五島美術館「館蔵 春の優品展 恋歌の筆のあと」鑑賞

公式 http://www.gotoh-museum.or.jp/exhibition/open.html
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20160404/20160404142544.jpg毎年カレンダーが東急の駅で
販売開始即売切になるのを横目で見て、
いっぺん行ってこましたろうと思いつつ、
入館料が高くはないが
けして安くもないしで、
そのままになっていた五島美術館
やっと行きました。
和服の方が多かったです。
といっても京都と異なり、
和服の男性はいないかったです。
それで、ここは東急の美術館で、
ノストラダムスの大予言で稼いだカネを
注ぎ込んで作った美術館ではないみたいです。

企画展、紀貫之とか藤原定家とか西行の直筆があって、こらええもんみしてもろた、
眼福眼福、と思い、帰りにチケットと一緒に渡された出品目録見ると、
、否、、否、とあり、そう伝えられてるだけやん、
世の中そんなものかと思いました。後醍醐天皇は伝なしの直筆ありです。
昔の人のかな文字は、活字が出来る以前の、だいたいの約束事レベルでの統一書体ですので、
図書館で見た夏目漱石の直筆原稿写真製版本でもひとつふたつ、かな文字が現代と違うのを、
思い出しました。むかしの手書きの文章を、私が読めるかというと、読めません。断絶。
絵の、里村紹巴「狭衣下紐」に、青海波という踊りの絵があり、踊りなんか知りませんので、
勉強になりました。帰っていま検索しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%B5%B7%E6%B3%A2
あと、白描下絵梵字陀羅尼経断簡(『伊勢物語』第六十五段「笛を吹く男」)が、
筆で墨でサンスクリットを書いていて、なんか新鮮でした。ああいう丸みが出るのか。
中国では、仏典というのはすべからく漢訳仏典で、原典は一部も現存していない、
というのが定説ですので、それでも梵字を書き写して、あるいは板碑のように彫って、
残そうとした中世日本人が、なんか好きです。北畠親房神皇正統記で、
震旦ひろしといえども、なんて大上段に振りかざせたのも、
インドの存在があることで自身の世界観のバランスをとっていたからなんだろうな、
といつも思い返します。展示は、鉛筆以外の筆記用具も禁止するくらい厳粛ですが、
庭園は特に撮影禁止の看板がなかったので、撮りました。アレだったら、また考えます。


大日如来の住持が二頭の羊で、そういうものかと思いました。獅子でなく、狛犬でなく、
狐でなく、羊。

オダマキ

飲めません

文人