『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』読了

昨日読んだ本の類書。というか、それにインスパイアされて、別の肩書の人が、
別の手法で現地取材して書いた本。読んだのは2016年8月の二刷。
カバーの写真撮影は著者。装幀は竹中尚史。

<昨日読んだ本>
『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』
読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170122/1485097469

対照的というわけでもないのですが、さまざまな点で、ちがいが鮮明な両書です。

先行書は、社会人経験豊富な院生が教授らの指導の下、取材先を1点集中、
財力と時間を投じて現地各所に許諾を得ながらフィールドワークを行ない、
書き上げた論文がベースとなり、講演会等で得た反響も素早くフィードバックし、
書き卸された講談社の本(企画も本人持込とネットの噂あるが真偽不明)で、
後発の本書は、40代でクリニックの院長やNPO法人複数の理事を兼務しながら、
ホームレスや震災支援も行なっている元バックパッカーが、前書に感銘を受け、
五ヶ所計六回、それぞれ約一週間滞在し、アポなし取材等行った、印象雑感です。
取材先は、前書のベースとなった統計から、上位三十位以下のものまで含め、
島や、地理的に低自殺率の条件として不利が多い東北の村落、前書取材地、
などを選んでいます。刊行もとも、堅い本屋ですが、大手ではない青土社

頁019
 例えば、自殺で亡くなるひとのほとんどは、その直前に精神疾患の診断がつくとか、アルコールを多く飲酒しているとかいった研究がある。だから疾患のあるひとは精神科にかかるように受診の敷居をさげる対策が出てきたし、アルコール問題に対しての援助はより考えられるようになった。

頁026
 予防は……これはさまざまだ。例えば、飲酒は、一日四〇グラム以上のアルコール(日本酒で二合程度)を毎日摂取すると、そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるといった研究は予防につながっていく。六〇グラム以上ではかなり割合が増えるので、六〇グラムを大量飲酒と考えて大量飲酒はやめましょうという予防対策が出てくる。

なんというかな、上記の環境における、現場のもやもや、閉塞感は伝わるし、
そこに吹き込んだ、先行書の爽やかな風、視野が一気に広がった感は分かります。

作者がバックパッカーだった点、私は、バックパッカーは、実はあまり、
参与観察に向かない、悪いクセがつきすぎている、と思うことがあり、
それをまざまざと見せられた、そんな感も本書にあります。
頁75、著者は、現地で悪口陰口をいわれ、なかなかそのダメージから、
立ち直れなかったそうです。具体的に何と言われたか書いてないのですが、
たぶん頭が真っ白になってしまい、一言一句が、思い出せないのだと思います。
自殺率が低い=いいひとばかりの町、桃源郷…な訳ではないことは本書のタイトルでも、
分かることですが、ホームレス支援を長年続ける著者がそんなに打たれ弱いの?
ドヤで鍛えられてないの? と不思議でした。随所頻出のアポなし取材というのが、
いい齢こいた社会人のフィールドワークとして非常識、との感が拭えませんし、
周到な根回し、紹介状の効果成果を知らないわけでもないだろうし、
現場の人間が、文化人類学等のノウハウ、ナレッジを積んだその手のプロから、
手づから指導やサジェスチョンを得られていないまま無手勝流に取材を続け、
本にまでまとめて完結してしまうのは、いかにも勿体ない話だと思いました。
それなりに資力も投入してるでしょうに… 先行書と、一つ一つの、
現地の人たちとのやりとりの重みがまるで違うのが、まさにバックパッカーの、
走馬観花なただの旅行エッセーという感じで、複数の視座から、
このやりとりはなにを意味するのか? という問いを突き詰められているか、
が、まさに鍵で、そこがどうにも浅く見えてしまうのが、各一週間という短さでもあり、
残念な点です。逆に、元バックパッカーだからか、随所にある北欧との対比が、
面白かったです。福祉大国北欧諸国と自殺の少ない地域の共通点は分からねど、
(老人介護施設での投薬量比較くらいでしょうか、具体的なのは)
北欧ってそうなんだ〜、と感心しました。香港も一つ例が出ますが、
こういう、いざというとき、最後まで面倒を見る、頼れる友人、頼る相手のいる人、
というのを全然もたない、没有朋友的人、というのが、実は往々にして、
成功者だったりして、そういう人が憎々しく語られるのが、
中国人の憂さ晴らしトークなわけですが、いっくら陰口叩かれても、
そういうジャングイはものともしないビクともしない、人を使う側にいる、という事実も数多い、
と指摘しておきます。中華圏は共倒れか冷酷切り捨てのどちらかしかない、
と言うつもりは毛頭ありませんが… ひどい人間一人知ってますが、
某関西都市でぴんぴんしていて、商業地域なのにあんなマンション建てるとわ、
余生安泰ですなあ、なんてそこの前を以前通ったとき思いました。閑話休題

