- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/02/28
- メディア: 文庫
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カバー装幀:大日本タイポ組合⇒公式 http://dainippon.type.org/?page_id=328
解説:安藤礼二
初出は新潮 '09/Mar. '10/Jan. Sep. 同年九月新潮社単行本刊。
作者のほかの小説の読書感想
アル中小説『ばかもの』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140702/1404304259
お活小説『エスケイプ/アブセント』
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140707/1404664730
三人称の『妻の超然』一人称の『下戸の超然』三人称の『作家の超然』超然三部作。
真ん中の題名に惹かれて衝動借りしました。
最初の話は小田原が舞台で、箱根板橋というのは行ったことないけど、
そんなにハイソな地区なのか、とか、ダイナシティがロビンソンになったのか、
ロビンソンがダイナシティになったのか忘れた、と思っていると、
ダイナシティにロビンソン百貨店があるのだと分かる、動物園の象は知らない、etc.
で、やけに小田原にいろいろ詳しいが、土地勘があるのか、知人がいるのか、
ブログ等見て研究したのかどうなのか、と思いました。
頁33のアジフライ定食、食べ物の恨みは万人受けすると思いました。
次の話は北九州育ちつくばで家電メーカQA勤務の主人公(下戸)が、
酒飲みの彼女とつきあって別れる話です。主人公の父親が暇な人で、
母親が手芸店で家計を支えてるという設定が、不穏だがそれを見せず、
ほのぼのにマスクされている。職場の野球チームには複数下戸がいて、
音頭取りの年長者がいるので、「下戸の会」なる集まりがある。
頁124
「初対面の人に飲めないって言うとき、なんて言ってるんですか?」
「『お腹に赤ちゃんがいるんです』って言うんだよ」
男性同士の会話です。
頁134
道漁や友人が酒を飲むのにつき合うのと、自分の彼女が飲むのにつき合うことがこれほど違うとは思っていなかった。美咲が僕といるときだけ酒に依存しているように思った。飲み始めた美咲はユニークな彼女自身であることをやめ、曖昧になった細胞膜から酒を吸収し、同化し、酒に溶けてしまうかのようだった。
彼女は寂しがり、甘えた。不安がった。しかし僕から見たらそれは酔っぱらい特有の非個性的な感情表現に過ぎなかった。
なんでそんなに飲みたがるのか、僕にはわからなかった。
そんなにまでしなければ、僕といられないのだろうか。
だが、彼女はこう言うのだ。
「私、嫌われてる?」
「そんなことないよ」
「広生、楽しそうじゃないよね」
「美咲のことが心配なだけだよ」
「いいじゃん広生の前くらい、自分を出したって」
頁129
「かわいそう。こんなおいしいの飲めないなんて」
からかうように美咲は言う。
「飲めなくなったわけじゃなくて、最初から飲めないからかわいそうじゃないんだ」
頁145
「なんか一人で飲むのも寂しいな」
(中略)
「無理に毎回、飲まなきゃいいだろ」
(中略)
「んー、でも「飲んだ方がなんか、空気がまるくなるっていうか。自分も無理しないでいられるし」
「そう?」
「広生も飲める人だったら良かったのに」
「蟹アレルギーの奴にも同じこと言える?」
「そりゃ言わないけど。でもお酒って飲めないより飲めたほうがいいと思うな。タバコは全然そう思わないけど」
「不可能なこと言われても困るよ」
「そうやってすぐカリカリするじゃん」
「カリカリなんてしてないよ」
お酒は象徴であって、飛行機とか海外旅行とかボランティアとか、
いろいろ二人の価値観や関心の違いによる差分があるのですが、
