『金曜日の夜』読了

月曜日の朝・金曜日の夜 (新潮文庫 や 7-8)

月曜日の朝・金曜日の夜 (新潮文庫 や 7-8)

息子さんの本*1で出てきた、日本の郊外小説の嚆矢との本。
単行本を借りたので、月曜日の朝は入っていません。
月曜日の朝のほうが、中央線沿線の通勤風景を描いているそうなので、
また機会があれば読んでみたいと思います。
こちらは『わが町』*2と同工異曲。
わが町のタクシー運転手が金曜日の夜では日雇い職人になってたりします。

頁11
 西船橋の駅で、競馬場行きのバスを待っているときに、殻にはいった南京豆の袋を買った。
「それは南京豆じゃないんです」とコーガンが言った。「そういうのは落花生です。皮のついたのが南京豆。皮を剥いてあるのがピーナッツ」

その通りだと思います。

頁54
 あるとき、K子は、こんな話をした。
 休日で退屈していた。することがない。風呂に入って、そのまま、部屋のなかで裸でいた。蜜柑の皮を剥いた。それを、いれてしまったというのである。
 どこへ入れたかって? それを私は書くわけにはいかない。そのことがあってから、私は、女というものは、それ自体、一箇のハンドバッグではないかという考えを抱くようになった。

私は、男の食べ吐きを聞いたことがありません。

頁180
さよなら、さよなら」
 その夜、それらの店がすべて無くなってしまう夢を見ることになった。駅前にも商店街にも、人っ子一人歩いていない。
 コーガンもキョレオも、アガクシもウルサザキもピーチもいない。
 ギャオスもリンボーもヤマネコもいない。甚もジュニヤもヨレオジもいない。
 ビンチョウもドストエフスキイもアダルトもいない。
 そんなことってあるものかと思った。夢からさめて、夢でよかったと思った。そうして、しかし、現実には、五十年も経てば誰もいなくなるのだと思った。

下天は夢か。

頁212
「本当に釣が好きなの?」
「若いときは、よくやったもんですよ」
「面白い?」
「ううん、面白いっていえば面白いし……」
「別のことを考えているんだろう」
「そうです」
 彼は、きっぱりと言った。
「何を?」
「別れた女のことです」
「ずいぶん、はっきり言うもんだな」
「だって、そうなんだから。釣糸を垂れているでしょう。ビクッときますね。そうすると、反射的に、ある女のある動作を思いだすね」

とにかく病院の待合室で広げたままガーガー寝てたので、何が夢やら本当に読んだやら、
よく分かりません。字面を追いながらちがうストーリーと思いこんでたり。以上