかねて会話に入ってこようとする。私はこういう人のことが、実はよくわからない。

(中略)
 で、改めて思うのだけれども、私に上手な酒の飲み方を問うのは、お門違いというものである。私は酒の席で議論をふっかけないし、滅多のことでは声も荒げない。けれど、腹に貯めた鬱憤を炙るようにして飲んでいることはある。そうして何軒か回るうち、すっかり壊れてしまっていたりする。酒の飲み方に上手いも下手もあるかい! やはり、これが、私の基本的なスタンスかもしれない。
 ただ、最近になって、上手に飲むということは、居合わせた人を不愉快にさせないということに尽きると思うようになった。

この後も文章は続くのですが、お察しのとおり、内省、過去の省察に移行し、
冒頭の飲酒指南を乞うたヘンな飲み方の人は、文章からも著者の脳裏からも、完全に、
消えます。存在しなくなる。ここが痛快だった。自分勝手に入ってこようとしても、
そうなるという展開。話を聞いてもらうには、バーターを支払わねばならない。
それが出来なければ、結局その人はフェードアウトしてゆく。どんな場でも。
(と、最近勝手に思っています)

頁156 飲みっぱなしの一週間の締めくくりは風呂上がりビール
(前略)その店で三時間も過ごしたろうか。二軒目にバーへ流れ、散会となったのだが、その後で、私ひとり、どうにも止まらなくなって、夜半までがっちり飲んだ。

これはまあ、説明不要かと。

頁199
不安である。まったくもって不安なので、その晩、たくさん飲んだ。

競馬開催初日に惨敗した後の文章です。それだけの話。
安西水丸さんをしのぶ文章から始まって、偲ぶ会で、倉嶋紀和子、太田和彦の名前が
出ます。全然別の個所ですが、ここより後の部分で、吉田類坂崎重盛なぎら健壱が出ます。
類は二回も出る。ここにもギョーカイというかギルドが形成されつつあるのか、
そんなことは勿論なくて、狭い世界だから袖擦りあうも他生の縁なんだな、ということなのか。
そのうちラズウェル細木とかなんとかDHCとかも出るんだろうな。
でもラズウェルは双葉社に連載あったかな、なければ出ないかもな。大人には事情があるから。
と思いました。

頁202
「お互いガンマが四ケタいっちゃった身なんだから、ウーロンハイでいいよ」
 となだめられた。いい会話だねえ。

このガンマが何か知りませんが、γ-GTPだったらシャレにならないと思います。
全然いい会話じゃない。

牛を屠る (双葉文庫)

牛を屠る (双葉文庫)

頁227で紹介されてたこの本は、読んでみます。大竹のひとは、ボーツー先生と違って、
本の紹介も一、二冊で済ましてくれるから、助かる。
前の川上健一の小説*2も、そういうのは自分で選んでは読まないので、
世界が広がって、よかったです。以上
(2015/9/28)
<付記>
これまで読んだオータケ先生のほん。レモンサワーも読んだ気するのですが、
はてなで読書感想出てきません。ということは読んでないのか。

2013-05-07 『酒呑まれ』(ちくま文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130507/1367855724
2013-05-14 『ひとりフラぶら散歩酒』 (光文社新書)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130514/1368522107
2013-05-25 『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』 (ちくま文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130525/1369483400
2013-06-07 『もう1杯!!―『酒つま』編集長大竹聡チャランポラン酒場歩き』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130607/1370590771
2013-06-10 『下町酒場ぶらりぶらり』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130610/1370829172
2013-11-09 『今夜もイエーイ』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20131109/1383985931
2014-02-22 『酔客万来: 集団的押し掛けインタビュー』 (ちくま文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140222/1393080023
2014-02-27 文庫『ぜんぜん酔ってません 酒呑みおじさんは今日も行く』 (双葉文庫)単行本『大竹聡の酔人伝 そんなに飲んでど~すんの!?』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140227/1393507593
2014-05-01 【酔いどれ紀行】『中央線の「五十年酒場」 荻窪「かみや」と井の頭公園の桜』大竹聡(『新潮45』 2014年 05月号掲載)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140501/1398921905
2014-05-12 『ギャンブル酒放浪記』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140512/1399899479
2014-05-20 『まだまだ酔ってません 酒呑みおじさんは今日も行く』 (双葉文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140520/1400574850

タグつけてない、というか検索ワード折り込んでなかったので、
パッと一覧で出て来なくて、苦労しました。ここに一覧があること忘れないようにしないと。
昔の頭が晴れてない頃の文章も消したらそこでほんとうに消えてしまうので、
そのままにします。今も晴れてるかといえば、どうなんだか、です。