作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B3%B6%E5%81%A5%E4%B8%80
酔っぱらい読本か、
火の車板前帖に出て来た本。
あの雑誌『酒』連載。
大酒飲みばかり取り上げてる
わけでもなし、問題飲酒者を
列挙してるわけでもなし、
下戸勝海舟、西郷隆盛、
(西郷は藤田東湖に
ゲロぶっかけたとか)
理由不明の断酒者、
清水次郎長、それから、
伊藤博文、佐久間象山のような、
性のほうの人が、堂々混ざってて、
まあそりゃあ面白いでしょうけれど、
って感じです。
頁133 アーネスト・サトウ
「惚れ薬は佐渡の土」(女なんて金次第)
図書館はビニルカバーをかける関係上、
カバーを少し切るので、
そこに装幀者が書かれてると、
もうアウト、分かりません。
誰なんだろう、このイラストレーター。
「もう」の署名があります。
頁113 伊藤博文
「伊藤はんいうお人は、ふしぎなお方ぇ。人前でもヘッチャラで口説かはるし、えろう悪さもしはるのです。そやけど、おなごは顔赤うするだけで、身動きとれんのどっせ」
頁109 伊藤博文
新橋を根城にするようになってから、伊藤は“お酌の鬼門”と異名をとった。半玉を散らすのが趣味だったのである。細菌学の北里柴三郎、財閥・浅野総一郎とともに“三鬼門”と敬遠された。
女を倒し狂うさまは「鬼神のごとし」だったとか。なにそれ。
1979年の本なので、今では解読困難な単語があります。
頁148ネット勤王家 頁165ネット本音
ネットって、21世紀ではインターネット以外考えられず、
かつそれで意味が通るわけですが、
まさかことばのオーパーツなわけもなく、なんだろう。
頁65ズロース頭巾“ズロキン”
これは分かる。永井豪の漫画、元ネタがあったんですね。
頁45 山内容堂「朝あしたは酒に酔い、夕ゆうべは脂粉に寝る」
頁117 岡田以蔵ら
ともあれ、酒も飲めない男は、土佐では馬鹿にされたろう。これも以蔵には、おもしろくなかったに相違ない。彼のコンプレックスは、ますます重層化した。想像だが。
ルイルイ♪
頁34 高杉晋作
晋作には、酒はハイ・オクタンの気違い水ではなく、憂いの玉箒だったような匂いがある。
作者もヤバい酒飲みだったようなので、(否認?自覚?)愛のあるまなざしというか、
擁護というか、が基調です。
幕末なので結構漢文漢詩も出ますが、
頁152、日柳燕石の詩に河野鉄兜が、
漢詩につきものの平仄ルールがない、
失律だと指摘したとき、
頁152
「詩とは志だよ。ほとばしり出る魂の声を、そっくりぶつければいい。おれは、支那式とは二十五歳で縁を切ったんだ」
日本語で読み下してるなら、
漢音の四声を要所にハメこむ
ルールなど関係ない、との由。
そりゃそうだ。
私は賛同しませんが、
作者の考えがよく分かる箇所。
頁22 芹沢鴨
酒乱は、みずから好き好んでなるものではない。こと志と反して、起こる。自分では、コントロールがきかぬ。不治の病いといっていい。
そりゃ、飲まなければ未然に防げる。が、治ったことにはならない。飲まず・乱れずでは、あたりまえすぎる。童貞で死んだ吉田松陰が、かりにいったとしよう。
「余はかつて、シモの病いにかかりたるためしなし」
自慢にもなんにも、なりゃしない。失笑されるのが、オチだろう。事実ではあっても、口に出しっこない。
同じ見栄が、大ノンベーにもある。またぞろ醜態をさらすのは、こわい。いくら芹沢鴨だって、最初から乱行にまったく平気だったわけはなかろう。内心ではたぶん、かなりせつながっていた。だから、飲みたい。たまには“いい酒”っぷりをお目にかけられるのではないかと、フロックをあてにする。そんないじらしい祈りも働く。
で、飲む。やっぱり、いかん。だんだん、暴発の間合いがつまってくる。あせる。悩む。ついには、飲めばきまって乱れるようになる。恬としていられる道理はない。
「控えられれば、世話はないよ。そうはいかんのだ」
(中略)
さて、真性・酒乱のレッテルが定着した。当人はむろん、うれしくない。では、どう対処するか。
「芹沢さんも酔っていないときは、ざっくばらんな豪傑肌で、いい人でした」
屯所の大家さんが、語っている。
これなのだ。定評が公布されてしまうと、たいていの酒乱はまず、しらふのときの自分を“いい人”だと印象づけようと、無意識に振舞うのである。
――ほんとうは、善人なんだ。ただ、飲むとよくない。
“ほんとうは”を強調したい。酔態は、例外に棚上げしようとする。
(中略)
しかし、酒乱は確実に、症状が進行する。やがては、日常のパブリシティぐらいでは、追っつかなくなる。例外が、本体を押しのけてしまう。当人はいよいよ、懊悩する。が、どうにもならぬ。
(中略)
手は、一つしかない。(中略)つまり、しらふのときの言動を、乱酔時に近づけていく。“ほんとうは”に対する未練は、「エイ、糞ッ!」とかなぐり捨てる。ふだんから、つねに躁の状態を心がける。
芹沢は、ここに追い詰められたのではないか。となれば、彼には立派な素質があった。破滅型への雪崩れこみは、あっというまに完了した。こんな風に、たぐれる。
それッ、気は楽になった。ただし、たえずヤクを注入していなくてはならない。禁断症状がきては、まずい。必要上からも、彼は居直って大いに暴れ、大いに酔った。暴は酔をあおり、酔は暴をそそった。
最後は土方らにめった突きに刺されて死ぬわけですが、作者はよく酒乱の気持ちが、
理解出来る人だったんだな、と思います。そして、やめる気持ちには至らない。
(負けを認めるというか、戦っても仕方ない境地に来てない)
この後の新選組の綱紀粛正「士道不覚悟」の嵐を、ドライの弊害、
近藤土方が「酒魔」を怖れるタイプだったから、との新説を展開しています。
<この本に紹介される烈士>
作者の祖父/芹沢鴨/高杉晋作/山内容堂/勝海舟&西郷隆盛/清河八郎&伊東甲子太郎/後藤象二郎/岩倉具視/横井小楠(この人はヒドい)/伊藤博文/岡田以蔵ら/アーネスト・サトウ/松平容保/日柳燕石/唐人お吉(ハリスは冤罪で、お吉は酒害とのことでしたが、どこが酒害なのか作者が書いてないので不明。糾弾者が日本禁酒同盟の指導者で、(たぶん昭和)天皇に陪食を仰せつかったおり、禁酒禁煙について熱弁をふるい、不飲不喫の陛下がしきりにうなづかれたとか)/佐久間象山/井上馨/成島柳北/清水次郎長/黒田清隆/新選組/坂本竜馬
平手造酒がいない、とか意見あると思いますが、この本は四年連載の二年分だけで、
後半は続編に収められているそうなので、そっちも読めればと思いますが、
おなかいっぱいなので、読まない気がします。
- 作者: 村島健一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1979/03
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