『恐怖分子』デジタル・リマスター版(原題:恐怖份子)(英語タイトル:Terrorizers)劇場鑑賞


公式:http://kyofubunshi.com/index.html
裾刈りとMRI終わらして速攻で観た映画。寝ないで観れそうな日が今日しかなかったので。
新百合ヶ丘が月曜やってればなぁ。言っても詮無いことですが。他者には事情がある。

むかし、ビデオを借りて、寝てしまっただけのエドワード・ヤンですので、
ちゃんと観ようかということで観たわけですが、今でも通用する、
スタイリッシュな表現、演出、構図、画面の設定と映し方、以外、何が語れるのか、
少し考えました。美化されない、素のタイペイ、ブリックスという言葉が出来る前の、
しかし金鷄起飛で生活が豊かになった台湾、けれどまだ李登輝が総統になる前の台湾、
陳水扁総統の民主党政権F-16やら購入して軍備増強しようとしても、
野党国民党がことごとく反対して軍事的に弱体化し、連戦−馬英九国共合作が、
何処へ行くのか成り行き任せ風任せな現代台湾、になる前の、強固な中華民國の台湾、
を偲ぶ故事としても楽しめる映画でありました。はなわ弟や鴻上尚史に似た医師が、
"跟"を「グン」と発音するたびに、嗚呼台湾てそうだったな、と思いました。
大陸は「ゲン」ですね。これは、閩南語や客家語の話ではなく、大陸のプートンホワ、
普通話と、中華民國の國語、南京官話の違いじゃいか、と思っております。
あんまりアルアル言わないな〜、と見ていて感じられたとは思います。
ぶっちゃけ、セリフは2,3か所以外、
全部北京語≒南京官話≒國語です。
房東(大家)が部屋を売り込むところと、故買屋が打狗へはサーチェンで十分やろ、
とさべるところだけ台湾語です。ガッ、ガッ、言ってたから、客家語ではなく、
台湾語だと、思う。あと、不良少女のツレが「放せよ」っつってるセリフと、
イタ電やめて怒鳴り電話したところも、台湾語(閩南語)だと思います。あとは北京語。
台湾のチャイ語のほうが、共匪より體貼温柔だと思い込んでる人は多いですが、
だいたいそういう人はチンプン听不懂ですから、虚心坦懐に聞いて欲しいです。
ただ、この映画では、台北の階層として、外省人中流以上、本省人下流
というのをあからさまに示すために閩南語やら訛った國語やらを使っているので、
それはステレオタイプすぎやしないか、とは思いました。ガサツなセリフの時にだけ、
台湾語を使っているので、ちょっと、ということです。あと、警察が少女を指して言うセリフ、
ハーフと訳してますが、もともとの単語は"雜種"です。こういうところは、
国民党共産党以前に、中国語がもとから内包してた何かなんですよね。
言い換えなんかしない、弱者に対するポリティカルコレクトとか、ない。

徴兵忌避とか、監督の実体験、モラトリアムを反映してる気もしますし、
医者が狂う過程は、売れないストーリーにならないための制作側テコ入れに見えました。
そんな簡単に狂うか。そして、中国人は憤死はしても自殺はしにくいのではないか、と。
でも高粱酒を、最初はカンペイルールでやってたのが、中国人にしてはいささかアレな、
手酌に移行する描写があったので、そっちに逝っちゃうのかなという予感はありました。

どうもタイトルのテロ云々は、スタイリッシュに流してしまってますが、
かつての反共国家中華民國台湾はバリバリの白色テロ、密告社会でしたので、
その辺の50年代事情が知りたければ、小説では下記があります。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/61hC5aa2UnL._SL500_.jpg

バナナボート―台湾文学への招待 (発見と冒険の中国文学)

バナナボート―台湾文学への招待 (発見と冒険の中国文学)

そうしたガチガチな密告社会が、経済的に豊かになって緩んで、
テロという行為自体が、個の行為、政治ではなく個の社会的地位上昇等が契機となって、
起こる、そういう社会になったんだよ、と、読み取ってもいいですが、
そんなことは特に考えず映画を作ったような気もする、映画です。以上

【後報】
初めて台湾語を前面に押し出した非情城市の前の映画なので、
台湾語のせりふが少ないのは理所当然でした。
むしろあったことのほうが驚きなのかと。で、アテレコです。
(2015/10/2)