『肉骨茶』読了

肉骨茶

肉骨茶

羊頭狗肉*1で紹介されてた本。どういう文脈で紹介されてたかは、忘れました。

パクテーと読ませず、"NIKUKOTSUCHA" と表紙にもルビを振っていますが、
パクテーです。作中の人物はすべてパクテーが何か理解出来る境遇にあり、
かつ日本語を解するという設定です。で、舞台はシンガポールからマレーシア。
主人公は日本人のJKですが、"What about my Bak kut teh?"と尋ねるクッカーが、
マレー系なので、なぜムスリムのマレー系が肉骨茶を作るのか、と鋭い問いを発し、
それが何の注釈もなくごく当然に作中に霧散する、そんな世界を描写しています。

肉骨茶 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%AA%A8%E8%8C%B6

アマゾンのレビューでも、処女作だけでハードカバーの本を出してしまうとわ、
みたいな評や、摂食障害というよりそれを借りての自己表現、みたいな声に、
賛同出来る気がしました。私はあまりこういう小説を読みませんが、
シリン・ネザマフィも2編で一冊の本でしたし、よういつの処女作ワンちゃんも、
もう少し長かったな、と思い出しました。京大医学部のしとがJK時代に書いた、
とのことですが、もう一作書かせることが、新潮社のチカラでは出来なかったのだな、
と思います。

主人公は摂食障害ということで、私も摂食障害のしとには会ったことありますが、
「食べ吐き」と言うくらいで、他は何も知りませんので、主人公が、
吐かないタイプの摂食障害(食べないで捨てる)というところで、
想像力が及ばなくなりました。それで、主人公がほかのキャラとのかかわりで、
うれしかったとかかわいいと思ったとか、そういう独白や感想は全然なく、
爪に黒いものがいっぱい詰まっていたとか、ねっとり汗をかいていたとか、
そういう観察が大半でしたので、この主人公はそういうしとだと思いました。
あるいはそういう思春期。

純文学とかよく分かりませんが、これは心理学だと思いました。社会学でなく、
心理学。最近はどうか知りませんが、私が学問とは何か勉強の真似事をしてた頃は、
心理学は、人間はみな同じという前提から、個人例がすべてに適応し得るという学問で、
社会学はそれに対し、個人は社会全体に還元し得ない、特殊は普遍と同一視出来ない、
だから統計や参与観察等で、人間の、フラットに均した最大公約値を模索する、
というように定義されたように思います。で、この小説は、食べ吐きしない主人公の、
摂食障害と、その感じる世界を(しかもシンガポールとマレーシア)、
ニアイコールとして、読者に感じることを要求しています。無理だ、と思いました。
鳥瞰して概観梗概サマリをつけて、この子はこう感じているけれども、
世界はそうでない別の、こうかもしれない、という、幽体離脱して上から見下ろすような、
もうひとつの視座がないとツラい、と思いました。そんなのがあったらジュンブンじゃ、
ないのでしょうが、そう思った。以上です。