『まほろ駅前狂騒曲』読了

まほろ駅前狂騒曲

まほろ駅前狂騒曲

一作目読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140715/1405429882
二作目読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140901/1409552631
映画感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141028/1414498395

これまで読んだ2冊は文庫で、イラストなかったですが、本作はまだ文庫化されてなくて、
単行本でイラストがあって、下村富美という人で、知りませんでしたが、
京都精華大講師とか関係なく、耽美とかBLとか連想して*1
モーニングで別の人がミタライ漫画化した時も、こういう造型なのかと驚きましたし、
それだから、飲んで喫って寝てばかりの三十男行天の身体能力が高いのも、
なんかそういう腐女子ファンタジーだな、と思いました。
腹筋と腕立てだけで、走ったりしないのが、不思議。

どうしても映画を観た後で読んだ本なので、映画と比べてしまいます。
まほろゼルビアが小説に出てこなかったのは致し方ないとしても、
瑛太真木よう子と過緊張で出来なかったはずなのに、出来たとか、なんだ。

映画では路線バスジャックというかなり重い犯罪に仕立ててますが、
小説ではチャーターバスの行先変更です。所轄への届け出はないにしても、
同乗の足の悪い小商いの人や宗教の二世残党の人が巻き込まれる展開にはならない。
小説のほうが本来表現の自由度は高いはずですが、ここは映画のほうがスペクタクルだった。

あと、どこかで行天の保険証についての話があった気がしますが、
(全額自費ちゃうんとか)小説では一切触れてなかった。

頁54ほか、ナプキンをナフキンと書くのが著者のクセなのだな、と思いました。
同音忌避でしょうか。

頁86
 なるべく覚えているようにする、と行天は言った。たしかに、それしかないのかもしれない、と多田は思う。だれしもに訪れる死に対抗する手段は。
 多田も、決して忘れられない、忘れたくない記憶を抱え、いまも死者とつながっている。記憶をたどって死者の存在を呼び起こすのは、つらくもあるが、失ったと思っていた幸せな時間が蘇る瞬間でもある。
 死者とは二度と語りあえず、触れあえず、なにかをしてあげることもされることもない。そんな死の残酷さに抗い、死者を単なる死者にしないための、たぶんただひとつの方法。生きているものが、記憶し続けること。

ここは、池上永一のデビュー作『パガージマヌパナス』のメインテーマだったな、
と思いました。よい思想は伝播する。そういうことかと、思います。

頁366
「大事なのはさ、正気でいるってことだ。おかしいと思ったら引きずられず、期待しすぎず、常に自分の正気を疑うってことだ」
「自分の正気を?」
「そう。正しいと感じることをする。でも、正しいと感じる自分が本当に正しいのか疑う」

調子に乗って運転してる時などは必要かと思います。

あと、半愚連の人はJKの彼女がいたですが、出ません。話にならなかったのでしょう。
ずっと続くとか、ないんだな。直木賞作家の頭脳を以てしても。それが世のため以下略。

オチで、考えられないほどハードルをあげてるので、続編は事実上困難な気がします。
なんだよ探偵って。トルコ行ったりコンビーフとナマトマト齧ったりすんのか。
金森湯から歩いて湯冷めしないまほろ市街中心地を考えるのも、暫く中止です。以上