ぱらぱら小雨の降る中、ラジオ体操に行きました。
終わるころに本降りに近くなりました。
「終わりたいけど、ラジオのペースだから、勝手に早めらんないしねえ」
なんて声を交わされてるのを後に、帰宅して、ストレッチしました。
冷やご飯を、この時期まだだいぶある玉ねぎと、ストックの魚肉ソーセージと炒め、
食べました。きゅうりのぬか漬けがつかってて、よかったです。
この歌はむかしBGM代わりに意味も知らず中国で聴いていたので、
(新華書店で売ってた、北京の音大かなんか編集の、
版権ウヤムヤ洋楽アンソロジーカセットテープの中の一曲)
こんなトンデモPVとは知りませんでした。
日本では、シェアハウスドラマでも使われてたんですね。
中国での反響を知りたかったな、"他不会讲文明礼貌"とか論評したんだろか。
田舎にいて残念。
フライパンのテフロンがまた剥がれてきて、具材のカスがくっつくようになって、
今フライパン安いので苦慮せず新品買う訳ですが、
あまり換える頻度が高いと、愛着も沸いたあとですし、
あまり楽しくないです。自分は中華の鉄鍋にしようかな、とも。
中国の田舎の、民家(院子)の庭で、土を固めてマウント作って、
溶けた鉄を流し込んで、鋳鉄の鍋作ってるのを見たことあるのですが、
そういう経験のある人は、中国人でも若い人はいないと思います。
そんなレア経験でなくても、あっちの村の商店、
合作社の名残りの商店みたいなところで、握りの木の部分のない、
鉄の部分だけの鍋と、別売りの木の握りを買って、
自分でねじ止めしたりして(クギ打ちだったかな?)鍋にする、
体験をしたことは貴重でした。
(その鍋でトンカツ作ったら、招くのを遠慮した回教徒が来て、
村同士の戒闘で刺されたことある仏教徒がいきって、
食わせようとして、という話は以前書きました)
村のああいう商店は、冷えてないコーラの缶を買って飲んでたら、
村の子どもがみんなものほしそうに見てて、教育上悪かったかな、とか、
(3.5元くらいでしたか)私は例のコルクの栓のマホー瓶(開水瓶)の、
中瓶だけ壊す名人なので、時々買いに行って詰めかえたとかの、
想い出もありました。チャン・イーモウの映画、
「あの子を探して」(一個都不能少)の時代ですね。
今でもこの映画の邦題は初期案の仮題「みんなで行こう」、
にすべきだったと思っています。原題に沿ったタイトルに。
ヒアリは中国から日本に上陸したと聞いて、えっ中南米原産でしょ?
と調べると、確かに机以外の廣州から神戸へのコンテナだとか。
「いくら俺が中国嫌いだからって、ねつ造はしねーよ」
とのことでした。ネトウヨの人の啖呵は面白いです。
じゃあいつどこでどんなフェイクニュースに引っかかってるかとか、
調べるヒマな人もいるかもしれませんが、それはそれで平和な光景。
昨日ビッグコミックオリジナル買いました。
『赤狩り』頁183、セリフの違和感が一晩置いて分かりました。
「しゃぶる」でなく「吸う」だからかと。
確かに「吸う」という日本語表現は、ある。
だからバキュームとか言うわけで。
で、イカせるってのは、これはいきがってるようで、
あまり男性を知らずに来てしまったという設定に、
説得力をもたせる表現なんだろうなと思いました。
ヌイてスッキリさせてあげる、とかだったら、違うキャラだ。
『刑事ゆがみ』頁221、藝能人の例として、盗撮出すのかと思った。
頁221
依存症って薬物でもアルコールでも、治そうと思ったら一生我慢しなきゃいけないんだよな… 治ったと思っても一度でもやったらまた元に戻っちゃうっていうんだよな…… 一生ガマンしなきゃなんないって、考えるだけで頭ヘンになりそうだ………
(中略)罰を与えたってダメなんだ! 反省しても治らない! 病気なんだから! 刑務所なんか入ってたら、かえって治療できなくなるじゃねーか!
今回はクレプトマニアの話で、当事者と知り合った健常者の声が上記。
じゃあ依存症の「治療」ってなんだよ、ってことがあると思います。
関係者は巻き込まれもあるし。家族等、当事者以外の関係者向け相談に行く方向で、
その後の彼の人生が進むといいな、と思いました。
ホントの家族が、被害者としてならあれですけど、
「私にも原因があるなんて冗談じゃない!」を乗り越えて相談する、
という進展やその光景は、私にはまだ見えないです。
今日も、穏やかに、落ち着いて、平和に。
そして、出来ることなら、
自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。