武蔵野市立吉祥寺美術館「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」欣賞

ほかの人のブログで拝見*1し、観ようと思いました。ほんとに百円でこれが見れるとは。すごいとしかいいようがない。デフレ脱却。目玉がスター・レッドと百億の昼、11人いるですから。ジョジョ荒木飛呂彦椛島が言った台詞でしたか、「メジャーでマイナーをやれ」これを七十年代にやったわけですから。その足跡が現前に広がるわけですから。スター・レッドが表紙の少女コミックが展示されてます。これを主流にするんだ、自分なら出来るという、情熱のほとばしりが絵のひとつひとつから発散されていて、あてられました。湯あたりは聞いたことありますが、原画あたりは初めて。よく読者もついていったなと。企画者の計算も無論あると思ったのが、ポスターのセイ・なんとかの唇と瞳と服の赤は、情熱の色でもありますが、購買意欲をそそる色でもあり、全集の一期二期とか、小野耕世の解説の小学館文庫の11人とか、秋田文庫の百億とか、物販
されてたら買ってたかもしれないと思いましたが、幸いなことに、対談集とエッセー集と原画展目録だけでしたので、直撃はなんとか避けることが出来ました。被弾は危ない。つまりその辺が、隆盛後、集英社の最終面接まで行った人間は無条件で最後まで残すような新卒採用で、無難な人材ばかり選択してサラリーマン編集者を量産し、衰退した小学館の限界なのかと、この展示協力は河出なのですが、色眼鏡で考えてしまいました。11人いるの続編の小学館文庫の解説は、せつなかったですね。卒業試験を終えて実社会に出てゴッツンして、同級生の人死にまで体験してゆく、そういう続編になってしまっていることを、的確にえぐっていた解説だった記憶があります。
で、展示室に入ると、まず例の原稿紛失ゲラから復刻、なので全集一期に入るべき時期と絵柄の作品が二期に入っている、でお馴染みの『あそび玉』が巻頭トップ展示で、この辺ハギオモトのもう一つの面、母殺し*2やら、仮面をつけた養父に後ろ手に縛られムチでしばかれたあげく肛門性交を強要される少年をえんえん描いた残酷な神が支配するの前半戦を連想し、なぜかそこで私は思考がリープして、自伝で白土三平夫人とのかつての確執を書きながら単行本で削除した松谷みよ子のこと*3や、ゴチエイだか米沢だか小野だかが、ちばてつやのスポ根以外のマンガの主人公は皆一様に悲惨な末路を辿る、と書いたことを思い出し、萩尾望都もえすえふやらブラッドベリやらの救済がないと、半神とか残酷な神とかにすぐなってしまうのかなあ、銭っ子、とか思いました。近作の現代ものが、高橋留美子ビッグコミック作品と同質なのも、それがおひとりさま漫画家のそっち方面の限界と考えると少しさみしいです。

で、あそび玉の少しあと、まったく記憶にない漫画があり、メモしようかと思って忘れました。ユニコーンの夢、だったかな。精霊シリーズのドアの中の私の息子に思いもよらず再会し、私はこのような人生が自分にもあると思っていた時期もあったわけですがそうはならなかったので文字通り胸が痛みました。小夜の縫う浴衣はなかった。あれば、母殺しと関連して考察できたのに。あれはSFじゃないからそりゃ展示しないか。マリーンが、なかったですね。あれは非常に男性にウケる漫画だった。まあみんなマザコンなのでしょうがない。百億の昼は単行本未収録の連載表紙展示がありました。ちょっとどんどんとりとめがなくなったので、このへんで感想尾張名古屋は城で持つ。以上

撮影OK↗

あしゅらおうとセイなんとかの等身大です。すばらしい。
公式 http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2016/02/post-138.html
ナタリー http://natalie.mu/comic/news/177543
武蔵野市立吉祥寺美術館 http://www.tamamanw.jp/member/musashino.html

母と娘はなぜこじれるのか

母と娘はなぜこじれるのか

*1:http://d.hatena.ne.jp/himekagura/20160508#p3

*2:ユリイカ2008年12月号 特集=母と娘の物語 母/娘という呪い』読書感想http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140929/1411995793

*3:『されど われらが日々― 』(文春文庫)読書感想に一部引用しましたhttp://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150717/1437147174