『凹凸の道 *対話による自伝』読了

*1
装幀は著者。

酔っぱらい読本に載った
作者の略歴見て、
嶺南大学で学んだのかと呆れ、
その辺の随筆読もうと思い、
借りた本です。
自分で自史書けないので、
人生の各時期について
おのおの知己と対談し、
それをまとめた本。
嶺南大学*2のところは、
引き出し手:譚覚真。
譚璐美*3のパパかな、
と思いましたが、分かりません。
個人に関しては、検索は、
それほど方便ではない。
そのほうがよい。

頁27
草野 (略)新学期が九月から始まるんだが、そこで新入生歓迎会をやるんだよ。夜やるんだが、講堂の前に芝生があって、その両側にアスファルトの道がある。その道に沿って街路樹のようにゴムの木とか、榕樹とか、椰子とかが植えてある。それに針金を張って豆電球をぶら下げてね。その下で新入生の歓迎会をやるんだよ。みんな一人一人立って、自分は雲南省から来ただれだれ、福建から来ただれ、広東のだれ、というふうに自己紹介をやる。僕のところへ順番が来たので、僕は日本人で草野心平です、と言った。言ったつもりだったのだが、アクセントが違っていたんだね。草野心病、という発音になってしまったらしい。みんな笑い出してね。恋わずらいとか心臓病とかいうような意味だから、これは笑うのが当たり前だったが……。
譚 捕捉しますと、私は粗末な人間です、そして心に病を持っている、ということになるんですな。

アクセントだけでなく、有気音が無気音になってしまったのではないかと。

頁32
廖承志の姉さんは、ほぼ僕と同じくらいの年だったろう。東京生れで、東京の英和女学校を出て、それから嶺南大学に来た。だから東京弁を使う。廖承志も江戸っ子弁だ。ところが僕は東北で、今でも「い」と「え」をまちがう。彼らはちゃきちゃきの東京弁だった。先生の僕よりも日本語がうまいんだな。

五四運動やら排日やらの中でのはたち前後の記録。
にんげんがはたちくらいの時の記録というのは、なべて読んでいて眩しいものですね。
帰国して遊民というか詩人になりつつあり、それで食えないので、焼き鳥屋をやって、頁89、
一本二銭で、材料費を払うと、もうけは一銭ぐらいだ。百本売っても一円にしかならないよ。
話と時間が飛びますが、汪兆銘南京維新政府の中国で働き出す。
室伏クララ*4名取洋之助*5、林柏生*6
頁118に南京維新政府と日本の相克として、蒙古承認の話が出てきますが、
内蒙古でなんかやってたんですかね。アウターモンゴリア、外蒙古は、
ソ連の傀儡政権として、日本は戦後も永く承認しなかったですから…
中華民国外蒙古を自国の領土としていたのはいわずもがな。
上に個人の検索について言いましたが、検索に関して、逆に舌を巻いたのが、
南京神社の検索結果。一発で、南京日本人会と中文版ウィキがワンツーフィニッシュ。

日本神社旧址 维基百科,自由的百科全书
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%97%A7%E5%9D%80
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/Former_Shinto_Shrine_of_Nanjing_in_Wutaishan_2012-09.JPG/260px-Former_Shinto_Shrine_of_Nanjing_in_Wutaishan_2012-09.JPGhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Shinto_shrine_in_Nanjing%2C_1946.jpg/220px-Shinto_shrine_in_Nanjing%2C_1946.jpg










江苏省文物保护单位                  1946年,中国抗战阵亡将士纪念堂

頁125
草野 居留民団長の音頭取りで、五台山の上に勤労奉仕で建てるというんだな。五台山というところは中山陵を除けばいちばん高い景勝の地で、東京でいえば国会議事堂といってもいいような場所だった。そこに日本の英霊をまつる南京神社を建てるというんだよ。これは、仮に中国が日本を占領しているような状態で、中国人が国会議事堂の辺りに中国神社を建てるということと同じことだろう。当時、日本の政府、あるいは出先機関は少なくとも全面和平を看板にしていたし、林柏生公館から目と鼻の先に、そんな南京神社というのを建てるなんて、僕としてはやりきれなかった。それで、誰か有力者に会ってなんとかしようと思って、一人で、影佐少将のところへ行って話をした。そしたら影佐少将は、僕と同じ意見なんだな。これは話の分かる人だなと思った。意見としては同じだが、すでにいろいろと事が運んでいる、途中でやめるということは出来ないだろう、と言う。それから日高六郎大使に会って話をしたが、日高さんも同じ意見で、僕の言うことは納得してくれた。日高さんは松方三郎の前の日本山岳会会長でよく分かる人だった。しかし、結局は出来上がってしまったんだ。僕としては非常に残念だった。なんとかしたかったが、僕の力ではどうにもしようがなかった。僕の子供なんかも勤労動員で建設に駆り出されたものな。

