『のろのろ歩け』読了

のろのろ歩け (文春文庫)

のろのろ歩け (文春文庫)

のろのろ歩け

のろのろ歩け

読んだのは2012年9月30日刊のハードカバー。
表紙写真 林ナツミ『本日の浮遊』Courtesy of MEM
装丁 大久保明

これも、台湾カルチャーミーティング*1のレジュメに記載されていた、
台湾を描いた日本語文学の一冊。
手に取ると、中国を描いた日本語文学二篇と、台湾のそれ一篇の短編集でした。
アマゾンレビューには、枝葉末節の揚げ足取り、印象操作も見受けられ、
そうなると、フォーラムでも主題のひとつだった、
日本では政治と文化を分けて、切り離して考える傾向があるが、
中華圏では、政治と切り離された文化はありえない、が、出たのか、
と思いました。中国と台湾どちらも好意的に描いて、
呉越同舟させた文学作品への冷やかな反応なのではないかと。
しかし、作者のほかの作品のレビューも読むと、それは取り越し苦労で、
ただ単に一言居士がへばりついてるだけ、な感じでした。よかったよかった。
作者は、いちおう、中国文化のなにがしかをかじった経験を持つ、
非常に数多くの日本文化人のひとりではないかと感じましたが、
その証拠に、デビュー作からして、『漢方小説』、と、書こうとして、
念のため検索すると、それは中島たい子で、こっちは京子でした。

中島京子 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E4%BA%AC%E5%AD%90
中島たい子 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%9F%E3%81%84%E5%AD%90

タイトルの意味は裏表紙にもあるとおり、中国語の"慢走"

慢走の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典
http://cjjc.weblio.jp/content/%E6%85%A2%E8%B5%B0

この小説では、"慢慢走" としてますが、頁69、北京の観光名所でもある瑠璃廠で、
小吃店のおじさんが、語言留学の日本青年の通訳付きで遊びに来た、
ワーキングガールの主人公に別れの際かけた言葉ですので、とてもしっくり来ます。
わざとした誤訳をタイトルにしたあたりが、ボーダーの好きな遊びっぽいです。
私はこの慣用句を口にしたり聞いたりする時必ず、魯迅林語堂との論争で、
「フェアプレーはまだ早い」と書いた、その原文を思い浮かべます。

"费厄泼赖应该缓行/費厄潑(溌)褚(頼)應(応)該緩行"

"緩行" って言うと、マンゾウの堅苦しい言い方だと思ってるんですが、違うかな。
"慢"は、兵隊支那語「マンマンデー」のマンですから、けっこう昔から、
中国に関わった日本人が耳に親しんだことばだと思います。人口に膾炙してる。

この小説は、2010年に発表した、1988年(天安門の前年)北京を訪れた女性が、
その十年後の1998年ビジネスで北京を訪れる話と、その翌年翌々年に書かれた、
(2010年に1998年の北京の話を書くという視座が、私はとても気に入りました)
台北にも官話留学が盛んだった頃留学した母を持つ娘が、母の死後訪台する話を挟んで、
おそらくは万博前の時代設定で、だが森ビルが意気軒高な上海が舞台の話の三篇です。

上述の私のような、唐物趣味のコリクツに拘泥する21世紀の大陸浪人みたいのがいて、
ちょっと読んでて、胸が熱くなりました。
・確かに物価が安かったころ、日本で受験に失敗した、またはニート予備軍のガキが、
「中国にでも行って来い」と送り出されて大量にうろちょろしてました。
 彼らは、砂のようにバラバラな個の日本人ですので、だんだんに、結束力のある、
 韓国人留学生に押されて、影が薄くなっていきました。韓国人は、徴兵逃れとか、
 学生運動のやりすぎで韓国で就職出来ず、たとえば北京大学に入るとかで、
 一発逆転しないと人生のメンツが立たないとか、具体的なモチベがあった。
・こういうチャラついた子と、駐在の奥さんの不倫もよく聞きました。
現地採用で、アパレルの労務、まさに労務としか言いようのない仕事をする話、
 さらに、かつてそれをしてた若者が、今はナニで収入を得てるのかナゾですが、
 中国在住ではてなダイアリーを書いてたりするのを知ったりもしました。
 まさかまた、若い時の留学のように、親がかりに戻ったわけではないでしょうが…

