『今宵もウイスキー』 (新潮文庫)読了

今宵もウイスキー (新潮文庫)

今宵もウイスキー (新潮文庫)

アンソロジーです。編者は居酒屋日本百名山太田和彦
さすがに他とカブリゼロはありえないので、開高健は読んだことありました。

頁45 安岡章太郎「父の酒」
   はじめは人が酒を飲み
   なかばは酒が酒を飲み
   ついには酒が人を飲む
   あな怖ろしや……
 とかいう歌を、「小さい鉢の花バラは」の節をつけて、子供の私に歌ってきかせ、


戦前日本で禁酒運動があった頃*1の替え歌運動歌でしょうかね。
岡山の禁酒会館とか行ったことないですが、行けばこういうの分かるのかな。
フツーに、そういう団体にまず聞くべきかもな。
安岡章太郎のお父さんは別に酒乱でもなく、ただ戦後の混乱期、贅沢なので酒を断った折、
短気になっていたそうです。

頁64
山本周五郎「酒みずく」
 朝はたいてい七時まえに眼がさめる。すぐにシャワーを浴びて、仕事場にはいるなり、へたくそな原稿にとりかかる。原稿はずんずん進むけれども実感がない、嘘を書いているようで、軀じゅうに毒が詰まったような、不快感に包まれてしまう。私はそれをなだめるために、水割りを重ね、テープ・レコードの古典的通俗的な曲をかけるか、ベッドへもぐり込んでしまう。いっそこの瞬間に死んじまえばいいのに、などと独り呟きながら。念には及ばないだろうが、死にたいなどと云う人間ほど、いざとなると死を恐れるあまり、じたばたとみれんな醜態を曝すものだという。どんな死にかたをしようと、人間の死ということに変わりはないのだが、世のひとびとはそこに大きな関心をもち、褒貶をあげつらう。やがて自分たちも死ぬのだ、ということは忘れて。
 さて、ひるになるが食欲はまったくない。そこで客が来れば大いに歓談してグラスの数をかさね、来なければ陰気な気分で、やはり水割りのグラスを重ねるわけである。どうにもやりきれないときには、しきりに電話をかけて友人を呼ぶのだが、みな仕事を持っているのでなかなか「うん」とは云わない。
「人間はいつ死ぬかわかりゃしないのに」と私は独りで呟く、「そんなにいそがしがってなんの得があるんだろう、みんなあんまり利巧じゃないな」
 仕事に関係のある友人には会わないことにしている。演劇、映画、放送局の諸氏にも原則として会わない。これらの諸氏は私がどう抵抗しようと、あいそよく笑うだけで、やりたいと思いきめたものは必ずやってしまうのである。これでは会って酒を飲み、大いに語ることはお互いの時間つぶしにすぎないし、こちらは一杯くわされたような気分になるだけだからだ。自然、友人は仕事関係の若い人に限られるし、かれらは仕事のほうが面白いから、私のような下り坂になった作者に会うのは気ぶっせいなのだろう。そこで私はまたグラスをかさねるか、街へでかけるかするのである。

山周こんなにヤバかったとは知りませんでした。特に後半の(忠告してくれそうな)友人を、
自分からも切ってるでしょうし向こうも疎遠になりつつあるさまを、全然関係ない理由で、
すらすら書いてはいるけれども、読んでまったくその日本語が理解出来ない。
うわべだけ耳障りよく、するーっと通り過ぎてゆく、文法的には間違ってない日本語だけど、
ハテ何を言ってたんだろうというと、苦しそうな印象しか残らない。

頁126 沢木耕太郎「トウモロコシ畑からの贈物」
 私にとっての酒とは、一時期のパチンコとよく似たところがあるのかもしれない。パチンコもしばらくやってないとなんとなく忘れているが、何かのきっかけでやりはじめると、当分のあいだはパチンコ屋の前を平静な気持で通り過ぎるわけにいかなくなる、というところがあった。どうやら、私の酒はこのパチンコと同じで、一晩酒場で激しく吞むと、あとはもう連日連夜という派手なことにもなるが、何日か間隔があくとそのまま足が遠のき、健全にして極めて地味な夜を過ごすということになる。

山型ナントk。
以下後報
【後報】

頁147 椎名誠シングルモルト怪快編」
 スペイ川は日本の川のように護岸工事などまったくなされていないので、どこまで行っても両岸は常に草の河原や木々の繁る緑が続いている。ゴミなどどこにもない。あまりにも美しすぎるのでゴミを捨てるなどというのはもの凄い犯罪気分になりそうだ。行政もしっかりしていて本流は勿論、あらゆる支流にいたるまでその流れの五〇〇メートル以内にいかなる畑も作ってはいけない。化学肥料を使った畑から川に土砂を流さないという大人の行政がなされているのだ。流れ込んでいるのはピートぐらい。当然川の水はそのまま飲んでもうまい。
 スペイ川は鱒のフライフィッシングでも有名な川だが、釣り人が胸のあたりにコップをぶら下げ、流れてくる川の水をうまそうに飲んだりしている。別のポケットにウイスキーの小瓶があってそれで水割りにするという。

この川、サントリー二代目社長サジさんの専務時代のベストセラーにも出てる川で、
その時代は過去になりにけり、になってない凄みを感じました。

洋酒天国 世界の酒の探訪記』
読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150317/1426589798

もう吞めなくなってる人にも絶大な人気を誇ってる気がする、伊集院静は、
今回採られた短編が入ってる作品集を読もうと思いました。

頁193、宮本輝「吹雪」は、富山へ向かう夜行列車に乗りあわせた商売人が、
作者の父が伊予出身であることを言葉から見抜くのがスゴいと思いました。
のー先生のマンガ*2 *3読んでも、伊丹十三の一六タルトの動画見ても、
中国地方との違い分かりませんもん。もてこいもてこーい。

分からんゆいましたけど、上のみとったら、やっぱ違うわ、ぼっちゃんと仁義なき戦いは。

頁251 吉村昭「酒の楽しみ、そして、しくじり」
 外で、今まで酒を汲み合ったことのない人と飲む場合もあるが、その人が酒癖の悪いこともある。が、私は今まで酒席で人にからまれたことがない。長年酒とつきあってきたおかげで、酒を飲んでいる途中、その人が酒癖の悪い場合はすぐに気づき、匆々に飲むのをやめて退散する。相手の酒が乱れる前に別れるのだから、からまれることもないのである。杯の持ち方などの急な変化、些細な言葉づかいなどで酒癖の悪いのを感じとるのだが、後にその人が酒乱であることを耳にし、やはりそうか、と思う。このような人は一種の病気で、一生癒らない。乱れれば後で後悔するのだし、乱れる前に別れた方がその人のためにもいい。酒は天からさずけられたこの上ない恵みで、楽しい気分で飲まなければ罰があたる。酒にしくじりはつきものかも知れないが、その害は最小限にとどめなければならない。

で、各著者の紹介文ですが、キホン肩書がないです。成田一*4 *5さんだけある。
各人賞を獲った作品が書かれ、そうでない人は主な著書がある。
竹鶴政孝は業績が記されている。編者自身のエッセーがここに混ざっているということが、
けっこうやっぱり心臓がないと世の中のしあがれないんだな、と思いました。以上
(同日)