『ゆきてかえらぬ』(文春文庫)読了

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カバー:村上芳正 解説:秋山駿
バロンサツマについて書かれてるとの由で、借りた本。
実在の人物を描く小説、それが当時実名小説と呼ばれたとあとがきにあり、
伝記小説とどう違うのかと思いました。それが五編収録されています。
作者の『田村俊子*1は既に読んでいたのですが、
それと『かの子繚乱』が縁で、ちょこちょこ仕事が来て書いたとの由。
最初の薩摩治郎八と次の太宰治が三人称で、作者との縁も語られ、
その後の竹久夢二丹羽文雄幸徳秋水の嫁はんがなり切り一人称です。

「ゆきてかえらぬ」
検索して、中原中也の同名詩を知りましたが、関連は分からないです。
頁12、徳島市街の九割が空襲で焼かれていたとは知りませんでした。
頁32、当時現地で記憶されていたのは、ナチ占領下のパリで、
何人ものフランス人を助けた理由からもあったとか。杉原千畝以外にも、
勇気ある日本人がいたんだなと思いました。関係ありませんが、
Wikipedia杉原千畝えらいことになっていた。なんだかなあ。

Wikipedia:削除依頼/杉原千畝20161122
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D20161122
http://wadanoya.com/wp/wp-content/themes/wadanoya/img/moraes/moraes.jpg
http://wadanoya.com/moraes/
この画像はお借りしていいんだか悪いんだか分かりませんが、
頁37、綿入れの着物に格子のチャンチャンコを羽織ったアイヌ人のような感じのモラエスの写真は、度々目にしている。
の写真はこれだと思います。エスタドノヴァ。

作者は実際に治郎八と会っているので、目鼻立ちから何まで詳細に描写しています。

頁43
節の低い指が、先すぼまりにすんなりのびている。その指には爪のきわまで、むっちりと脂肪がとりまき、指の根もとには娘のようなえくぼがうかびかけている。生涯、肉体労働とは無縁に生きてきた人しか持つことの出来ない、ある傲慢さとひ弱さを、同居させている掌だった。

その財力は何処からと不思議で、近江商人の出と聞かされても、全然ぴんと来ません。
おちぶれたとありますが、本書の寝たきりから、あとがきでは回復して、
年の離れた元ストリッパーの奥さんを念願のフランス旅行に連れてったとあり、
あとがきまで読まないと読後感がまるでちがうと思いました。

三鷹下連雀
太宰入水後まだ三年しか経っていない町に、離婚後数年経った作者が移住。
頁67、鷗外の墓もあるのに、そっちは参拝者の蔭なしとあり、茉莉何やってんにゃ、
と思ったり、当時の作者はダザイ熱が冷め、ミシマに首ったけで、
その三島へのファンレターの返事に、頁68、
太宰という字をみただけで、吐き気をもよおすのです。とあり、
確か介錯人の人は太宰好きだったはずなので、なんたることと思いました。
あと、掛け軸のない床の間は死床といって縁起が悪いそうです。
また、当時の玉川上水は事故ひんぴんの人喰川だったそうで、こわい。
頁76で、作者はぞっとするような生気のない女性と三鷹下連雀で知り合い、
それはダザイファンで、ダザイの家を騒動後安く買って住んでいて、
無理心中説、女がダサイをころして自分も死んだ説を語らせています。
作者自身の心中相手の評価は、頁98にありますが、もうすっげえ辛口です。

「霧の花」
面白いですが、特にメモや引用はナシ。
最初のヨメが家を出てからどうなったか、一切書いてないのが不思議。
ダザイの場合は、最初のヨメのその後(かなしい)きちんと書いたのに。

「春への旅」
頁163、老画家が心中したお寺、こないだナムジュンパイク展*2の帰りに、
たぶん前通ってます。なんたる偶然。

「鴛鴦」
特にないです。以上