草野心平が大陸新報に書いた『方々にゐる』という未完の小説を、私も読んでみたいです。
それを元にした論文しかヒットしませんが、何かに収められてるのかなあ。

頁123や、頁133に、田村俊子(佐藤俊子)*7のエピソードがあります。
寂聴になる前の晴美がこの回の対話者、会田綱雄*8のところに取材に来たが、
会田もじぶんじしんで俊子のことを書きたい想いがあり、
エピソードの十分の一も話せなかった(話さなかった)とあります。
結局、そちらは書かれたのか…

頁137
草野 黄鳥というのは学名はチョウセンウグイスだが、中国では黄鳥というんだ。渡り鳥で、春四月ごろになると南から渡ってくる。ひよどりくらいの大きさで、きれいな声で鳴くんだ。それが南京の鷄鳴寺辺りの空を飛ぶ。鶏鳴寺の脇に城壁があって、その上に上がると玄武湖や、柴金山がよく見えたよ。環境は実にのんびりした田園都市だったね。戦後になるが、中国側の汪精衛を筆頭とした全面和平論者、あるいは東亜連盟というような考えを持っていた人たちは、理想として最後までそれを持っていた。だから日本が戦争に負けると、彼らは実にいさぎよく死んでいったよ。文部大臣は自殺したし、林柏生は雨花台で銃殺されたが、みんな自分の考えはまちがいではないと信じていた。汪精衛の一統は、全面和平は強烈な理想だったが、日本の為政者の主流は現実処理のポリシーだと考えていた。ポリシーを理想みたいにしてやっていた東条とか日本の為政者や軍人は、戦後になって監獄に入ってから、しょんぼりして惨めに見えたね。中国のそういう人たちは理想に殉ずるという精神があったから、そのシンは強かった。
会田 歴史的には傀儡政権ということにはなったが、そういう理想と同時に、現実的に、民衆のためになっているという実感を彼らは持っていたと思う。
草野 汪精衛が蘇州で演説をやったときには、聞いている者はだいたい無学文盲の者が多いのだが、感動して泣いている者がずいぶんいた。それはつまり、早く全面和平をもたらしたいということと、日本に占領された地区の一般庶民の生活の幸福というのを本当に願ってやっていたからだよ。
会田 それは最善の策ではない。が、次善の策ではあった。つまり、後には傀儡政権と言われたが、傀儡政権によって保たれている平和というものはあった。にせものではない平和というものは、庶民の中にあった。むろん完全なものとは言えないとしても……。だから、傀儡政権という言葉だけで南京政府を否定し去ることはとても出来ない。我々は現実にそこで生きてきた。

頁138
草野 日本の総軍なんかの上級将校、例えば今井武夫とか梅機関の影佐禎昭など、汪精衛その他の純粋な理想主義に影響されていた面が多分にある。そのため影佐は東条に左遷された。あっ、そうだ、そういう考えでゆかなければいけないんだ、ということを逆に彼らは教わったし、日常生活でも汪さんの影響を受けたということも言えると思う。水戸出身のある将校は、実を言えばおれは理想主義などには反対だったが汪精衛などに接している間に、だんだんその理想主義に影響されてやっている、ということを率直に言ってたことがあったよ。そういう影響力があったことは事実だし、その影響力というものは結局、汪精衛と彼を盛り立てていた連中のシンセリティだろう。だから性格としてやっていたのではなく理想だったんだ。日本の場合は現実的な政策そのものと言えると思うんだが。

頁140によると、対談時点で、林柏生の奥さんは、棺おけ屋を営んでいて、
生活は案外楽とのことです。柳州だか桂林だかが棺材の名産地でしたか。
で、戦後編を後報で書きます。とりいそぎ、どっとはらい
【後報】

頁169
それも一つには、心平はゾルゲ事件にひっかかって、恐らく帰って来られないだろうといううわさが流れていたと言うんだなあ。僕は、尾崎秀実は知らなかったが、犬養なんかが尾崎を知っていた。犬養なんかとの関係で、ちょっと帰って来られないのではないかと半ばあきらめていたと言うんだよ。そこへ突然帰って行ったもんで、びっくりしてしまったわけだ。

西木正明がソ連の捕虜になって死んだ近衛文麿の長男を描いた、
『夢顔さんによろしく』*9を想い出しました。
頁179、米だけでなく、鮮魚統制もあったとは知りませんでした。
ほんとに社会主義経済ですね、戦後日本。下記は父親の入院時のはなし。

