『東北タイの子』(原題:ลูกอีสาน)(英語タイトル:Son of the Northeast)劇場鑑賞

http://moviola.jp/api2016/woods2/images/aboutmovies02.jpg
公式 http://moviola.jp/api2016/woods2/
アビチャッポン・ウィーラセタクンのアンコール特集をイメージフォーラムでやってて、
面白いと言われたものの、何がどう面白いのか分からず、サイトをつらつら見ていたら、

アビチャッポン映画にとって、その故郷タイ東北部イサーン地方は特権的な場所。かつてカンボジアラオスという異なる帝国から成り立ち、バンコクとはまったく異なる文化を持っていたイサーン。「クメールのアニミズムを伝え」、「そこでは単純な事柄が魔法になる」(アビチャッポン)場所であると同時に、干ばつが多く、貧しい地域であり、60-70年代にはその森に共産主義者が逃げ込み、共産主義者狩りの舞台ともなった場所。アビチャッポンの“土地の記憶”を掘り下げるために、ぜひ見ておきたいタイ映画史の名作2本を上映します。

とあり、

83年にマニラ映画祭で審査員だった大島渚が絶賛したのも納得の傑作。

とあり、
いちおう私も原作の邦訳は、内容全部忘れてますが、
発行:井村文化事業社 販売:勁草書房 の東南アジアブックスで、
読んでましたので、じゃあ観るかと見た映画。

この東南アジアブックスは、市井の有志の方のサイトを見ると、
一覧が網羅されてるのですが、勁草書房のサイトでは、まだ漏れがあるようです。

例えば下記、ラナット・チャンヨンの妻喰い男は、シリーズタグがついてない。
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b22822.html

というか、井村文化事業社ってなんなのか、ウェブで遡及出来ない。

田舎の教師
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25292.html
タイからの手紙 上下
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25290.html
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25291.html

上の本は実際面白いし、内容説明もあってるのですが、

生みすてられた子供たち 上下
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25296.html
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25297.html

上の本の内容説明は、違う。白人の父の姉と黒人の父の妹ってだけなので、
それが当時のタイ社会のアレむき出しの価値観の下で、
異なった人生を歩まざるを得なくなる、そういう小説なので、
美醜はあくまで作中のバイアスのかかったそれだったはずです。

映画コム http://eiga.com/movie/85871/
Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Son_of_the_Northeast
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5c/Lookisan.jpg
イーサン Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3

話をこの映画に戻すと、イメージフォーラム満席、
プラス臨時のパイプ椅子が消防法を遵守出来る範囲で所狭しとおかれ、
なぜそんなみんな、昔のNHK教育で土曜の午後やってたようなこの映画を、
わざわざ観に来るのかさっぱりさっぱりでした。超大盛況。

私は予告が終わった瞬間一度オチて、気がついたら夜這いでした。
イサーンの文化に関しては、前川健一のタイの日常茶飯で読んだことが、
いちばん役に立っています。虫食とか。

タイの日常茶飯

タイの日常茶飯

ひび割れた大地は私も見ました。でも私はノンカイしか行ったことなく、
ノンカイは典型的な東北タイとは、言い難いと思います。
ウドンタニとか、ウボン・ラーチャータニーとかコーンケーンとか、
ナコーンパノムとか、そういうところにぶらぶらしてたら、
また全然違う感慨があったと思います。現在あるタイ料理店とは別の、
もう今はない、元ムエタイ選手が店長だった横浜駅西口地下のタイ料理店には、
イサーンの料理が幾つかあったと記憶しています。
https://i.ytimg.com/vi/inlDdM2J4pU/hqdefault.jpg
映画を観てて思いだしたのが、村の市場の雑貨商を、越僑と華僑が二分していて、
小説では、ベトナム華人に対し優勢だった、というところです。
サルーンというか、腰巻をつけず、女性も黒ずぼんなので、服装の記号からも、
両者はタイ人と区別のつくようになっていて、映画を観るタイ人は、
日本人の私たちが分からないような点でも、ぱっぱっと分かるんだろうなあ、
と思いました。私は東南アジアブックスを読む時も、どちらかというと、
華僑目線で読んでましたので、東北タイの子より、下記の本で、
なぜローカルの商人は華人に勝てないのか? みたいな考察の部分を覚えています。

中国じいさんと生きる
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b25301.html

まあ、タイ人は店じまい間際になると、売れ残りを持って帰るのが重くて面倒なので、
値下げ投げ売りを始めるが、華人は売れ残りを破棄はしても値崩れは避ける、
とかそういうたわいもないテクです。日本でも、プロの商人の市場はそうですよね。
農協の直売所なんかだと、店じまいの時間は持ってけドロボーになったりしますが。
別に両者の民族が異なるわけではない。以上

2017/1/8 追記
書き漏らしましたが、この映画観てる時、足が攣りました。

あと、『東北タイの子』と『中国じいさんと生きる』の視座の違いについて、
当然東北タイの子は、現地ローカルの視点から少数派移民を面白おかしく描いているので、
なんというかな、マレーシアのプミプトラ政策みたいな、多数派民族の、
傲慢さが少しあるかなっっと思っています。そういえば、マレーシアの共産党は、
華人中心で、アホみたいに毛沢東の遊撃戦を実践して山岳に逃げて、掃討された、
はずなので、タイの場合、イサーンに共産党員が逃げ込んだそうなので、
それは華人ベトナム系じゃないんだろうなあと思いました。
インドネシア華人にもっと厳しく、漢字の使用もNGでしたよね。
でも、どこも実体経済華人に握られているわけで、しかし、権力=軍などは、
多数民族の側にあるわけなので、権力者としては、勝手に金儲けしてろ、
ガリはワイロで貰うからかまわん、みたいな理屈だと思います。
その理屈が通用するのは権力者だけで、貧乏な多数派民族は、まあ怨むだけで、
富の再分配のおこぼれにあずかれないので、無理矢理預かろうとしたら、
暴動起こしてチャイナタウン略奪するくらいしか手がないわけで、
そいだからいびつな経済発展になってしまうんよ、と思います。
フィリピンみたいに、ラテン系の名前とキリスト教の信仰をもっているため、
その商人が華人であることが見えにくくなっている社会もありますし、
以前のビルマベトナムのように、本当に実力行使で、
華人を排斥、ボートピープルとして国外に駆逐した国もありますが、
あと、突然関係ない話をしますが、共産党員が山に逃げ込む場面、
ホウシャオシエンの非情城市にも確かそんな場面があり、それは、
あの映画の、事実と時代設定が異なる場面の象徴として確か扱われていたな、
と思い出します。推敲ゼロの文章をだだ書くのは気分的に楽です。以上

あと、この映画のイサーンは、1980年代のそれですから、
やっぱり失われた風景なんだろうと思いますが、現在のタイに行く機会が、
全然ないので、まあ確かめるすべはないなと思いました。以上