『熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集』読了

ほかの人のブログで、この人を知り、読んでみようかと読んだ本。
この出版社は知らなかったので、検索しました。
公式の会社案内 http://www.genki-shobou.co.jp/company.html

幻戯書房歌人で作家の辺見じゅんが、
父であり、角川書店創立者である角川源義
創業の精神を受け継ぎ、設立した出版社です。

辺見じゅん、シールズ絡みでほかの人のブログで名前見たなあ。
私は、えみりの元旦那のキム兄ケンコバをよくごっちゃにします。

熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集

熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集

装幀 間村俊一
カバー画 藤森静雄「自然と人生」(『月映』Ⅰより)愛知県美術館所蔵(ママ)
…この絵を検索すると、福岡市美術館所蔵がヒットします。愛知???
http://www.fukuoka-art-museum.jp/jc/html/jc04/02/fujimori.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E8%97%A4%E6%A3%AE%E9%9D%99%E9%9B%84-%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%A8%E4%BA%BA%E7%94%9F.jpg
 あと、京都国立近代美術館でも出てくる。
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=152479
もうその時点で作者の魔術的リアリズムに捉われているのかもしれません。

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9C%A8%E4%BD%B3%E5%A3%AB

頁45 重い陽光
クーラーのない難民収容所の当直の夜の、常用量の二倍の睡眠薬はぼくにとってなくてはならぬものだった。

イキナリ医者の不養生。この頃まだ国境なき医師団という言葉はなかったのか、
国際赤十字です。タイのカンボジア難民キャンプ。
今の北朝鮮に似てますが、農民の地雷被害はクローズアップされるけど、
宝石のルビー利権でクメール・ルージュが延命を許されてる大人の事情が、
ぜんぜんスルーなんですよね、結局。盛り土が分からないわけだ。
作者の時代は'70バンコク楽宮ホテルと'90クーロン黒沢
プノンペンミポリンベトナム人)のあいだくらいと思います。

バンコク楽宮ホテル

バンコク楽宮ホテル

そして新世紀、猫ひろしカンボジア国籍とって五輪に出る。

頁72、宮城道雄さんが自分で演奏されてる『水の変態』SP盤、
検索で出た下記の動画がビンゴだったら、
本当に21世紀は凄いということになるのですが…

分からないのもまた21世紀。情報過多、処理しきれない時代。

頁127、味噌漉し。奥さんを九州出身という設定にしてるので、
それで納得な気がします。味噌を濾すのは麦味噌だからじゃないかと。
山本おさむの漫画で、ヤクザの事務所で新人が味噌濾し仕込まれてる場面で、
知りました。

頁192 神かくし
 睡眠導入剤を床に入る前の儀式として一口の水で飲み下すのが癖になって十年近くになる。自分のうつ病の一日たりとも定まらぬ心身の不調の実感ばかりをエッセイや小説に書き連ねているものだから、この病気に関する新刊書の書評を求められたりすることも何度かあった。それらの本にはたいてい一般読者向けのうつ病の自己診断チェックリストが付いている。ためしにやってみると、うつ病には縁遠い正常な点数に落ち着く。時という得体の知れない溶媒によって、永遠に続くと思われた頑固な自立神経失調症状は明かに溶かされ、輪郭があいまいになっているらしい。
 ただ、どんな種類のチェックリストにも必ず入っている「朝早く目が覚めてしまいますか」との質問にだけは、いまでも「はい」に丸をつけざるを得ない。

この後の記述が興味深かったのですが(眠れた頃の記憶が鮮明)、
割愛します。

頁254 ぬるい湯を飲む猫
 むかしの己とおなじように疲れきった医者らしき人物から、自分の体調不良を書いて本にして金を稼いでいる身分は素敵ですね、との皮肉を連ねた匿名のワープロ文書を医局の机の上に置かれたことがある。ものを書いて金を得る行為の業の深さは自覚しているつもりでいたが、あからさまな指摘を目にすると、つくため息がひどく浅くなった。このままだと過呼吸に陥りそうだったから、その場で膝を高く上げて足踏みし、頭に上りつつある血液を足の先に下ろした。
 落ち着いてから、この文書の内容はもっともだ、と感じたゆえ、黙って受け止め、そのまま机の上に置いてある。二年間も。

頁305、熊出没注意、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの、
「雨を見たかい」が訳詞朗読付きで出てきますが、自作訳詞とのことで、
出だししか出てこないのが残念です。これも大人の事情かな。

巻末に、作品の履歴書としてのあとがき、があり、
研修医として就職して二年してから、文藝界に初めて投稿し、
もちろん落選するものの、名物編集者の目にとまり、
叱咤激励、何度も投稿書き直しを繰り返し、そしてデビューすること、
(医師免許取得まで頑張れた根気の持ち主が難民キャンプの後文学を志す、
 そこに何かモノになれる要素を編集者は感じたのだと思います)
芥川賞同時受賞者がイヤンジだったこと、
三ヶ月に一篇、五十枚程度の短編を一年書き、そして本にしろ、
とのいいつけを守って勤務のかたわら書き続け、激務でいつかこわ…アレするといわれ、
そのとおり、1990年秋、バブル絶頂期に破綻すること、
医学生」「阿弥陀堂だより」は気恥ずかしい仕上がりだが版を重ねてること、
等々興味深かったです。知人が孤独死したとき、彼は結局努力しなかった、
という人がいて、その時は、そんな他人のことなんか論評しても、
と思いましたが、確かに孤独死した知人は自己憐憫の中で余生を終えたので、
こうやってかつ生きている人もいる、という事実は重いと思いました。以上

あと、佐久を旅行した直後に佐久在住の作家を読むことになった偶然も、
おもろいと思ってます。全然計算してなかった。茸文学アンソロジーに、
作品収録されてるそうですが、鯉の煮つけ小説は書いてるのかな。
そして、それを収めるアンソロジーはどうなんだろう。
中華の鯉のカラアゲ甘酢あんかけが食べたいです。