『随筆北京』 (東洋文庫)読了

随筆北京 (東洋文庫)

随筆北京 (東洋文庫)

正確には、もう少しで読了、なのですが、フライングで感想を始めます。
この人の北京追憶は、陶然亭あたりがじゅうようなパートを占めるので、
往時の僑園飯店を思い出して、胸がきゅっとなったりします。天橋とか牛街とか。
あと、四郎探母とか、この人は好きだったのだなあ、と思いました。
頁197の「没法子」の解釈は目新しいと思いますし、
頁216の束髪、東洋妝のくだりも好きです。この本は、前半に殷汝耕と会った時の話があります。
そこで予期しておくべきでした。ムタグチさんが出るわけではありませんが、
七月七日以降の在燕邦人籠城記、保安隊、通州と話は伸びます。
といっても、具体的な通州事件のはなしなどは一行も出ません。
湾岸戦争バグダッド日本大使館のような、共同生活、炊き出しなどが語られます。
感想はあるけれども、概略を自分で説明は、あえてしない。しない。
漢民族の文学観念として、文学は政治と切っても切れない、そっちに傾くのを彼らは好む、
という、先日のフォーラムと同じ見解を作者も下しているのですが、
それは裏を返せば、日本人は政治と文学を切り離して考えるんだ、俺は後者のみ書く。
そうした意志の力を、感じとれた演劇雑感や北京雑感記事の地層の深さでした。以上
【後報】
序文は阿部知二。跋によると初版は昭和十五年文春刊なのですが、
どの程度現在の平凡社東洋文庫版が改定しているかは不明です。
かなづかいは昔のままで、旧漢字は戦後の日本漢字になっています。
通州事件のようなドラスティックな事件の記述がそのままなのかどうか、気になります。
巻末に村松暎の回想文が収められていて、これが、Wikipediaなんかに書いていない、
奥野信太郎とその家族のかなり深いエピソードが満載で、なぜネットに引かないのか、
それはおそらく故意に意図的にお手軽なネットには引用しないのだろう、
ならば私もかるがるとここに書き並べることは慎むべきか、と思いましたが、
思い直して、少し書きます。

・「西の吉川、東の奥野吉川幸次郎のエピソード、両者の交わり、
 その間のおそらく幸せな勘違い、
 についてあちこち筆を傾けていて、おもしろかったです。
 わたしが考えるには、両者の違いは、藩校育ちの武家儒者漢学素養と、
 懐徳堂などに代表される大坂、商人の漢学儒学の違いにも思えるのですが。
・賭け事にまったく関心がなく、中文専家に関わらず麻雀を知らず、
 知らないどころか、徹夜麻雀がそんなめずらしくないことすら知らず、
 徹夜までしてひとつのことに打ち込む弟子を称賛するスピーチを早慶国学会でしています。
・しかしその奥野信太郎が、いわゆる柔らかい文学、演劇に通暁する過程には、
 麹町紀尾井町から浅草に引っ越したあとの幼年時代が強く影響していると考察があり、
 そのとおりなんだろうと思いました。
・最初の奥さんが和宮の乳人に召されたとか、そのあと、早すぎる死。
・のち添えをもらったのちの、女性関係。切れることなく「こいびと」がいた、と。
・後妻の方が、奥野信太郎の法事に一切出席せず、しかし、十七回忌のあと、
 三十三回忌を待たず、(自ら後を追って、と記載)亡くなられた由。

ここまで読むと、ひとりの学者の人生を、理解出来ないまでも、
多少近く感ずることが出来た気がします。以上
(2016/4/29)