『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』 (光文社新書)読了

ほかの人の記事で拝見*1し、読もうと思った本。
参与観察で世話になったテキヤの人々にも手軽に読んでもらえるよう、
読みやすさを心掛けた本とのことでしたが、さて、どうか。

(1)
六部殺しのフォークロアが、現代では学校怪談に変容する頁60のくだりは、
もう少し読みたかったです。本題とはそれる逸話ですが。
ミネルヴァ書房常光徹さんの本を検索したら、何故か下記が出た。

(2)
頁84に登場する芥川龍之介『奇怪な再会』は、読んだ記憶がなかったので、
検索して青空文庫で今読みました。

奇怪な再会
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/77_15181.html

全然関係ないが、八王子のえびす講屋台でシャオビン(焼餅)なるものを見掛け、
バイしてるのは中国人女性で、別の場所でも、中国人がその屋台を話題にしてましたが、
私は中国で烧饼なるものを食べたことはおろか、見たこともないという… 何故かな。

(3)
頁93の国会図書館デジタルアーカイヴ『香具師奥義書』、検索ですぐ出ますが、
とっても読めそうにないです。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1190625

(4)
シャオビンで思い出しましたが、赤坂では、コリアンホステス目当てに、
コリアンニューカマーがトッポギなどの屋台を出していたとむかし聞きました。
あと、最近見かけませんが、イスラエル人のアクセサリー屋台。
徴兵前だか徴兵後だかの余暇期間を利用して、バンコクのヤワラーで仕入れたアクセを、
日本で売って世界旅行の資金の一助にする、
割と出来上がったシステムという話でしたが、めっきり見なくなりました。
イスラエル人は入国出来る国が限られてますし、
日本観光するイスラエル人は別に減ってないと思いますので、
なぜアクセ売りを見掛けなくなったのか、私は分からないです。

(5)
頁6の、何本ついた、の件ですが、私の住む神奈川の農村地帯の鎮守の社なんかは、
秋の村祭りでも、屋台は一軒か二軒かしか出ないのですが、ゼロということはなく、
商店会の人が盆踊りやバザーでやるように自分らでヤキソバでも焼けばいいのに、
と以前は思っていましたが、この本を読んで、僻地の儲からない祭りでも来てくれる、
物好きな香具師さんに乾杯!という気持ちになりました。
私が幼少のころ、茅ヶ崎の山間部の祭りで、唯一出店した綿あめ屋が、
一個五百円くらいの値付けをしていて、地元座間で、やはりそこに出ていた唯一の屋台に、
「ここは安くていいね」みたいなことを言ったら、そのテキヤのおっちゃんの顔色が変わり、
「(その五百円の)屋台はドコよ?」と真剣に問い詰めだしたので、
こわくなって逃げた思い出があります。いちおう幾らくらいにしとこう、
的なルールはあって、破ったらアカンいうことやろうな、と、今思います。

(6)
平塚の七夕祭りには似顔絵描きの屋台が出ますが、アレはテキヤとは呼ばないだろうな…
と思ってます。以上