でもお酒はお酒だから、読んで面白かった。タバコの個所で分かるように、
薬物やギャンブル、買い物ならこの女の子もこんなこと言わないだろうに。
頁149
何より僕はいつまでもだらだら飲む彼女を見ていられない。
「せっかくリラックスしてるのに」
いいや、それはだらしないと言うんだよ。
女の子だけが主張して、頁175、この女の子は寿司も刺身もキライなのですが、
そうした逆差分に関して男の子がぐっと我慢して口に出さず、
でもその不満は心理的に一方的に貸しを作ってる感じになってて、
あーダメだと思いました。
頁176
「お酒だって本当は飲めるんじゃないの? ただ、飲みたくないって感情で言ってるだけでさ。適量とかペースとかがわかんないから、食わず嫌いになっちゃってるだけなんじゃないの」
彼女が飲むのに文句をつけたことは一度もない。飲んでかまわない。全然かまわない。
ただ、僕に求めるな。僕にポジティブを、僕に不毛を求めないでくれ。
「いつも広生は自分のことばっかりで、自分はあれができないとかこれが苦手とか。どんだけ私がそれで辛い思いしてるか」
繰り返しが泣き声になった。美咲が睫毛を震わせるのを僕は見た。
「だから私だけがいっつも我慢して」
それが自己憐憫の涙だということはすぐにわかった。
「我慢なんて、してたの?」
こうやって抜き書きに引用して気が付いたのですが、上のリラックスの部分とか、
たぶん口出ししてますね。文句をつけたことは一度もない、じゃない。
自分で気がついてない。こわいなあ。
金子修介が映画化した作者のアル中小説『ばかもの』も、
主人公はD…自助グループから離れてもなんとなく酒は断ててるんですが、
むかしもたれあってた彼女のとこに転がり込んで、うーん、
なるようになる、が、いい意味のなるようになる、ならいいけど、
というところで終わる小説でした。関係ないけど、上の引用部分で、
自己憐憫とか唐突に出てくるので思い出しました。
最後の小説は、作家自身がモデルなのか、いろいろ踏み込んでいて、
じぶんの腫瘍の話(癌ではない)とかは、私もアゴが開かなくなったり、
ヒザの時とか思い出して、ほんとそれだけが地球回してる感じになるもの、
と思いました。スペッシャルな次兄、こころのびよきの次兄、
のところは、そのお兄さんが同じやまいの配偶者をえて一気に借金を返した、
というくだりが、何が飛んでるのか分かりませんが、理解出来ませんでした。
それまでの家族の消耗とか依存とかからいきなり四次元空間ロケット。
頁228
酒と同じで、悪意も先に酔っぱらってしまった方が楽なのだ。悪意は受け皿しか求めない。
頁230、手術後の禁煙指示を守らず、頁236、でも医者はただ苦笑して、その医者が、
手術してくれる医者を探して転院繰り返して出逢った医者だったわけで、
作者は許されてように感じるところが、なんかぞくっとしました。
それまでのつきあった男性批評や、ストーカーについて語った箇所も、
重ね合わせて、ひっかかった。
頁255
文学の神様、それはギャンブルの神様とどこが違うというのか。
おまえの「創作活動」は、自分だけのドラマに酔って見たことも触れたこともない競走馬に大金をつぎ込むことと何ら変わりない。おまえが「創作」を語ること、それは博打のカタルシスを語ることと全く変わらない。狂気とぎりぎりのところでやっている、という台詞は博打で大勝ちした人のたわごとだ。彼らは勝ったときだけ、理由を、プロセスを饒舌に語り始める。それはおまえの文学談義そっくりだ。
負けた時も饒舌な人はいないのかどうか。
解説に、本文の引用みたいな下記があるのですが、どこからの引用か、
探し出せませんでした。なぜだろう。以上
頁260 解説 −滅亡の彼方に夕映えを待ち望む 安藤礼二
「酒飲みや嫌煙は思想とすぐ結びつくけれど、下戸は思想とは全く関係ない。健康問題でさえない。健康のために酒をやめる人はいるけれど、下戸はそもそも何もやめていないのだ。部外者と言っていい」
(2016/10/2)