ひと段落して涼しいのでパソウコンに向かいました


つくし野 246 六月五日夕方

いろんな方のブログを見て回りましたが、何があったか知りませんが、
またやりあった痕跡の後閉鎖してる人がいて、
半匿名のこんなところで、そんなせんでも、
もっと肩のちから抜いてやりゃええに、と思いました。

さいきん、ある人のドラクエとかPRGのやり方を聞いて、
その人は村人とかの話をまったく聞かず、いきあたりばったりに歩いて、
モンスターが出てくると闘う、その繰り返しで、レベルは上がるだけあがって、
しかしその後どうしたらいいか自分では分からない。
話聞かないから、寶の箱とか何も発見せず、ただ歩いて、
闘って、レベルが上がるだけの人生なので。それは、ひょっとして、
パチンコみたいに受け身でただ画面の変化に流されてるだけじゃん、
それでも楽しいのか、うーん、と思いました。
私は回転ずしもう行きませんが、スシローでしたかくら寿司でしたか、
ガラポンが出てくるところありますよね。目押しみたいのするやつ。
あれをもくもくと、たんたんとやり続けるおばあさんをみたのが、
私のさいごの囘天寿司体験です。

そういうことを考えながら今回は星をつけていたので、
迷惑かもしれませんが、いつもよりたくさん気づきのコメントをしました。

いろんなしとのブログを見て回ると、中には、この人は、
きっと何か信仰を持っているんだろう、と思えるしとがいて、
今回、その中のおしとりの、信仰が、観光地とかの標語で有名、
という自分の理解で恐縮ですが、それ以外に、
養父との関係から地元からほかの家族と逐電、一切音信遮断、
の友人が、小学生の頃、養父の知人から教わった、と言っていた、
信仰と分かって、なんか懐かしかったです。彼は、引っ越して、
別の町で、別のアパートに住んで、家族をいたわりながら、
進学せず働きだしたころ、信仰も持って行ったのか、
信仰はペンディングしたのか、どうしたんだろう。
養父のしとは、その後も永くしとりで同じところに住んでいましたが、
もう十年以上前に、そこは空き家になって、そのままです。

全然関係ないですが、水田。もう現代のそれは、あまりおかしなものはいませんが、
(草木は今チャドクガに悩まされているのでそういうことを思う)
カモが飛来してきたときに、血を吸う寄生虫をくっつけてきてバラ撒いたことや、
あと、相模川にはまだいる、蛭。私はさっきから、「人」をしとと書いて、
ネトウヨのしとが言う潰れてしまえ新聞も、あさっしんぶんと読むくらいですが、
蛭をしると読むと、「汁」と同音忌避の現象が発生するらしく、「ひぃる」と、
呼んでます。のばせば「ひ」もはっちょん出来る。
渋谷定輔『農民哀史から六十年』(岩波新書)を読んで、鶴ヶ島に行ってみたくなり、
行きましたが、かつてここがひぃるでいっぱいの田んぼだったんだなあ、
としか思えず、ちょっと申し訳なかったです。

出かけます。今日も、穏やかに、落ち着いて、平和に。
そして、出来ることなら、
自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。