『一天にわかにかき曇り』読了

昭和五三年五月初版
装幀さのようこ

なぜ佐藤愛子
読もうと思ったかと
言うと、
「一天俄に搔き曇り」
という言葉を検索した時に、
この本がタイトルにしてて、
アマゾンレビューを見ると、
ちょっと心霊話も
あるようなので、
それで読もうかと思って、
読みました。

オカルト話は、特に
なんもなしです。
北海道に建てた家が、
高台の土地で、
六角形の部屋造ったりとか
方角とかナントカカントカ、
いろいろありそうなのですが、
その辺のくだりは、
この後のエッセーに
なるようでした。

ただ、北海道の自然の素晴らしさ、
夏だけの家のつもりが、
十月も住んでしまうくだりが、
亜寒帯はいいなあ、
ほんとに気候が違うんだなあ、
と思わされました。

佐藤愛子」という
名前もなんか(占い的に)
よくないという
エッセーがありましたが、
江湖に満ちる同姓同名者は
どうなるのか。

頁16に、飲めない筆者が、
飲めるように慣らされる
までのエッセーがあります。

頁144「女放れ」、最初、女ばなれと読めず、
女をほうれ、と読みました。ちがった。熊を放つはジョンアーヴィング。

作者五十代前半のエッセー集で、老いたとゆうておられますが、
この時点では、2014年、91歳で、『晩鐘』書き上げるとか、
自身も予測出来なかったに違いありません。

たまにはこういう本が読めてよかったです。もう少しこういう本読もう。
エッセーは図書館割と整理してしまうのですが、所蔵に感謝。以上