頁160
「この人たちの中で、採用したのは一人だけ? 日本の人もいるのね」
「見ちゃだめだよ、社外秘なんだから。まあ、別に亜矢ならかまわないけど。日本人は募集してなかったのに応募してきたんだ。いまどき日本人なんか採用しないよ。ビザ申請面倒だし、給料高いし。そういうやつに限ってまともな職歴もないし。こっちには日本語の上手い中国人がいっぱいいるんだから、仕事はそっちへ行っちゃうよ。
(後略)

結局、訓詁学とか、書誌学目録学、眼でぱっと漢文を見て情報処理するスピードでは、
絶対に日本人は中国人にはかなわない(と、京大人文研がゆっていた)ので、

知の座標―中国目録学 (白帝社アジア史選書)

知の座標―中国目録学 (白帝社アジア史選書)

この小説の兄ちゃんのように、張愛玲(頁127)やら芸術家村(頁140)とかを知って、
そこにくっついてゆく、唐物趣味、シノワズリに拘泥するしかないんですかね。
魔都上海 日本知識人の「近代」体験 (ちくま学芸文庫)

魔都上海 日本知識人の「近代」体験 (ちくま学芸文庫)

そりゃ私かwwwwwww

ふたつの小説のあんちゃんが、同一人物であるとしてしまうと、
非常にさびしいので、そこはアイマイでお願いしたいと思います。
結局コイツはこういう人生になってしまったか、では、夢がない。

1998年の北京に三里屯、酒巴街が出てくるのは頷けましたが、
頁48、ファンキー末吉の店が実名で出てくるとは思わなかった。
作者が1998年の北京にハーゲンダッツを見た時の感激は、
私が2000年に北京でスタバを見た時の感激と同じではないかと。
釣魚台賓館の近くの吉野家が、ローカルに負けて、
紅ショウガも醬油も卓に置かなくなって、それに慣れてしまったのに、
スタバは堂々とトッピングご自由にを始めた。台湾資本の養老乃瀧も出来た。
欲を言えば、民族大学脇のウイグル人街を出してくれたら、
もっとあの時の空気が味わえたと思いますが、話が違う方に転がるかな。

頁155ガンチンポーリエ、福島香織の中国の女にも出てこない単語で、勉強になりました。
こういう視点の中国女性ウォッチもいいと思います。性格の不一致でなく、感情破裂!
頁75手編みのカーディガンの贈り物は、これぞ前世紀の中国と言う気がしました。

大陸を舞台にしたふたつの小説は、どちらもオチがけっこう秀逸で、
上海の青年の、英語の動詞shanghaiがどうこうみたいな底の浅いシノワズリを嘲笑う、
「西のかた陽関を出ずる〜」の文句。

ペーパーバック版 青い蓮 (タンタンの冒険)

ペーパーバック版 青い蓮 (タンタンの冒険)

北京の、『時尚』創刊時もかくやみたいな、ファッション誌創刊時の女の子の呪い。

頁84
「北京の春に二度と白い服が流行りませんように。洗濯がたいへんですから」

予言は成就しました、大気汚染で。
(全然関係ないけど、『時尚』も創刊するやいなや、チャイナウォッチャーから、
 アレは北京青年報だか中国青年報だから、同じ政治思想、と、
 あっちゅうまにレッテル貼られた)

検索したら、作者がこの本について、取材の思い出等を語ってるのが、
ウェブにありました。読後に読んで、よかったです。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/1126

台湾については、「めんぎゃっ」の意味を知りたいのと、
平渓線は江ノ電とタイアップしてるし、行ってみたいけど、
行くと、中国からの観光客がたくさん来てるそうなので、
その仲間と思われるんだろうなあ、というくらいしか、感想ないです。以上