『私の食自慢・味自慢―うどん 大活字 (4)』 (大きな活字で読みやすい本)読了

どれくらい字が大きいか、下記、文庫本と比較しました。

まん中は『ほかほか蕗ご飯』という江戸時代もの角川文庫、
左は立原正秋の自伝もののむかしの新潮文庫、後ろは日本農業新聞
確かに大きくて読みやすいです。

天皇の料理番のモデルの人のエッセイ読みたくて、借りました。
この本出したリブリオ出版、昨年一月で活動停止したんですね。
出版不況だなあ。収録作品一覧は下記国会図書館リサーチ参照。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008159086-00
三部構成で、東京のむかしのうどんの思い出、上方のうどん、
讃岐うどんとなっていて、読み進むにつれて、前のほうの、
東京のうどんが否定され侮辱され汚泥にまみれてゆくので、
ちょっとそういう上書きはめんどくさいな、と思いました。
せめて四部作にして、第四部はタピオカ混入でもちもち達成の、
「現代のうどん」、コンテンポラリーうどんにでもしないと、
この、忠臣蔵の遺臣が夜鳴きうどんの屋台に扮して、
鍋焼きうどんタダ食いされながら吉良邸の情報を摑む、
そうした江戸の情緒が、金に細かい、ワリカンの悪用にたけた、
カガー県の連中に蹂躙されたまま終わってしまう気がして、
後味がよくないです。
(カガー県に関しては個人的に、そういう出会いしかないのが不幸だった)
三食うどんおやつもうどんお茶うけにうどん、というのは分かったので、
作り手が、うどんカーストみたいな代々の職人なのか、
杉森久英の父親みたいな廃藩置県後の武士の商売とかなのか、
そのへんもしりたいです。しかし、むかし読んだ、八戸のアマチュア文芸誌の、
南部人の学童時代の食事が三食イカ刺しにくらべるとインパクトは低い。 

頁93 藤澤桓夫「きつねうどん」
「あそこのきつねうどんは美味しいけれど、うち、物足りぬことが一つあるねん。」
「どんなこと?」
 僕がきくと、その奥さんが言った。
「わたしね、きつねうどん、御飯と一緒に食べるのが好きですねん。御飯と一緒に食べると一番美味しいような気がしますねん。」
 すると、もう一人の奥さんが言った。
「わたしもそうですのんよ。」
「へえ?」と、今度は僕が言った。
「実は僕もそうなんですよ。今まで自分一人の好みかと思うていたんやが、すると、みんなそうなのかな。」
「大抵の人がそうと違いますか。」
「すると、つまり、よその店で食べるきつねうどんには、御飯がついてないから物足りぬと言うわけですか?」
「そうですのんやがな。」と重役夫人が言った。
「まさか御飯頂戴とも言われへんし、きつねうどん食べに行くのに、わざわざ家から御飯をお弁当箱に詰めて行くのも大層ですよってにな。」

今はもうあんまし聞けないたぐいの関西弁と思います。

頁161 五木寛之「博多のうどん」
そして先日、李恢成氏と対談する機会があった時、私は無意識のうちに、朝鮮の自然や風物を彼に逆に自慢するような口調でしゃべり、そのことに気づいて一瞬ひどく恥ずかしい思いをしたものだった。

ドイツで韓国本土むすめゲットして同棲したイファソンさんは、そこでも自慢されたのだろか。

頁196 土器典美「讃岐育ちのうどん話」
 しかし高松ではうどんを嫌いだと表立って公言するには勇気がいるし、嫌うには相当なエネルギーを要すると思う。嫌いだと公言したために落選した議員さんもいるくらいだから。

恐るべしうどんファシズム。相鉄横浜駅の星野うどんにも、生醤油があるのですが、
食べ方が分からないので今まで注文したことがなかったです。
今度勇気を出して注文してみよう。私はもううどん食べませんので、そばばっかですが、
クニミツの政*1のうんちく通り、そばは消化がよすぎるので、
夕食として食べると腹持ちがしないので、何かと併食したほうがいいです。
うどんならそんなこと考えなくてよいのですが、ソーキそばや牛肉麺と異なり、
うどんはヒエラルキーが確立されてしまって、なんか息苦しいので、
もう十年以上、星野うどん以外でうどん食べてません。そんな関東ライフ。

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                                         >東京うどん
私は農協のささめうどんが好きです。以上