ふるさとの歴史「キャンプ座間今昔」聴講

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20150901/20150901201644.jpg相模原富山戦*1とどちらをみようか
迷いましたが、こちらを聴きました。

今は発表はなんでもパワポ*2
大変ですね。パワポは、プロジェクター
だけなら一過性で保存されないので、
多少の誤字脱字は記憶に残らず
スルーされると思いますが、
レジュメとして印刷されてしまうと、
簡単に修正出来るだけに
ドツボにはまってどこに誤字が
あったか分からなくなってしまって、
外部チェックとかもあるわけもなく、
そのまま当日印刷を迎えてしまった、
消し忘れやらタイプミスやら
チャプター増減に頭が追い付かず
わけ若布(と自分で勝手に思う)死霊
資料が配布され、口頭で訂正を連呼、
嗚呼無情と思います。でも、みんな、
あまり気にしないです。だいじょうぶ。
以下後報。
【後報】
チャプター6が二つあったので、ふと
そう思いました。講義は、
「地元とキャンプにまつわる故事は、
 皆さんのほうがよほど詳しい
 でしょうから」ということで、
グローバルな観点から米国の自国軍
極東駐留政策、意義の変化を追い、
その中で座間に駐留した各師団に対し
その性格、構成、トピックについて
詳述したものです。

最初期の第一騎兵師団が、イラク進攻
等現在も常に最前線で戦い続けている
部隊で、地獄の黙示録のヘリコにも
その紋章が確認出来る部隊だったこと
(それほど日本の残存抵抗勢力
 警戒していた)、
その後、あまり芳しくない、
性質、タチがよくない部隊も来ていた
こと、ここは面白かったです。

で、トルーマンジョージ・ケナン
アチソン、アイゼンハワー
ニクソン、シンセキと、各時代の
立役者と新政策のトピックを挙げ、
結局この数十年の大きな流れとして、
基地は縮小すれども機能は集約され、キャンプの戦略的重要度は依然として
大きなままである、ということです。それについて是非等の判断はしない。
そういう講義でした。二時間ノンストップ。ゆとり世代は集中を保てなそうですが、
シニア中心の受講ですので、そこはもうそういうものとして受け止めておられる。
運動中給水しない訓練を受けてきた世代ですし。空調、温度の上げ下げ、
トイレの案内は係りの方が気を配っておられました。

以前陸軍士官学校についての同様の催しがあったそうで、重複する話もありましたが、
陸軍士官学校選定の決め手として、風光・風俗がよかったこと、という話に、
オダサガの歌舞伎町や、町田のたんぼなどを連想し、町田西方地区のその方面の発展は、
はたしていつからだったのか、気になることもないではない、気分になりました。

公式:http://www.city.zama.kanagawa.jp/www/contents/1233126071437/files/kouminnkann.pdf
http://www.city.zama.kanagawa.jp/www/contents/1233126071437/index.html

以上
(2015/9/28)