『藝文おりおり草』 (東洋文庫)読了

藝文おりおり草 (東洋文庫)

藝文おりおり草 (東洋文庫)

もともとは春秋社から出た本。なぜ平凡社東洋文庫に入ることが出来たんでしょう。
こはちょっと、分からないです。

「中国演劇の諸問題」
「芸」だけ「藝」と旧字で書いて、しかし、
「礼」は「禮」と書かないなど、なんだかよく分かりません。

魯迅の文章について」
「朝花夕拾」を「朝華夕拾」と書いてるのはなんでか分かりませんでした。
また、魯迅の文章が、抒情散文、華麗文体ユウフュイズムとかけ離れている、
との主題を実証するため、買不起みたいな三語の否定肯定とか、婉曲な接語が、
ロクに使われてないことを調べるところもよかったです。

euphemismの意味 - 英和辞典 Weblio辞書
http://ejje.weblio.jp/content/euphemism

魯迅故宅記」
上海の家。私も行ったことあると思うのですが、紹興でなく上海で、けど、
よく覚えてません。奈良で作られた鰹節かきが展示してあるとのことで、
そんなの見た覚えないので、作者の訪問は戦中の話なのかと思いました。
あと、袋小路のことを、北京流にいえばいわゆる死胡同と言っていて、
へえと思いました。

「北京時代の洪北江」

頁9
 北京の町を歩いているとき、なによりもわたくしに親しく感じられることは、およそこの町のもっている表情が、五十年以前も、あるいは百年以前も、やはり今日のそれと、それほどはげしい変りかたをしていなかったろうという心安らかさが、ごく自然に胸に流れこんでくれることである。なるほどその昔は、なだらかな流れに、柳のかげが樹深く美しいいろを溶かしこんでいたところも、いまでは索漠たる暗渠となってしまったような、そういう変遷は随所にみられるけれども、そのためにこの町の典雅な精神が、かたなしになってしまったという、そんな悲痛な気もちを少しももつことなく、あらゆる変遷をのりこえて、まず北京の表情を、嘉慶年間のそれであると考えることも、乾隆年間のそれであると考えることも、きわめて自由なことが、とりわけこの町への親しさを深くする。

21世紀の北京を私は知りませんが、戦中であっても、さすがにこれは言い過ぎじゃいか、
と思いましたら、

頁254あとがき
これも先年北京にいってみて、ずいぶんはげしい変化の跡に驚いたぼくであった。たとえば陶然亭附近や天壇北辺一帯の湿地帯が、いまやすがすがしい健康地帯になっているのなど、とても思いもよらなかったことのひとつであった。したがってここに記したありさまの何分の一かはすでに失われた北京であるといってよい。
(中略)
 この恥の上塗りみたいな、とるに足らない本のために、青木正児先生が、特に序をお寄せくださったことは、かえすがえすも感激してあまりあることであった。

以下後報
【後報】

頁82「中国演劇の諸問題」
遠い旅に出た人が疲れて帰ったとき、紙銭を焼いて魂を招くという習わしが、今でも山西の僻地には残っているという。病人のために近所の人々が黄昏を期して城壁際の薄暗い空地に出かけていって、魂を招く呪術を行っているありさまは、わたくしもこれを実際に見た経験がある。

これは、池上永一の小説で読んだ、所謂沖縄の、マブイを抜かれた状態じゃないか、
と思いました。生きているんだが、魂魄が抜けている。

風車祭 上 (角川文庫)

風車祭 上 (角川文庫)

風車祭 下 (角川文庫)

風車祭 下 (角川文庫)

頁181「中国の幽霊」
 魂という字の、扁の“云”は雲か烟みたいなもの形で、同時にこの魂という字の音韻を現しています。また魄という字の扁の“白”は玉の形で、同時にこの魄という字の音韻を現しています。鬼はすべてのスピリットです。つまり“コン”は烟みたいに軽いもの、“ハク”はまるくて重みのあるものなのです。そこでこの“コン”のほうは、ちょいちょい人間の体からぬけでることがあります。

どうでもいいですが、「魄」は、ぱく、と半濁音で打たないと変換されませんIME
“ハク”は死後液化して土中に沁み込み、九層に分かれている地面の第九層、
すなわち九土の底に達し、そこの大きな泉を黄色く澱ませます。
なのでその泉は黄泉と呼ばれる、と文章は続いています。九土ってナニ?
と検索しましたが、何も引っかかりませんでした。百度百科で、九州の土地、
としてますが、その意味ではない。
で、人体に宿っている玉状の“ハク”は七粒あって、それが死後全部零れ落ちず、
ひとつぶふたつぶ地表に残った時、それが中国のゆうれい、「鬼」になるのです。

頁182「中国の幽霊」
 日本の幽霊出現の原理が、いわゆる怨めしやという一言にこもっているとすれば、これはあくまで情緒的であり、心理的でありますが、中国のほうの“ハク”残存による出現原理は、構造的であり物理的であります。

問題は、このロジックが、なんら実証を経たものでない架空の空論で、
まったくの似非科学であるという点です。似非科学でない傍証を示せ、
みたいな悪魔の証明で延々科挙体制下に於いて罷り通ってきた…
はどうでもよくて、なぜこの部分が面白かったかというと、
中華料理の前菜の雲白肉、ゆでぶたのソースかけが、簡体字で書くと“云白肉”で、
“鬼”を取り去った魂魄とニク、ボディという取り合わせなんだな、と気づいたから。
頁201「「金瓶梅」おぼえ書金蓮はもともと餑ポオ々売りの武大の妻
ここも、最初ポーポーって、沖縄のお菓子やん!と思いましたが、
検索すると、だいぶ違いました。

