『アメリカ感情旅行』 (岩波新書)読了

アメリカ感情旅行 (岩波新書)

アメリカ感情旅行 (岩波新書)

港の見える丘公園
近代文学館、
安岡章太郎展で、
復刊のこの本見て、
岩波は不退書店以外
返本不可なのに
よく仕入れたな〜、
買おうかどうしようか
迷って結局借りた本。

Tent City...

"HOME OF THE BRAVE"

センチメンタルジャーニー
(感傷旅行)でなく、
エモーショナルトリップ、
感情旅行。
近代文学館によると、
安岡はこの旅で、
差別とか政治に目覚めたとか。
頁3、APPLICATION(願書)
アプリケーションて
願書だったのか。
知りませんでした。

ディスクリミネーションでなく、セグリゲーションという単語で、
差別としてる個所もありました。ページ忘れましたが。
セグリゲーションの反意語、デセグリゲーションは、下記で知りました。

フライデー・ナイト・ライツ

フライデー・ナイト・ライツ

頁10
実はニューヨークの冬は非常に寒い。北朝鮮南満州ぐらいの寒さである。

この対比、比喩が通じた時代が日本にあったのかと思うと、感慨深いです。
下記はアパートを借りる時の交渉事。

頁38
「私たちはクリスチャンです。家の中でお酒をのまないでください」
 これには私もおどろいた。まるでこちらが一歩退くたびに、一歩踏みこんでこられる感じだ。ここはいわゆるドライ・タウンだ。街には一軒の酒場もなくレストランでも酒は出さない。しかしリキュール・ショップがあるところをみれば、家で酒をのむことを許されてもいいはずである。
「私は酒はそんなにたくさんは飲まないが、夜眠り薬のかわりに少しずつ飲む習慣はある。それぐらいはかまわないか」
 もしこれでもいけないと言われたら、このアパートを断念するつもりで私は訊いた。
「OK」と老婦人は腰に手をあてて、しばらく考えこんだのちにこたえた。

日本にもドライタウンが出来ないものでしょうか。

頁85
ここナッシュヴィルでは人間が色で分けられており、黒い顔をしていればアフリカ系市民であろうとなかろうと差別をうける。早い話がインド人は外出のときは、男ならターバンを巻くし、女はサリーをつける。そうでないと映画館へもレストランへも入れないからだ。インドネシアから来ている留学生で、比較的色の白いものと比較的色の黒いものとが連れ立ってレストランへ入ると、色の白い者には注文どおりのものを持ってくるが、色の黒い方へは何も出さない。その色の黒いインドネシア人は本国へかえれば警視総監の椅子が約束されているとかで、「そうなったらインドネシアへやってくるアメリカ人は片っぱしから海の中へ放りこんでやる」といきまいているという。

実現されてたら面白かったでしょう。
レストランでオーダーがこないとか、勘定が違うとかは、
モスクワで私も白人とレストランに入った時に、
体験しました。私だけ違う。
この後ナッシュヴィル朝鮮人学生のエピソードが記されてますが、割愛します。

頁86
 黒人問題はすなわち白人の問題であるという、そのことを私はこの土地へ来てようやく了解した。つまり白人は白人の良心の問題として黒人を取り上げているのであり、そのことは黒人自体とは無関係なのである。いいかえれば黒人問題として取り上げられる「黒人」はすでに白人の一部なのであり、白くも黒くもないわれわれは、その中にふくまれていない。このことがわれわれに黒人に対する一種の劣等感を植えつけることになる。しかしまた同じ有色人種仲間として黒人の側に立って問題をながめようとするときには、この劣等感が裏返って優越感としてはたらきはじめるのである。よく南部を旅した日本人が「黒人用の便所で用をたした」と自慢げに話すのを聞いたことがある。しかし実際には彼のやったことは何の意味もなさない。そんなことをしたって別段、白人に対するイヤガラセにもならなければ、黒人に対する同情にもならない。彼はただ、自分は黒人の便所で用をたしてやっているということに、はかない優越心と自己満足を感じているにすぎないのである。

善意のオバサン二人が、黒人といっしょに食卓を囲まないのはサベツよ、
黒人だって白人と同席してメシ食ったっておいしく食べれないでしょ、TPOよ、
みたいな会話する場面も面白かったです。
ホンカツが乗った車のフロントガラスを銃撃されるまで後何年、みたいな。

アメリカ合州国 (朝日文庫)

アメリカ合州国 (朝日文庫)

頁138
たとえばタバコだが、いったい何十種類あるのか数えきれないほど発売されているシガレットがみんな同じ値段である。どれもが20 Cigarettes Class A と印刷してあって、Class B のシガレットは見たことがない。だからピースが吸えなければ光、それがだめならバットという財政の切りかえはできないのだ。

作者の旅行、留学した時代のアメリカは、中流層が分厚い、と書かれてますが、
私が先人から聞いたアメリカは、ちょうどいい価格層の商品(衣類など)がない社会、
安くて悪い商品と、高くて良い商品の両極しかない、中流の無い社会であります。
年月がアメリカをそう変えたのか。

頁138
六十歳以上の身よりのない老人、浮浪者等を収容しているというが、真冬の季節に半数以上の人が木綿の服ともいえないボロを体にまといつけていた。煉瓦建の家に暖房がきいているから、そんな服装でも寒くはないわけだが、布の裂けめから肌もあらわな老人たちが百人も集ったのを見せつけられると、私は西洋の老人に慣れていないせいでもあろうが、ある恐怖のようなものに圧倒された。人間が老癈と貧困で動物化して行くさまをこんなに露骨に示されたのは初めてだ。彼等と肩を並べて私は、婦人団体差し入れの昼食を御馳走になったが、リンゴのジャムのかかった冷たいハンバーグ・ステーキはどうしてか腐った塵芥の臭いが鼻について喉をとおすのがやっとだった。――おそらく日本には、もっと悲惨でもっと貧困な老人が大勢いるにちがいないし、ここで単に感覚的に受けとめた「貧困の恐怖」をいくらのべたててみたところで何の意味もなさないことだろう。ただ私は正直にいって、世界一金持ちの国アメリカに、こういう人たちがいるということに単純に驚いてしまったのである。

頁169でトレインをトゥレーンと書いていて、頁数は失念しましたが、ポップコーンを、
パップコーンと書いている箇所もありました。以上