『妻を帽子とまちがえた男』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)読了

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

版権云々のページの原題見ると定冠詞がついてるのですが、
はまぞう検索結果トップのAmazon洋書は定冠詞ないです。(表紙画像にはある)
Man Who Mistook His Wife for a Hat (Picador Classic)

Man Who Mistook His Wife for a Hat (Picador Classic)

定冠詞のついてる本も、その下に出ますが…
The Man Who Mistook his Wife for a Hat

The Man Who Mistook his Wife for a Hat

Wikipediaの原書とその表紙画像見ると、定冠詞はあります。
The Man Who Mistook His Wife for a Hat
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Man_Who_Mistook_His_Wife_for_a_Hat
著者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

1985年原書刊 1992年晶文社単行本刊
2009年ハヤカワ文庫刊
カバーイラスト 市川伸彦 カバーデザイン 山田英春
カバーフォーマット 坂野公一(welle design)
レナードの朝』の原作者だですが、私は映画未見です。
ダスティンホフマントムクルーズレインマンは見ています。
最近、以前は考えなかった、「家族の生き様、人生」というものを、
どう尊重すべきか、どう淡々とあるべきか、なんてふと思います。

頁421 訳者あとがき
 たしかにこれは、著者の言うとおり「奇妙」な話を集めたものである。脳神経になにか異常があるとき、奇妙なふしぎな症状があらわれ、一般の想像をこえた動作や状態がおこる。ここに語られた二十四篇の話はいずれもそうした例といっていい。しかしわれわれがこれらをただ好奇の目でながめ、興味本位に読むのだったら、それはたいへんな誤りで、著者の意図と真情を正しく理解したことにはならないだろう。病気の挑戦をうけ、正常な機能をこわされ、通常の生活を断念させられながらも、患者はその人なりに、病気とたたかい、人間としてのアイデンティティをとりもどそうと努力している。勝てなくても戦いつづけている。たとえ脳の機能はもとどおりにならなくても、それで人間たることが否定されるのではない。このことこそ、サックスがくり返し述べているところであって、ここが問題の核心というべきであろう。以下略

ただ、本書の構成は非常に緻密に練られていて、
異なるアプローチから再三再四本題に迫っていて、
テーゼと反駁の繰り返しで論文を構成する、という、
基本のキを喉元に突き付けられてる気がしました。
さざ波のように繰り返す。語りかけてくる。

作者自身も、どなたかとダイアローグを繰り返しながら、
執筆を進めてきたんだな、と。各編それぞれ発表後に、
同業者(学会学者や、現場スタッフ、etc.)から反響の文章、
類似非類似のケーススタディが送られてきたそうですが、
それとは別に、私は本書をバババッと読破時、作者はA・R・ルリアと、
往復書簡や質問の手紙、雑感の手紙などを繰り返しつつ、
思考をまとめて整理して、書いていたんだろう、と、
勝手にイメージしてました。が、今それを引用しようと探したら、
米ソの直接知的交流は頁77。頁185くらいしかなかったです。
彼は主に、ルリアの著書と会話していた。私の見当違いでした。

アレクサンドル・ルリヤ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%A4

本書の24のエッセーは四つのパートに分別されていて、
さいしょは、「喪失」です。「欠損」「機能喪失」"losses"
そのトップバターが表題作で、この人は、
世界を認識する脳のどこかがアレで、妻を帽子と間違えるほか、
いろいろ空間何だかなんだかの把握がアレで、
でも音楽の教師で、歌いながら食事をすればいい、とか、
いろいろ、ちょっとしたコツとか努力とか周囲の助けなどで、
日常生活の支障を、回避したり乗り越えたりして、
仕事も生活も出来ているわけです。
帽子と間違えられる奥さんが、この人はこんなの、
しょっちゅうだからと笑って済ませてしまうことのほうが、
スゴいと思いました。なんちゅうことなのか。
'80年代の故事で、原因は仮定で終わっていて、結論はないです。
でも生活は出来ているので、読者も安心して読み進められる。
次の話は、1945年、19才から記憶が止まってしまった元水兵が、
49歳、1975年の世界で、生活している話でした。
とにかく、その場その場の判断が出来ないことは、
少し時間がかかると忘れてしまうので、出来ない。支障が生じる。
本人の記憶にない経歴では、戦後も退官まで海軍で働き続け、
その頃から飲み助だったが、退官後歯止めがなくなり、
記憶喪失はアルコールによるコルサコフ症候群、とハッキリしてます。
なぜ彼の止まった時間が、ブリリアントな19歳なのかとか、
いろいろ解き明かせなかったナゾがあり、で、
頁76に、精神分析医が、彼に催眠術を試みたが、
発作興奮型(ヒステリー性)健忘症の場合効果があるとされる?、
催眠術が彼には効果なく、さらにほかの医師の所見で、
コルサコフ症候群とヒステリー性健忘はこの点異なるとあり、
ここは、ちょっと思うところあり、ははあ、と思いました。

彼は、検査を受けていて、1975年の世界を受け容れられず、
パニックに陥り、作者は気がついて黙ってしまい、
そしておいしそうな匂いがして、頁69「あ、ランチだ」
とひとこと言うと、にこりと笑い、立ち去っていった。
 あとに残った私は、胸がしめつけられる思いだった。

作者は当初彼を救うことが出来ると思っていたのですが、
魅力的で、好感が持てて、知的な彼が、まず日記をつけようにも、
日記帳を失くさないようからだにくっつける工夫が必要で、
前日書いたことを勿論覚えていないわけですが、それに関心を示さない。
頁81「無頓着」「何か欠けたところがある」