頁091、バスの本数がない現地で、タクシーはあるが徒歩を選択し、
その後遠いのでヒッチハイクする場面があります。これなどまさにバックパッカーで、
ふつうの日本人なら、最初からレンタカーだと思います。

頁100など、著者は「障がい」という書き方をします。後半ひらがなのパターン。
「人」も「ひと」とひらがなで書く。理由を知りたい気もしました。

本書を読んで、自殺稀少地域もますます有名になるでしょうし、
いなかに泊まろうとか、お前は私の日本息子だ、とか、いろいろあるでしょう。
観光効果とかお金が落ちるとか地域活性化とかあればいいですね、と思いました。
赤い羽根ですら納得しなければお金が集まらないので、詐欺とかは、
ひっかかる率少ないんだろうか、空き巣率はどうなんだろう、
ふつうは、そこまで行ってわざわざ仕事しようとは思わないよな、そういう人も、
と思いました。

先行書には、介護民俗学の本以来、ふたたび異業種からの横断の強みを感じました。

『驚きの介護民俗学』 (シリーズ ケアをひらく)読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140522/1400739957

本書も、これに懲りず、継続して現地に関わり続けてほしいです。
『旅で眠りたい』『ホテルひとの話をきかないの眠れない夜』『ゴーゴー希少地域』以上

【後報】
追記します。作者と現地との関係を読んでいて想起したのが下記二冊です。
梅棹忠夫『モゴール族探検記』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%A3%B9%E5%BF%A0%E5%A4%AB
冒頭で、アフガニスタンの農民から、
「ツ=バイダ」と問いかけられる場面。ツ=バイダ、何しに来たんだ。
あれこれ取り繕おう、説明しようとしても、相手はただ問いかけるだけ。
「ツ=バイダ」参与観察者は、現地の生活者から、常にこのような厳しいまなざしに、
さらされていることをゆめ忘れてはならないと思います。

モゴール族探検記 (岩波新書 青版 F-60)

モゴール族探検記 (岩波新書 青版 F-60)

宮本常一『忘れられた日本人』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E4%B8%80
忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

嘘です。この本は、思い出しませんでした。
③山元周五郎『青べか物語
青べか物語 (新潮文庫)

青べか物語 (新潮文庫)

これの続編の『季節のない街』は、参与観察者である作者が登場せず、
だから一人称の語りもないので、つまらないと思っています。
青べかは、作者がよそもの、遊民として、かつかつの生活者社会の中で、
せめぎあいを経験しながら、最後に、巡礼だ巡礼だ人生は巡礼だと叫びながら、
走る場面で終わるから素晴らしいのだ、と思います。しかも夕暮れ、走る。
下宿先に七輪を置いて、川魚を甘露煮にして常備菜にして倹約しようとし、
腕白な餓鬼どもが川で獲ってきたニゴロブナなどを、うまそうだな幾らだい、
と小銭を出して引き取ると、餓鬼どもは恰好な小遣い稼ぎとばかり、
毎日川魚をとらまえては買ってくれよと持ってくる。或る日たまりかねて、
もう金輪際魚は買わんと宣言すると、小僧っ子らは顔を見合わせて、
手にしたバケツの魚を、そんなら先生、これは先生にやらあ、と置いていく。
最初から金を出さずに、うまそうだな、呉れよ、と言えばよかったのだ、
と、作者は呆然とし、かつ後悔もする。たかるばかりが能ではあるまい、
と、私個人は思いますが、観光とは畢竟人的交流の一種だと認識し、
スタディツアーやらオルタナティブツアーやらを考える一助になった文章です。
(2017/1/25)