『ワインズバーグ・オハイオ』 (講談社文芸文庫)読了

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

Winesburg, Ohio: By Sherwood Anderson : Illustrated (English Edition)

Winesburg, Ohio: By Sherwood Anderson : Illustrated (English Edition)

Winesburg, Ohio (German Edition)

Winesburg, Ohio (German Edition)

佐藤泰志の『海炭市叙景*1を借りた時、
構造などはこの小説を参考にしているとあったので借りてみました。
アマゾンレビューを見ると、ブラッドベリ火星年代記もこれに霊感を得ていたとか、
いましろたかしが比されていたりとか、要するに皆の心に余韻を残す、
どこにでもある小都市を舞台に、ここでないどこかを夢みる連作小説、です。
1919年発表。

オハイオというと、中国で会った、日本で英語教師してたオハイオ女性が、
なぜ日本人は朝の挨拶で自分の出身州名をいうのか、と言っており、
ずっと、しょうむないリップサービスと思ってましたが、
いま発音を検索して納得しました。14の吹込みが、ひとりのオージー以外、
ぜんぶオハヨー。
(正確には一人のイラン人と一人のフランス人も違いますが、非英語なので)

Ohio の発音の仕方 Forvo
http://ja.forvo.com/word/ohio/#en

その女性が脇毛を処理しないほうが、私には不思議でしたが、それは別の話。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/Ohio_in_United_States.svg/420px-Ohio_in_United_States.svg.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AA%E5%B7%9E
本書ではオハイオ州アメリカ中西部とあり、東部の学校に行く云々の記述があり、
どうしてこの位置で中西部になるのかさっぱり分かりませんでした。
チベットウイグルを頭に入れないで中国の地図見て、青海省甘粛省が、
「大西北」ってなんでやねん、真ん中やんけと思うようなものですかね。

Winesburg, ウィンスブルクというからには、ドイツ系が作った街なんかな、
と思いましたが、それっぽい名前は、アリス・ヒンドマンとか、それくらい。
訳者(後者)の解説でも、頁329、
近頃では多元文化主義マルチ・カルチュラリズムなどという用語も使われはじめたが、
アンダソンのころはまだ古い原理原則が生きていた時代である。

とあるとおり、
まだ移民局が、北欧とかギリシャとか、英語っぽくない名前の移民申請を、
どんどん英語っぽい名前に修正して受理してた時代なので、
それで分からないのかな、と思いました。少なくとも、街の中ではドイツ語主体の、
カート・ヴォネガットスヌーピーのシュルツの居たような街ではない。英語の街。
ユダヤ人も、行商がひとり出てくるだけです。人口数千人だとそんなもんですか。
黒人は、ほかの町に家出して盲流生活した若者の回想に出てくるだけです。
寝るとこがなくて納屋の藁束に潜り込んだら、酔った黒人も泊まりに来た、みたいな。

貨物列車に飛び乗って移動するとかは、ボブディランとかも歌うのかな、
アメリカの原風景が生きている場面として読みましたが、
モータリゼーション前の、馬車の時代で、で、デートの時に馬車を借りて、
彼氏が御者台に座る場面などは、そんなものかな、と読みました。
夜になるとみんなふらふら屋外に出て散歩して、商店などでおしゃべりします。
まだガス灯やランプの時代だったというのもあると思いますが、
(頁318、夏の宵に手に松明を持ち、急ぎ足に通りを歩く、
 ワインズバーグのガス灯点灯係バッチ・ウィーラー。

Gas lighting Decline Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Gas_lighting#Decline

テレビはおろか、ラジオもまだの時代だったのが理由として大きいと思います。

ラジオ 世界 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA#.E4.B8.96.E7.95.8C

私の曽祖父のはたちの年の、明治四十二年の日記と、あまり変わらないです。
いつでももやもや病があり、若さと酒と労働がある。

曽祖父の日記
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150119/1421652787

でも私の祖父は性について書きませんでしたし(若衆宿はありました)、
全米でも禁酒法前の発表時、この本は猥褻本扱いされたそうです。
妄想と寸止めばっかで、たまに一線越えますが、常識の範囲内なのに。
まあ最初の話は、少年愛とのデマで、親連中からリンチに遭う話で、
鹿児島だとどうかな、と思いました。

頁30「紙の玉」、この男は、感きわまった瞬間に、実際に噛みついてきて、そのために何日も歯がたが消えなかった。
噛む女性はけっこう聞きますが、男も噛むんですね。
頁71「神への思い」第一部、この点、近年このアメリカに現われたおびただしい数の強者と同じように、ジェシィもいわば中途半端な強者でしかなかった。彼は他人を支配できても、自分を支配することができなかった。
私もこういう名言集めてbotやろうかな。その技術がない。