頁82
「気分はどうなの?」
「気分はどうなの、ですって?」彼は私のことばをそのままくり返し、頭をぼりぼりと掻いた。「気分が悪い、とは言えませんね。だけど、気分はいいとも言えません。どうなんだかわかりません」
「自分は不幸だと思っているの?」私は質問をつづけた。
「そんなこと言えない」
「人生楽しいと思う?」
「わからない」

(中略)
「楽しくはないんじゃないの?」私はためらいながらくり返した。「だとしたら、人生をどんなふうに感じているの?」
「なにも感じないなあ」
「でも、生きているという感じはあるでしょう?」
「生きているっていう感じ? べつにないなあ。長いあいだそんなこと感じたことないな」彼の顔には、かぎりない悲しみとあきらめが浮かんで見えた。

彼には、レクリエーション・プログラムのゲームでは、
簡単に勝ててしまい、しかし仕事では、うらっつらだけしか出来ず、
作者は、これでは彼は生きていると言えるのか考え(大きなお世話)、
施設の人間に相談し、祈っている時の彼の姿を見てごらんなさい、
と提言され、教会でひざまづく彼の全身全霊を見て、言葉を失います。
私は、ここのくだり読むまで、飲酒欲求とかどうなんかな、
と思いながら読んでましたが、ここで、それを忘れました。

「喪失」は、ほか、幻影肢(ファントム)*1や、その逆に、
あるのに感じられない、他人のものとして感じてしまう、
平衡感覚、など、つぎつぎと、
生きているのか死んでいるのかが繰り返されます。
そして、次のパートが、「過剰」、「多動」「増進」「亢進」"excesses"
パーキンソン病ドーパミンの話なども出てきます。
I(理性的自我)It(本能的自我)も。
トゥレット症という病気のチックで、仕事や交友結婚は危機に瀕し、
しかしジャズドラマーとしてはチックによる即興演奏で名高い、
ある人物が登場し、この場合はまず投薬でチックによる短気を治め、
平日での確実な日常生活を回復し、しかし、それによって彼は、
俊敏性その他を失い、途方に暮れ、医師と相談して、処方をやめたり、
復活したりして、平日は処方、ドラムを叩く週末は断薬、に落ち着き、
いきいきと生活を送ります。医師と相談して、長いスパンで試みる、
というところがポイントと思いました。また医師(作者)もよかった。
次が、高齢になってから再発した神経梅毒による多幸感で、これは、
頁198、ペニシリンは、スピロヘータを殺すことはできるが、いったん生じた脳の変化や脱抑制をもとにもどしはしないのである。
というコペルニクス的転回を見せ、解決します。
グレッグ・イーガンの小説、これはナノマシーンによる難病治療の、
副作用による人体改変の話ですが、それを思い出しました。

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

本書は、酒や性病だけでなく、勿論薬物の話もあります。

次のパートは「移行」となっていて、これは少々分かりにくく、
「門」「夢幻状態」「追想」"transports"となっています。
脳障害で、幻聴、それも、懐かしい音楽ばかり聞こえて来て、
不眠になってしまう老女が、投薬で治癒するのですが、
実は彼女は幼少期の(幸せな)記憶がなくて、その音楽は、
それを取り戻してくれる、ホントウかどうかはさておき、
そう思わせてくれる、幸せな時間でもあって、
(寝れないんだから生活に支障をきたすマイナスでもあるわけですが)
それが投薬で、だんだんと消えてゆく、残照が、日の名残りが、
かすかになって、そしてどこになくなってしまう、
そこの記述が、とてもうまいと思いました。
同様の症例のやっぱり老女の患者さんが、その人の場合、
そこまで関連付けられた音楽でもなく、記憶の喪失もないので、
さばさばと音楽が聞こえなくなるのを受け容れ、せいせいした、
となる事例を、うまく対比として入れています。
「喪失」のアル中と違い、記憶が蘇るヤク中の話があります。
まったく失見当、ブラックアウトの状態だったのに、
HDDにはちゃんと記録されていて、アクセス出来なかっただけのように、
鮮明によみがえる。悪夢が。

さいごのパートが「純真」です。さざ波のように、
いろんな角度から、障害について探求してきて、
ここは、知的障害を扱っています。
抽象概念は理解出来なくても、人間としてダメではない、
具体性がわかれば、それが基本です、と。
この二つを、作者は、「パラダイム的」「物語的」とも、
言い換えています。特に作者が力を入れてるのが、
知的障害の天才イディオ・サバン
サヴァン症候群 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
過去のどの日でも未来のどの日でもたちどころに何曜日か当てられる、
なんらかのアルゴリズムを持っていて、素数とかがぱっと出てくる。
…この本を、私はこないだ出たモロ☆ムックの、本棚で知りましたが、
星野之宣のほうのマンガ『レインマン』がサヴァン症を扱っていて、
並行世界のグリッドによって彼らは解を得ているのではないか、
というお話ですので、それでこれがノホシ−モロ☆ホットラインで、
本棚に登場してるのか、と推測し、腑に落ちました。

「純真」とあるので、どうかと思いましたが、ちゃんと、
傲慢さや適応障害?にも触れていて、よかったです。
検索しても出てこないので、人力検索はてなに聞こうかと思った、
相模原の、鑑定で、排泄片づけの時見下されてる気がした、
という報道や、知的と精神を比較してピュア云々と言う介護職がいる、
という話を聞いて、危ういと思ったのを思い出しました。
そして、邦訳では、「純真」ですが、原文は、別にピュアじゃなく、
"The world of simple" です。

各章タイトルの英語文章は、下記に依りました。

TOC for The Man Who Mistook His Wife for a Hat - Project 2061
http://www.project2061.org/publications/rsl/online/tradebks/TOCS/MANWHOMI.HTM
以上