香饽饽 百度百科
http://b.hiphotos.baidu.com/baike/s%3D220/sign=d0f54d4fc9177f3e1434fb0f40ce3bb9/43a7d933c895d143ac763bda73f082025baf07c2.jpg
http://baike.baidu.com/view/1091318.htm
棗發饅頭(棗餑餑)大台灣旅游網
http://034567005.tw.tranews.com/images/Info/Y009986000001_3_1.jpg
http://034567005.tw.tranews.com/
ポーポーとチンビン 沖縄調理師専門学校
http://www.okicho.ac.jp/column/data/thumbnail/21-1.jpg
http://www.okicho.ac.jp/column/diary.cgi?no=21

この画像の何枚が数ヶ月後もリンクされてることやら。

頁167「遊仙窟訓読の伝説について」民話を揚棄して文学に昂揚させた
揚棄」の意味が分からず検索したら、いきなりアウフヘーベンと出て、
びっくりしました。そんな言葉さらっと二文字に漢訳すな。

頁205「「金瓶梅」おぼえ書」金瓶梅はやや中産階級の人物を拉しきたり
これ、全然「拉」をどう読んでいいか分かりませんでした。
「ら」なのか「ひ」なのか…

頁203同
中国の傀儡師は、箱のなかから次から次へとたくさんの人形をとり出して、そこに喜怒哀楽のものがたりを展開するが、やがて手際よく次から次へと人形をもとの箱へ入れてしまうと、さっさとどこかへいってしまう。その傀儡師はむずかしい冷たい顔つきをして、それはまるで観衆の喜怒哀楽とは没交渉のようなふうにみえている。金瓶梅という一つのフィクションの作者はこうした中国の傀儡師とよく似た風貌をしている人間にちがいない。

「中国文学とわたくし」
慶應予科で英文学の戸川秋骨に学んだのち、中文に進んだ半生を振り返る。

戸川秋骨 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E7%A7%8B%E9%AA%A8

もともと幼少期から素読、平仄を仕込まれてきたので、当然の帰結といえるが、
大正モダンの新劇に狂った十代と中文とで、どのように折り合いをつけたかというと、

頁214
いつの間にかいくぶん身についてきた読書力というものが、香奩集や、板橋雑記や、聊斎志異や子不語のような、およそいままで読習させられてきた古典からみれば、外道も外道、大外道ともいうべきものに親しみをもつようにしむけはじめてみると、これが血の湧く青年にとって、そんなに憂鬱なものでないことが、はっきりと感じられてきた。まして鷗外は魚玄機を書き、芥川は杜子春を書いた。そして世間ではアナトール・フランスのものが大流行ときている。しかもこれらは十分に楽しめて、かつおもしろい。それならば漢文を読んでいても肩身の狭いものではないぞという一種の確信が、なんとも名状しがたい安心をあたえてくれたのであった。

《香奩集》(こうれんしゅう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E9%A6%99%E5%A5%A9%E9%9B%86%E3%80%8B-1315938
森鴎外 魚玄機 - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html
アナトール・フランスの存在が何故奥野青年を勇気づけたのか、
そこはさっぱり分かりませんです。

頁215
 荷風が明末清初の詩人王次回に、しばしばボードレール悲愁悔恨の詩情を感じていたことは、どれほどわたくしの単純素朴なこころを激励したことか、王次回がはたしてボードレールと共通の詩情にたつものかどうかということは、十分問題のあるところではあろうけれども、荷風のこの理解が当時のわたくしを発奮させ激励したことは、いま憶いかえしてもなつかしいかぎりである。

このあたりのシンパシーが嵩じると、頁174「中国の鬼談」で、
鏡花は江戸前にあらず、中国的な文学である、彼は中国小説に通暁したわけでなく、
江戸前の読本ばかり読んでいたのだが、その中から中国小説のエッセンスを、
もっとも琴線に触れさせた読者だったのだ、という論まで書いちゃいます。
(その証拠が、鏡花のゆうれいは日本的でなく、中国的だということ)

頁216
わたくしは久しい間、新文学に対してだけ外国文学を感じ、旧文学に対しては外国文学を感じていなかった。これは正直なところほんとうである。
(中略)
 そして中国文学の新旧に対して、なんの区別もなく外国文学を感じることができるようになったのは、やっとこの十数年来のことなのである。
 もっと具体的にいうならば中国の生活を経験してから以来のことなのである。

書香の家に育った人の、率直な感想として、貴重と思いました。

「古燕日渉」
仁井田陞*1と、北京の各地方會舘や特定職業のための神を祭った廟を、
フィールドワークした日々の記録。季節は秋。清末から民國期にかけて、
旗人の城内に於いても相当マニファクチュアリングが進んだことが伺え、
北京は変わらないとか、全然言えないじゃん、と思いましたが、
まあそれは余計な感想。清真寺や陶然亭は無論、
私がタバコの名前でしか知らない哈達門が出てきて、面白かったです。
頁219廟内には、刈りいれた黍の穂が、いっぱい積んであって、まるで穀倉のようだ。
頁233蓊鬱たる大槐樹が聳えたち、近所の子供たちが、おおぜい樹下で嬉戯している。
頁234日あたりのいい、暖かそうな部屋に、たくさん鉢が並んでいた。今を盛りと、菊花が妍を競っている。
以上
(2016/3/15)