頁188
橋本 その時一緒に付き添って行ったんだが、医者が、「二足すの二はいくつですか」なんて変な質問をするんですよ。「四だね」なんて答えている。そういう話をそばで聞きながら、答えは正確だな、なんて思っていたんだが、後で聞いてみると、大の大人に対してそんな質問をしているのに、まじめに四だなんて答えているようではだめなんだということなんだな。それで結局、テストに合格して入院と決まってしまったんだ。

←口絵:昭和27年居酒屋火の車

頁190
草野 酒は天、耳、火の車、鬼。泉がハイボール、麦はビール。天が特級で、耳は二級酒だったな。耳というのは中国語でアールという発音で、一、二の二の発音と同じで、二番めということだ。それで二級酒。

このあと青山二郎とのけんかの話があって、

頁192
橋本 マッチは、創元社が寄付してくれた。表に「火の車」と書いてあって、裏に創元社。それで「創元社、裏を返せば火の車」なんて言っていたね。そのうちに、ほんとに創元社がつぶれてしまった。それで「火の車」にうっかり広告出すなよなんて話になって、なるほどと思ったり。筑摩のおやじさんの古田さんもそれに合わせて、「次は筑摩か角川か」なんて言っていたね。

この古田さんと言う人の飲み方もひどい。創元社をつぶしたのは、
青山二郎のような気もします。けんかの場面で、
頁193、山本心平さんがカウンターを飛び越す技術はすごかったね。速かった。特技だった。
こういう人いますよね。これで相手の度肝を抜いて、勝てる。
相手が怒る前に爆発させるテクとのコンボだし。
心平の金遣い、その義理の母(芸者あがりでしたか)の払わないテクニック、
義理の母の義理の妹が心平の嫁と言う、もう何が破綻してるんだかさっぱりな、
そのヨメの金遣いのおかしさも縷々書かれてますが、どう引用していいのか不文。
見ず知らずの居候が残していった「高橋」蔵書印を、「草野」の実印として、
登録に行ったら区役所の人も読めなくてそれで通った、という頁206はよい話。
同じページの紙幣を焼く話も好き。今はとても出来ませんが、
私も中国出国時に、人民元焼いたことがあります。10元札一枚を、クンジュラブ峠で。
そうした怒涛の時代が終わって、老境に入る。

頁232
草野 近ごろまた酒が強くなってしまったね。三杯(三合)が定量なんだが、家にいると、この二、三日、六合から七合ぐらい飲む。なぜかというと、夜中に目が覚めて眠れないということもある。僕は夜は全然、仕事はしない。今テレビで相撲をやっているから、相撲の時間から飲み始める。相撲が終わって、眠って、目が覚める。そうすると、なんか自分の仕事みたいなことも考える。そうするとまた眠れなくなる。で、そっと隠れて持ってくるわけだ。ワンカップで、六合から七合だね。これはおかしいんだね。それで、こんなことをやっていたのではだめだと思っている。思ってはいるのだが、しかし二日酔いにはならない。こうして酒を飲みながら話しているが、夜中の午前二時とか、三時とかに独りで飲んでいる酒は、実にうまいね。ごちそうになっている酒よりも、はるかにうまい。

あーあ。

頁243
宗 僕も心平さんの怒りの現場に何回か居合わせたことがあるが、心平さんは言葉について怒る。例えば、バー「学校」で飲んでいたら、僕の連れて行った友達が下らんことを言ったわけだ。ここで言うのもどうかと思うようなつまらないことだが、徳利を「とくり」と言えばいいものを「どくり」と言った。心平さんはそれを聞いていて、三回めに怒りだした。「君、徳利は『とくり』と言いなさい。『どくり』と言ってだれが喜ぶ。言った人は喜ばない、聞いた人も喜ばない、徳利自身も喜ばない。それをどうして君は言うのだ」というわけだ。眉もつり上がってくる。

あーあ。

下記の本も読もうと思います。以上

火の車板前帖 (ちくま文庫)

火の車板前帖 (ちくま文庫)

*1:

*2:福井県の大学じゃないです

*3:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%9A%E3%83%AD%E7%BE%8E

*4:ウィキペディア項目なし

*5:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%96%E6%B4%8B%E4%B9%8B%E5%8A%A9

*6:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E6%9F%8F%E7%94%9F

*7:関連書籍読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150505/1430836397 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150501/1430484696 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150501/1430483722 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150423/1429802017

*8:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E7%B6%B1%E9%9B%84

*9:

夢顔さんによろしく

夢顔さんによろしく