頁108「神への思い」第三部 屈服
ルイーズが頬を肩にもたれさせかけてきたので、作男はますます仰天してしまった。彼女は、あの暗い場所でメアリィといっしょだった青年のように、相手が自分を抱いてキスしてくれればよいのにと、漠然と期待していた。だが、田舎青年は気味わるがっただけだった。彼はいきなり馬に一鞭くれて、口笛を吹きはじめた。「ひどい道だねえ」彼は大声でいった。ルイーズはかっとなって、手をのばすと彼の頭から帽子をひったくり、道に投げすててしまった。男があわてて馬車からとびおり、それを拾いにいったすきに、彼女は馬車を走らせた。おきざりにされた男は、そのあと農場まで歩いて帰った。

気色悪い時は気色悪いものです。くさいとか、油ギッシュとか、気のせいとか。

頁136「冒険」
(略)彼女は孤独な人間がよくやる、いろいろな工夫をするようになった。夜、二階の自分の部屋にあがると、彼女は床にひざまずいて祈り、祈りながら、自分の愛人に向って言いたいことを、いろいろと小声でつぶやいた。また、生命のない物に愛着をおぼえるようになり、自分のものだと思うあまりに、部屋の家具に他人がさわったりするのが耐えられないほど嫌だった。目的があってはじめた貯金の習慣は、(中略)彼女は貯金通帳を取り出してひろげ、利子だけで自分と自分の未来の夫が食べてゆけるだけの金がいつたまるだろうかと、実現不可能な夢をえがいて何時間も時をすごすのだった。

実現不可能。せつね。

頁139「冒険」
「わたしは老けて、変な人間になりつつあるんだわ。(中略)」ちょっと暗さのある笑いをうかべながら、そう自分に言い聞かせ、それからは急に思い立ったように、しきりにいろんな人間とつきあおうとしはじめた。毎週木曜日の夜、店が終ってから、彼女は教会の地下室で行われる祈禱の集いに参加し、日曜日の夜は、エプワース・リーグという団体の会合に出席した。

頁140「冒険」
薬局の店員とならんで、彼女は黙ったまま歩いた。だが、暗い場所をゆっくりと歩いているときなど、ふと手をのばして、男の上着のひだにそっとさわったりした。

頁141「冒険」
(略)何度も小声で繰返した。「どうして何も起ってくれないの? どうしてわたしひとりが、ここに残されているの?」

これと、この次の、「品のよさ」はすばらしい佳品でした。『海炭市叙景』は、
"W.O"を念頭に置いてしまったとしたら、それ自体が重荷だったと思います。
性を貧困に置き換えたとしても、この叫びのテンションと比較されるのは、辛い。

プロセッサやワイファイのような性能曲線もいいのですが、

このディスクみたいに上限使われると、困っちゃいます。

全然関係ないですが、わざわざ8ギガもメモリ積んだのに、
一向に半分も使わないのは、なんでですかね。

頁210「孤独」
連中にはべつに目新しいところはなかったが、ただみんな例のしゃべるだけの芸術家だった。皆さん先刻ご承知のしゃべるだけの芸術家だ。こういう連中は有史以来いつも部屋につどってはしゃべってきた。

耳が痛い。

頁213「孤独」
 その温厚な、青い眼をしたオハイオ出身の青年は、あらゆる子供が自己中心的であるのと同じ意味で、まったくの自己中心主義者だった。友だちをほしがる子供なんかいやしないが、それと同じまったく単純な理由から、彼も友だちをもちたいとは思わなかった。彼が何よりもほしがっていたのは、自分と同じ心情をもった連中であり、自分が思いきり話しかけることができ、時間で傭っておいて言いたいことをいったり、叱りつけたりできる人間、つまりは自分の好みにあった召使、だったのだ。そういう連中といっしょにいれば、彼は常に自信にみち、大胆にもなれた。たしかに、相手もしゃべりたければしゃべってもよし、自分自身の意見を開陳することがあっても差支えないのだが、いつの場合でも、いちばん最後にいちばん立派なことをいうのは彼でなければいけなかった。いわば自分の頭脳から生れたさまざまな人物とのつきあいに専念する作家のような人間であり、ニューヨーク市のワシントン・スクェアに面した週六ドルの部屋におさまる、青い眼をしたちゃちな王様だったのだ。

すばらしいですね。

私もタンディと名前をつけたい、娘に。

共進会という言葉がよく分からず、伊勢講みたいなもんかな、
と思ったのですが、検索すると、品評会というか、まあ、
酪農畜産やってる人だと注釈不要の言葉のようでした。

第14回全日本ホルスタイン共進会北海道大会
http://www.holsteingp.jp/
共進会とは コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E9%80%B2%E4%BC%9A-52732
共進会の英語・英訳 Weblio
http://ejje.weblio.jp/content/%E5%85%B1%E9%80%B2%E4%BC%9A

あと、講談社文芸文庫版巻末は、高い値段で張り切ったのか、
年譜に作家と関係ない一般事象まで書き過ぎで、
1912年、中華民国成立と同年にタイタニック号沈没とか、明らかにどうでもいいです。
へ〜おんなじ年なんだ、と、一瞬思いましたが、やはりどうでもいい。以上