『汽車旅の酒』 (中公文庫)読了

汽車旅の酒 (中公文庫)

汽車旅の酒 (中公文庫)

ケニチ先生のいつものとおりのアンソロジー。既読多数。
巻末おまけエッセイ:観世栄夫 解説:長谷川郁夫(ケニチ評伝の作者)

「楽しめる」を、「楽める」と書いたりする独特の文法が、
新字新かなづかいでも、まだ、残されている文章です。

頁80
併しいつからのことなのか、米を節約する為に政府の命令で醸造中の酒の原液に何パーセントかのアルコールをぶち込むことになってからは、酒を作る技術はこのアルコールの匂いを消すのに集中されることになったようで、上等な酒であればある程、最初に口に含んだ時の味は真水に近いものなのだと、先ずそう考えて間違いなさそうである。喉を焼かれる感じがするから辛口で、甘いから甘口なのだという区別はもう存在しない。その代わりに、何杯か飲んでいるうちに、昔飲んだ酒の味の記憶が微かに戻って来て、それが現在飲んでいる酒の味になるから不思議であり、そして暫くすると、要するに昔とは基準が根本的に変わったのだということに気付く。

頁83
米穀統制令が実施された昭和十三年に、それまでの方法で各種の米を自由に調合して出来た最後の酒がまだ取ってあったのを飲まされた。酒の匂いというようなものはもうなくなって、涸れに涸れて酒の観念からは遠くなった、何か、豊穣とでも形容する他ないものである。これが出来た時は、こういう味はしなかった筈である。

酒文ライブラリーでしたか、日本酒は嘗て、経年保存されえなかったので、
味の変化が比較されえず、かつての日本酒がどういった味で、現在どう変わったかが、
的確に表現されえない欠落を持っている、的な文章を、補完した、箇所であります。

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その上、お酒も、灘の菊正と数種の地酒を、ご主人が、ご自分でブレンドされた、あたりの柔らかなものだった。静かなお庭を見ながらのくつろいだひとときだった。

ブレンドという手法も、酒文ライブラリーによると、昔、江戸時代からあったようです。
しかし、水増し疑惑への潔白の表わしの観点などから、消えていったように思います。

そういう昔のお酒の飲み方が上品に読めるのも、よかった点です。
ケニチ先生が旅のスケジュールをいささか神経質なほど綿密に立てられていたこと、
平日は執筆にいそしみ、休日を絶えず飲酒にあてていたこと、などおまけエッセイにあり、
相変わらずのケニチ節の中に、きらりと弁明が光ったと思います。以上